Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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徒然草と恩師の指導を語る  

2006.8.11 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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2  学びの夏!
 「鍛えの夏」「挑戦の夏」「大成長の夏」は真っ盛りである。
 創価大学では、学びゆく友が生き生きと集う、通信教育部の夏期スクーリングが素購らしき伝統となっている。
 猛暑のなか、真剣に向学の汗を流される皆さま方に、心からの賞讃を送りたい。〈夏期スクーリングは海外21カ国・地域からも受講。6日から20日まで行われ、6,000人を超える友が参加した〉
 私も若き日、戸田先生のもとで働きながら、毎日毎日、学びに学んだ。
 先生から直接、万般の学問をご教授していただいた。「戸田大学の優等生」であったことが、私の最高の誇りである。
3  25日から創大で夏季大学講座
 さらにまた、8月下旬には、広く市民の方々に開かれた伝統の夏季大学講座も行われる。〈今年は第34回。25日から27日に行われる〉
 かつて私も、第1回(1973年=昭和48年)、第2回(74年)の講座に招かれ、講演させていただいた。
 第1回のテーマは「文学と仏教」。その折、取り上げた一つが、「徒然草」であった。
 「枕草子」などと並んで、日本文学史に光る名随筆である。
 きょうは、求道の友と、緑の木陰で、涼風に吹かれながら懇談するような思いで、「徒然草」などをめぐり、また懐かしき恩師の指導を通して語り合いたい。
4  つれづれなるまま自由闊達に
 「徒然草」という標題の由来は、有名な序段の一文にある。
 「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしことを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
 (所在なさにまかせて、終日、硯に向って、心に浮んでは消えてゆくとりとめのないことを、気ままに書きつけていると、ふしぎに物狂おしくなる)
 〈以下、徒然草の原文と現代語訳は三木紀人訳注『徒然草』講談社学術文庫による〉
 闊達な筆致。序段と243の章段で取り上げられた話は、実に多岐にわたる。そこには当時の風習が息づき、人間への洞察がある。説話あり、史実や迷信の究明あり、建築論あり。すべて簡潔明快に記されている。
 作者は鎌倉末期の歌人・兼好。1283年(弘安6年)ごろに生まれたと推定される。これは、日蓮大聖人の御入滅の翌年に当たる。
 代々、朝廷に仕えてきた家で、兼好は、宮仕えののち、30歳ぐらいで「遁世」する。すなわち、官職などから離れ、隠遁生活に入った。
 鎌倉幕府が滅び、南北朝、室町時代へと移りゆかんとする激動の時流を見すえながら、不朽の文字を綴り残していった。
 兼好は、歌人としても活躍し、貴族や足利家の武将とも交流した。当時を描いた「太平記」にも兼好の名が登場する。
5  「見ぬ世の人を友とする」
 徒然草の成立時期は、いつであったか。
 諸説あるが、1330年(元徳2年)ころ、兼好が50歳前後の時期とも言われている。
 ちなみに、その3年後の1333年は、鎌倉幕府滅亡の年。第三祖・日目上人の御入滅の年でもあった。兼好は長命で、1352年(観応3年)以降に死去したと言われる。
 じつは、兼好の生きた当時、この徒然草の存在は、ほとんど知られていなかった。
 1448年、室町持代の歌人・正徹しょうてつとその弟子が、いくつか世に存在した徒然草の写本を読み、その真価を見いだして、世に知らしめたのである。
 兼好の死後、100年を経てはじめて、「徒然草」は正当な評価を得たといってよい。
