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日蓮大聖人・池田大作

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信越最高協議会  

2006.8.18 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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2  決意を実証に
 ここ長野で行われている、未来のための研修会。信越の皆さまには大変にお世話になり、「ご苦労さま」「ありがとう!」と申し上げたい。また、新出発、本当におめでとう!
 戸田先生は言われた。
 「今年こそは、と決心した時、われわれは、その証拠を、その年の自分の生活に必ず出すことができる」
 「年齢には3つある。肉体的、精神的な年齢と、生まれてから数えている年齢である。たとえ肉体は老いても、生命力は強く、若々しくなけれぱだめだよ」
 どうか信越の皆さまは、「今年こそは!」との新しき決意で、地域、に、家庭に、妙法の大功徳の実証を示していっていただきたい。
 生涯、青年の気概で戦い、広布の庭で、いい人生を生き抜いていただきたい。
3  「捨て身でない人間は好かれない」
 東京・西神田の戸田先生の会社の近くに日本大学があった。先生と二人、学生食堂で、たびたび食事をともにしたことを思い出す。
 先生は、100万部を超える戦前の大ベストセラー『推理式指導算術』を書かれた、数学の天才であられた。
 だからであろうか、豪放磊落でありながら、非常に緻密であられた。あいまいな報告を決して許されなかった。
 回りくどい話や議論のための議論を嫌い、本質をずばりと突かれた。
 私たち青年に、「3カ月の余裕があれば、君たちの専門の学問でも絶対に負けない」とよく言われていた。
 青年を愛された先生であった。それだけに、青年の堕落には、それはそれは厳しかった。
 「捨て身でない、狭い根性の人間は、人に好かれない」
 「人間、若いうちに求道心も、向上心も失ってしまっては、とても役に立つ人間にはなれない」
 ともに、戸田先生の厳愛の指導である。
 そして先生は、鋭い批判精神、悪に対する闘争精神を持てと、常々、青年に教えられた。
 ギリシャの政治家デモステネスは「嫉妬はどう見ても悪しき本性のしるし」(北嶋美雪訳、『デモステネス弁論案3』京都大学学術出版会)と言い、ローマの哲人キケロは「国全体はつねに、指導者たちの欲望と悪徳によって損なわれる」(岡道男訳『キケロー選集8』岩波書店)と言っている。
 人間の嫉妬心が社会を濁らせ、私利私欲の指導者が国を衰亡させる。これが、古今東西に変わらぬ歴史の法則である。
 青年は敏感に反応し、正義の太陽を昇らせねばならない。悪と戦わなければ、学会ではない。
4  権力との攻防戦
 また、戸田先生は言われた。「広宣流布の道程は、権力の魔性との熾烈な攻防戦とならざるをえない」
 その最初の大きな攻防戦となったのが、昭和32年(1957年)、北海道の夕張炭労との人権闘争であり、「大阪事件」である。
 この時、戸田先生は、私を指名された。
 「夕張で学会員がいじめられているんだ。大作、行ってくれるか」と。
 私に任せていれば安心だと、全幅の信頼を寄せてくださっていた。
 「分かりました」
 私は命を受けて、北海道に乗り込んだ。
 しかし、炭労との闘争に決着をつける札幌大会、夕張大会をあす、あさってに控えた6月30日のことである。
 東京の留守宅に大阪府警の刑事が現れた。いわれなき公職選挙法違反の容疑で私を逮捕するためであった。
 警察には、出頭を7月3日まで待つように申し入れ、その間に、私は、炭労事件を学会の勝利で決着させて、3日に大阪に赴いたのである。
 先日もお話ししたが、先生は経由地の羽田に来てくださり、「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」とおっしゃってくださった。歯ぎしりするように、泣いておられた。
 ありがたい師匠であった。荘厳な師弟のドラマを刻んでくださった。
5  あの豪快な戸田先生も、牧口先生に対しては、ひれ伏すように仕えておられた。
 私も常に、居住まいを正して、戸田先生をお迎えした。青春のすべてをなげうって、先生をお守りしてきた。
 先生の方も、どれほど私を大事にしてくださったか。私を苦しめた人間がいると、「大作をいじめるのか!」と五体を震わせて怒っておられた。
 戸田先生は私を、命をかけて育ててくださった。それ以上の栄冠は、ほかにないのである。
6  組織は人が根本
 創価の父・牧口先生は、こう戸田先生に言われたという。
 「組織がどのように完備されたとしても、それを運営するのは人なのだ。人が根本なのだ」