 そもそも徒然草では、読書について、「見ぬ世の人を友とする」営みと言っている。兼好も、目先の毀誉褒貶を超えて、未来の友を見つめつつ、筆を振るっていたのかもしれない。
 戸田先生は、よく語っておられた。
 「100年先、200年先の人びとから仰がれゆく人生を生き抜け!」と。
 私は、創価の人間主義の連帯を、世界190カ国・地域に広めた。牧口先生、戸田先生を全世界に宣揚した。尊き同志の皆さまとともに。
 これこそ、恩師の仰せ通りの、“100年、200年先の人々から仰がれゆく”歴史の劇であると確信してやまない。
6  徒然草は室町時代以降、愛読された。特に江戸時代の初頭に深く浸透し、80年余りの間に、10数種類もの注釈書が書かれたという。
 作者・兼好への関心も高まり、次々と伝記物語が誕生した。
 有名な近松門左衛門も、兼好にちなんだ『つれづれ草』『兼好法師物見車』という浄瑠璃を創作している。
7  日寛上人も引用
 群馬出身の日寛上人も、文段のなかで、徒然草を引用されている。
 「妙法尼御前御返事」の文段で、「老いたるも若きも定め無き習いなり」(老いた者も若い者も、いつどうなるか分からないのが世の常である)との御聖訓に関して、次のように記されている。
 「徒然草の四十九段に云く『速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事をいそぐなり』と」
 すなわち、早急にすべきことを後回しにし、後にすべきことを先にしている。そのうちに、一生は過ぎ去ってしまい後悔する――というくだりである。
 優先すべきことは何なのか。それを知れ。まず、それをなせ。さもないと、悔いを残すぞ。そう戒めているのである。
 兼好は、次のようにも綴っている。
 「一生のうちで、とくに望むことの中でどれがたいせつかと、よく思い比べて、いちばんたいせつなことを思い決めて、それ以外は断念して一つの事に励むべきである」
 「一つの事をかならずし遂げようと思うなら、他の事がだめになるのを残念がってはならない。
 人の嘲りを気にしてもならない。万事を犠牲にしないかぎり、一つの大事が成るはずはない」(第188段)
 人生の一大事とは、何か。それは、永遠に崩れない、絶対的幸福をつかむことだ。嵐にも揺るがない、不動の自分を築くことだ。その根本の力は、妙法である。妙法を唱え、広めて、自分も、人も、幸福になる。全人類の宿命を転換する。それを広宣流布という。
 戸田先生は言われた。
 「人間は、権力や金のために汲々とするか、信念のために死ぬか、どちらかである。大理想に生きて、そのもとにわれ死なん、というすがすがしい気持ちで諸君は行け」
 何のために生きるのか。その一点を忘れてはならない。
8  2本の矢に現れた心のゆるみ
 第92段に有名な一文がある。
 「ある人が弓を射ることを習うのに、2本の矢を手にして的に向かった。
 すると、その師が『初心者は、2本の矢を持ってはならない。後の矢をあてにして、初めの矢を射る時に油断が生ずるからだ。毎回、失敗せずに、この矢1本でかならず当てようと思え』と言った。
 わずか2本の矢しか持たず、しかも師匠の前で彼が1本の矢をおろそかにするつもりはあるまい。
 しかし、2本の矢に現われた心のゆるみは、本人は気付かなくても、師匠がそれと洞察したのである」
 師匠は、弟子の心がよくわかるものである。これは万事に通ずる。師匠ありてこそ、本物となる。その道の“達人”となれるものだ。
 いわんや、仏法は、最高の人間道である。師弟こそ、仏法の根幹であり、学会の土台である。師匠の一言一言を大事にして、将来にわたる指針とするのだ。そこに、師の精神は永遠に生きていくのである。
 第92段は、こう結ばれている。
 「ただ今の一念において、ただちにする事のはなはだ難き」(その事を思い立った瞬間にすぐに実践するということは、なんとむずかしいことだろう)
 「あとでやろう」と先延ばしにするな。やるべきことを、今、この時に直ちになせ、というのである。
 創価学会は、「臨終只今」の一念で、真剣勝負の行動に徹してきた。だから、ここまで発展してきたのである。
9  所々をぼかしてもっともらしく
 中世の動乱のなかを生きた兼好。社会の現実をえぐる目は鋭い。
 第73段「世に語り伝ふる事」には、現代にも通じる、重要な戒めが残されている。
 はじめに、「ほんとうの話というものがおもしろくないからか、世間で語り伝える話は、ほとんどがまったくのうそである」――兼好は、そう指摘する。
 そして、年月がたち、その嘘が文字として書き記されてしまうと、「それが事実として定着してしまう」というのである。
 これが嘘、デマの本質である。そして、こう綴られる。
 「いかにももっともらしく所々をぼかして、よくは知らないふりをして、そのくせ、話のつじつまを合わせて語るうそは、ほんとうらしいだけに恐ろしいことである」
 「だれもがおもしろがるうそは、ひとりだけ『そうでもなかったのに』と言っても仕方ないので、聞いているうちに、黙認したばかりか証人にまでされて、いよいようそが事実のように定着してしまいがちである」
10  民衆が主人 民衆に仕えよ
 卑劣な嘘を放置しておくことは、人々の心に“毒”を流してしまうことである。傍観は悪である。迅速かつ徹底して追撃し、根を断ち切ることだ。そうでなければ、苦しむのは庶民であり、民衆である。
 戸田先生は明快に仰せになられた。
 「日蓮大聖人の仏法は、邪悪な権力と戦う、庶民のための仏法である。ゆえに学会は、いかなる時代になろうとも、どこまでも庶民の味方になり、庶民を立派に育て、守っていくのだ。そうすれば学会は永遠に栄えていく」
 さらに、こう厳しく言い放たれた。
 「今は民主主義である。民衆が主人なのだ。いかなる権威の人間も、民衆に仕えるためにいる。それを逆さまにするな!」
 民衆が主人。民衆が主役。その時代をつくるために、学会は立ち上がった。戸田先生は、増上慢になった人間たちには、容赦しなかった。
 「この崇高なる仏法の世界を見下ろすとは、何事か! どんなに社会的に有名になっても、折伏し抜く闘士、仏法を行じ抜く英雄の心を失えば、一つも偉くない。君らは畜生根性に成り下がったのか!」
 有名で、地位や学歴があり、世間でもてはやされる人間が偉いのか。とんでもない。それは仏法の位とは、まったく関係ない。
 また、戸田先生は、「自分は陰にいて、人を立てることのできる人が、偉いのだ」とも、よく語っておられた。
 そして、陰で広布を支える方々への感謝と励ましを忘れなかった。
 「常に自分の目にふれる範囲だけに気を配っていればよいという考えだけであっては絶対にならない。目に見えない陰の分野で活躍している人達にこそ、こまかく心を配り、励ますことを忘れてはならない」
 「現実に、地道な苦労をしている陰の人をこそ、最大に尊敬し、守っていかねばならない」
 陰の人に光を――先生は何度も、この急所を教えてくださった。
11  19歳の出会い
 戸田先生は、厳然と言われた。
 「恩を仇で返すやつは、人間として極悪だ。そんなやつは人間として最低だ。そんな人間になるな。そんな人間とは、絶対につきあうな!」
 生涯、恩を返していくのが人間の道である。
 私は戸田先生との誓いのままに生きた。わが青春のすべてをかけて師弟の道に生き抜いた。
 1947年(昭和22年)の8月14日。戸田先生と初めて出会った。19歳の夏だった。
 先生は「私の弟子になれ!」。私は「はい、なります!」。そんな心と心の語らいの瞬間だった。劇的だった。
 以来、約60年――。私はずっと、戸田先生と一緒である。
 本気で「師弟の道」を進む人間が、ただ一人いればよい。
 戸田先生には、私という弟子がいた。先生は、私を命がけで薫陶してくださった。
 「大作さえいてくれれば、あとは学会は栄えていく」と言われていた。
 戸田先生は幸せだった。大満足の人生であられた。それは、私が一人、先生をお護りしたからである。これが本当の師弟である。厳粛な師弟の世界である。
12  日々、師と共に!