 全くその通りだ。どんな大組織も、それを運営する「人」が慢心になり、油断すれば、崩れるのは早い。反対に、リーダーがたえず自身を鍛え、成長するならば、組織はどこまでも発展していける。
 私は、特に男性の幹部に何度でも申し上げたい。
 それは、徹して、女性を大切にするということである。女性を下に見て、命令するような態度の男性幹部ほど、愚かなものはない。
 また会合でも、格好をつけた話や、難解な話ではなく、皆が心から納得し、感動し、勇気と希望をもって進んでいけるよう心を砕くべきである。
 地域広布に一番、一生懸命に戦ってくださっているのは婦人部である。そして女子部は、学会の宝である。
 女性を尊敬し、大事にしていくことが、広宣流布の道なのである。法華経(提婆達多品)には竜女の即身成仏が説かれている。
 竜女は、師の釈尊に誓願する。
 「私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります!」
 そして、女人成仏を信じず、自分を軽んじてきた男性の二乗の弟子たちに、「わが成仏を見よ!」と、成仏して衆生を教化する姿をあらわした。
 それを見て、娑婆世界の衆生は、大歓喜して竜女に敬礼を捧げたというのである。私には、この竜女の姿に、健気な婦人部、女子部の皆さまが重なるのである。
7  さらに、リーダーは公平でなければならない。
 とりわけ、身内の人間の話だけを鵜呑みにして、組織の人々に評価を下すのは、もってのほかである。
 個人的な親しさと、広布のリーダーとしての判断は、厳しく立て分けるべきである。
8  信心で決まる
 戸田先生は「全体観に立って、陰で万全を尽くして手を打つ人間がいてこそ、戦いは勝利できる」と言われていた。
 私は、広宣流布のため、一瞬、そして一日たりとも無駄にしないで戦ってきた。日本中、世界中にあらゆる手を打ってきた。
 要領など一切、使わない。真剣勝負で行動してきた。だから格好だけ、表面だけの人間は、すぐにわかる。
 また、有名大学を出たからといって、信心があるとは限らない。
 学歴があるから、その人を大切にする。幹部にする――それでは学会の組織はダメになる。
 これまでも学歴を鼻にかけて増上慢となり、皆から嫌われ、ついには退転していった幹部がいた。
 学歴がなくても、信心があり、人間性が立派な人がリーダーになる――これが学会である。この点を勘違いしてはならない。
9  先日、茨城のある婦人の方から、丁重なお手紙を頂戴した。
 そこには、学会とともに、師弟の道に生き抜く喜びと感謝の思いが綴られていた。
 こうした純粋な思いを持った方々によって学会は支えられ、発展しているのである。このことを決して忘れないでいただきたい。
 信心ほど強いものはない。信心をやり切った人が、最後は勝利の実証を示していけるのである。
10  生死は不二
 大切なのは、何があっても学会から離れないことだ。
 学会活動をする人は諸天善神から守られる。「諸天善神」といっても、決して特別な存在ではない。
 例えば、何かあったときに、大勢の人々によって守られる――こうした厳然たる事実が、諸天善神の働きなのである。
 また、愛する家族を病気や事故などで亡くされることがあるかもしれない。本当に悲しい、そして悔しい出来事であると思う。
 しかし妙法を持ち、信心に励んでいくならば、亡くなった家族と生々世々、同じ場所に生まれてくることができる。永遠に一緒である。
 日蓮大聖人は夫に先立たれ、息子を亡くした南条時光の母に、こう仰せである。
 「悲母がわが子を恋しく思われるならば、南無妙法蓮華経と唱えられて、亡き夫君と御子息と同じ所に生まれようと願っていかれなさい。
 一つの種は一つの種であり、別の種は別の種です。同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるならば、同じ妙法蓮華経の国へお生まれになるでしょう」(御書1570㌻、通解)
 生死は不二である。だから、さびしいことなどはない。絶対に負けないで、生き抜いていただきたい。
 御聖訓には、こうも述べられている。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待って、ごらんなさい。
 妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもつて8つの道を仕切っている。
 天から4種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。
 我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である」(同1386㌻、通解)
 また、大聖人は、こうも仰せである。
 「(もしも)今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすようにうれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう」(同1480㌻、通解)