 師匠のため、同志のため、広宣流布のためか。それとも、自分だけのため、私利私欲のためなのか。それを徹して峻別しなければならない。
 戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布の行動をしているように見せながら、すべて自分自身の利害のために動いている人間は、私の敵である」
 私は、この年代になって、毎日、戸田先生のことを忘れないで生きていられる。
 本当に幸せだ。毎日、先生と一緒である。毎日、心の中で、先生と対話しながら、未来への勝利の道を開いている。これが本当の師弟不二である。不思議なる一体の闘争なのである。
 この崇高な師弟の精神を根幹とする限り、学会は強い。壊れない。師弟を忘れたら、破和合僧が始まる。そこには、もはや仏法はない。
 師弟の心を分断しようとする悪とは、猛然と戦え! 打ち砕け! それが、学会が永遠に発展しゆく根本の道である。
13  「徒然草」は、数多くの作家たちが愛読してきた。
 私が語り合った評論家の小林秀雄氏は、「徒然草」と題した評論のなかで、『エセー』の作者であるフランスのモンテーニュと比較して、“モンテーニュがやったことを、その200年も前に、はるかに鋭敏に、簡明に、正確にやった”と評価していた。
 『たけくらべ』などで有名な樋口一葉は、徒然草に深い思想的影響を受けたといわれる。
 歌人の与謝野晶子は、「新訳徒然草」を出している。
 武者小路実篤は「徒然草私感」のなかで、“読めば読むほど、どこにも無駄がなく、書く理由がなくて書いたところが一つもないのに感心する”と綴っていた。
 「徒然草」の言葉を、さらにいくつか紹介したい。
14  政治を監視せよ
 「昔の聖天子の御代の理想的な政治をも忘れ、民が嘆き、国が衰えてゆくのも意に介さず、万事に華美の限りを尽してそれを得意がり、大きな顔をしている人は、なんとも実に無分別なものだと思われる」(第2段)
 いつの世も変わらぬ怒り、嘆きである。
 権力を持つ人間、政治家を、民衆が、なかんずく青年が、厳しく監視し、戒めていかなければならない。その必要が、ますます高まっている。
15  抜苦与楽を実践
 戸田先生は指導者の姿勢について語られた。
 「大聖人の仰せに『一切衆生の同一苦は悉く是の名人は日蓮一人の苦と申すべし』とある。なんという慈悲の広大さか。政治の要諦も、この大聖人の一言に帰するのである」
 政治の世界をはじめ、世の指導者が、「同苦」の精神を忘れる――これほど、民衆にとって不幸なことはない。
 戸田先生は、こうも述べておられる。
 「政治も、経済も、科学も、教育も、すべて人間の手に取り戻して、人類の幸福の糧としていくことだ。そこに、これからの創価学会が果たしていかねばならぬ使命がある。仏法の社会的行動がある」
 私たちは、「人間革命」の実践を核として、このような世界を目指している。私たちの目的は、一人一人が、個人的な成功や社会的実証を得ることだけに、とどまらない。
 それだけで終わるような、ちっぽけな、狭いものではない。もっと深い次元から、もっと恒久的な、平等で幸福な世界をつくるのだ! これが戸田先生の信念であった。それはそのまま私の理想である。
 「抜苦与楽」の哲学を、現実の社会で実践していく。ここに、学会の責任があることを、忘れてはならない。
 さらに、次のような巧みな比喩をもって語られたこともあった。
 「見事にできあがった創価学会の姿をたとえるならば、海から上がった、生き生きとした大きな鯛である。
 この学会の姿に、食い入るような目をさし入れた怪物がある。
 むくろまで食いしゃぶろうとして、かかってきている。恐るべきことではないか。
 われわれは、この魔物に対して、身構えをしなければならない。
 『この創価学会を、野犬の群れに食わせてなるものか!』と」
 先生の鋭い洞察力を間近に感じる言葉である。学会のリーダーには、この迫力がなければならない。
 また、戸田先生は言われた。
 「今こそ最高幹部が、目の色を変えて働く時だ。そして最前線の同志を守り、新たな突破口を開いてもらいたい」
 今もまた、その時である。大事なのは「最前線」だ。最高幹部が、「一兵卒」として戦う時である。
 牧口先生が、ご自身の御書に傍線を引かれた御聖訓に、有名な「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」の一節がある。
 私は、広布の責任者として、戸田先生の弟子として、行った場所、行った場所で、間断なく突破口を開いてきた。今もそうである。
 当然、体は大事だ。幹部も、疲れをためないよう、聡明に休息をとっていただきたい。
 しかし、広布の戦いを忘れてはいけない。そうなれば、会員がかわいそうだ。会員のための幹部である。
16  愚人にほめられたるは第一の恥
 「徒然草」に、こうある。
 「きわめて愚かな人は、ふとしたときに賢い人を見て、これを憎む。『大きな利益を得ようとして、わずかな利益を受けないで、うわべを偽って名声を得ようとするのだ』と悪口を言う。 賢人の行為が自分の心と違うのでこのような非難をするのである」(第85段)
 大聖人は、「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と仰せになられた。
 牧口先生は、「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」と断言された。
 愚人は、「本物」を目にしても、正当に評価することができない。
 ゆえに、愚人のまき散らす、つまらぬ文句に左右されることほど、愚かなことはない。
 自ら信じた道を、正義の道を、堂々と進めばいいのである。
17  「もう大丈夫」に思わぬ失敗が
 「徒然草」の第109段には、有名な“木登り”の話がある。
 木登りの名手が、木から降りてくる人に対して、高い所にいる時でなく、地上に近づいてから、注意を促した。
 「私が『この程度の高さまで降りたからには、飛び降りることもできるだろう。それなのに、なぜそんなことを言うのか』と申すと、(木登りの名手は)『そこが肝心なのです。目が回るような高さで、枝も折れそうな間は、本人が気をつけているので何も申しませんでした。けがというものは、安全な所まで来てするものなのです』と言った」
 万事、最後の総仕上げが大事である。
 「もう、大丈夫だ」と思ったところで、思わぬ事故を起こしたり、失敗してしまう場合がある。
 広布の戦いであれ、仕事であれ、きちんと決着をつけ、有終の美を飾ることだ。
18  水魚の思で!
 戸田先生は、「創価学会のこれまでの発展というものは、なんの団結によるものかといえば、信心の団結以外には何ものもない」と語っておられた。
 勝利の鍵は、どこまでも「水魚の思」であり、「異体同心」である(御書1337㌻)。それがなければ、思わぬところで失敗してしまう。
 まさに「水魚の思」で、牧口先生、戸田先生が築いた学会である。私もまた、命を削って築いてきた。この師弟のリズムに、心して、呼吸を合わせていくことだ。
 学会の団結には、上も下もない。単なる上下関係になったら、それは誤った官僚主義であり、大勢の犠牲者を出してしまう。絶対に戒めなければならない。
 心を一つにして、同じ目標、同じ信念で、困難を切り抜ける。そこに、いっそう堅固な団結が生まれる。
19  自身を知る人が道理を知る人
 「賢げな人も、他人のことばかり判断を加えて、自分のことは知らないものだ。
 自分自身を知らずに他人のことを知るなどという道理はない。だから、自分を知る者を、物の道理を知る人というべきだ」(第134段)
 また、次のような一節もあった。
 「すべての欠点は、ものなれたさまをして巧者ぷり、得意そうなさまをして、人を軽んじるところにある」(第233段)
 「万事、自分の外に向かって求めてはならない。ただ、身近なところを正しくすべきである」(第171段)
 自分の人生は、自分で歩むしかない。自らを見つめ、“馴れ”を排し、慢心を排して、真剣に、誠実に、自らの使命の憎を、まっしぐらに完走する。その人が、真の勝利者である。
20  まず一歩を踏み出せ!