 広宣流布のために生き抜いた人は、最高の幸福境涯を築くことができる。そして、「生も歓喜」「死も歓喜」という生命の軌道を歩んでいけるのである。
 大聖人は、南条時光にあてた御手紙の中で、「あなたの御臨終の際、生死の中間(=生から死へ移る間)には、日蓮が必ず迎えにまいるであろう」(同1558㌻、通解)とも述べておられる。
 妙法流布に尽くした人を大聖人が最大に讃嘆し、生死を超えて御守りくださることは間違いない。
11  今いる場所で全力を尽くせ
 「信心即生活」である。現実に勝つための仏法だ。
 真剣に祈り、努力する。最高の智慧を発揮して、仕事で実証を示していく。そうであってこそ、仏法の偉大さも証明される。
 戸田先生は、きちんとあいさつができない人間、朝、遅刻するような人間は出世できないと言われた。
 上に立つ人間は、何事も人より率先して行わなければならない、また、礼儀正しくなければ務まらない。
 「おはようございます!」と元気にあいさつをする。「ありがとうございます!」と、すがすがしくお礼を言う。
 一遍のあいさつが、相手を感動させることがある。人の心を動かすのだ。
 また、戸田先生は、こう言われていた。
 「はじめから希望通り理想的な職業につく人は、まれだろう。思いもかけなかったような仕事をやらなければならない場合のほうが多い。
 こういう時、へこたれてはいけない。自分の今の職場で、全力を挙げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ」
 大切なのは、今、いる場所で勝利していくことだ。信頼を勝ち取っていくことだ。
 その上で、信心根本に戦っていくならば、必ず自分が望むような、最高の舞台が開けてくる。それが妙法である。
12  正確な情報を! 直ちに手を打て
 兵法の書として世界的に有名な『孫子』。かつてナポレオンも、この書を学んだという。
 『孫子』では、こう述べられている。
 「勝利する軍は、まず勝利を確定しておいてから、その勝利を予定通り実現しようと戦闘するが、敗北する軍は、まず戦闘を開始してから、その後で勝利を追い求めるのである」(浅野裕一訳『孫子』講談社学術文庫)
 綿密な情勢分析と作戦に基づき、勝つべくして勝つ――これが重要だとの指摘である。
 さらに、いくつか紹介したい。
 「相手の実情を知って自己の実情も知っていれば、百たび戦っても危険な状態にはならない」(同)
 「軍争の難しさは、迂回路を直進の近道に変え、憂いごとを利益に転ずる点にある」(同)
 「敵と戦うことなくして、計略をもって敵の兵を屈服させることが最上の方法である。それゆえ、敵と戦うに際し取るべき最上の戦術は、敵のはかりごとを未然に挫折させることである」(天野鎮雄釈『孫子・呉子』明治書院)
 いずれも示唆に富んだ言葉である。
 また、同じく兵法の書として有名な『呉子』には、将のあり方について、「戦闘をなすに当たっての大きな妨害は、ぐずぐずして事を決しかねること」(同)と論じている。
 戦いに臨んでリーダーがあれこれ迷っていては、敗北は必至だ。ゆえに、的確に情勢を把握し、直ちに手を打っていかねばならない。
13  強き一念で!
 まもなく、小説『新・人間革命』第19巻の連載を、聖教新聞紙上で開始する予定である。〈9月1日付から。同巻の第1章は1974年、山本伸一会長の7度目の沖縄指導から始まる〉
 思えば、私が『人間革命』の執筆を開始したのは、沖縄の地であった。
 これまで沖縄の皆さんには、大変にお世話になった。沖縄には、本当に毅然とした、立派な信心の方が大勢いらっしゃる。
 草創の同志との思い出は尽きない。沖縄は、私が全力を注いで広宣流布の基盤をつくりあげた地である。私は沖縄の友を深く信頼している。そして沖縄の友のご多幸と勝利を毎日、真剣に祈っている。
 皆さんに、ベネズエラ独立の先駆者フランシスコ・デ・ミランダの言葉を贈りたい。
 「自分自身の尽力によって、人々の幸福のために不可欠な基盤である社会の安穏と平和の確保に貢献できるならば、私は幸福者である」
 「一致団結して同じ地点に向かって行進しよう。なぜなら、不和は我々の救済と独立を危険にさらすだけだからである」
 大切なのは団結だ。団結こそが、勝利への原動力である。
 彼は、こうも述べている。
 「決して狼狽することはない。準備に全力を注ぐのだ」
 「すべては我々の決意次第である」
 強き一念が、新たな突破口を開いていくのだ。きょうは長時間、本当にありがとう! 各地の同志の皆さまに、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。またお会いしましょう!

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