 「一芸を身につけようとする人は、『まだ下手な間は、うかつに、人に知られないようにしよう。ひそかに習得してから人前に出れば、それこそたいへんりっぱに見えるだろう』と言いがちであるが、こんなことを言う人は、一芸も物にできないのである。
 まだまったく芸が未熟なうちから、上手な人の中に交じって、けなされたり、笑われたりしても意に介さず、平気でその時期を過ごして打ち込む人は、天分はなくても、中途半端な状態にとどまらず、自己流に走らないで年を送れば、天分はありながら集中力のない人よりは、最後に名人の域に達し、長所も伸び、人から認められて名声を得ることになるのだ」(第150段)
 これもまた、深い示唆のある一節だ。
 学会活動はもちろん、どのような向上の道であれ、遠慮はいらない。
 「私には力がないから」とか、「もう少し確信が深まったらやります」とか、そう言っているうちに、人生は終わってしまう。
 まず一歩を踏み出すのだ。うまくいかないことがあっても、「よし!」と思い直して、何度でも挑戦すればいい。その連続のなかに成長があり、幸福もある。
21  作家の吉川英治氏は、『私本太平記』で、兼好のことを、庶民や弱い者の側に立つ人物としてとらえている。
 そして「徒然草」を、“世に残そうとせず、反古(=不用の紙)に書かれたままだったものを、兼好の弟子が集めてできた書”と描いた。
 そして「ふしぎな宇宙の識別というしかない。不壊の権力とみえる物も、時の怒濤の一波のあとには、あとかたもなくなり、反古に貼られた一法師の徒然な筆でも、残るいのちのある物は、いつの世までも持ちささえてゆく」と綴っている(講談社『吉川英治全集』)。
 私たちは、万年の未来へ輝きわたる勝利と栄光の大叙事詩を、晴れ晴れと残していきたい。
22  若手を伸ばせ
 さらに、戸田先生の指導者論に触れておきたい。
 「たとえ自分には力がなくとも、自分の部下に、自分にはないものを持っている人を用いていけば、自分にはなくとも、あるのと同じことになる」
 広宣流布は、「長の一念」が重要であるとともに、決して一人だけで成し遂げることはできない。皆の協調と知恵によって、組織を一新させることができる。
 また、こうも言われていた。
 「年をとって、だんだん上に上がっていくというようなかたちは悪い。
 広宣流布は、みんなの手でできるのだから、新人を抜擢していくことが大事である」
 若手に新しい責任を与ええることが、人材育成にもなり、組織も生き生きとする。ここに、リーダーの見識が表れるといってもよい。
23  学会の「中心」は会員であり師弟
 「悪と戦う心」について、戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「破折精神を忘れた者は生ける屍だ。破折精神を忘れた者が幹部になれば、会員が可哀想だ」
 悪を悪と言い切る。敢然と声をあげる。その勇気なきリーダーは「生ける屍」だ。
 その本質は見栄であり無責任だ。苦しむ人を見ても“知らん顔”をする。これほど“ずるい”ことはない。
 悪と戦い、ずるい心と戦う。これが人生勝利の根本である。
 ある時には、幹部に対して、「広宣流布の途上にあって、絶対に、五老僧のごとき存在にだけはなるな!」とも危倶されていた。
 五老僧とは、師の教えを軽んじ、自分の身の上だけを考える、増上慢の存在である。
 どんなところにも「中心」、がある。リーダーは、「中心」を重んじなければならない。学会の中心は、会員である。師弟である。
 増上慢は、この中心を認めようとせず、逆に、破壊する。そうした存在とは、断固、戦わねばならない。
 広布のリーダーは、一面から言えば、自分自身との厳しき戦いが不可欠である。そして、その戦いに勝利すれば、境涯も大きく開ける。宿命転換の実証も大きい。
24  人格こそ最も優れた持ち物
 特に、若い皆さんに伝えておきたい箴言がある。
 アメリカの作家オルコットは、「人格こそは金よりも階級よりも知性よりも美よりもすぐれた持ち物である」と綴った(吉田勝江訳『続若草物語』角川文庫)。
 私も同感だ。
 仏法の眼からみれば、人生の本当の勝利のために必要なものは、学歴でもない。社会的地位でもない。それは信心である。信心で、人格も鍛えられる。それは人生にとって最大の財産となる。
 現在の創価学会をつくりあげてきたのは、尊き無冠の庶民である。学会は、庶民のための組織である。
 私は、日本国内だけでなく、世界各地の同志に喜んでいただけるよう、周りから「そこまで気を配るのか」と言われるほど、細かいところまで力を尽くしてきた。
 だから創価の世界は強いのである。この「民衆に尽くす志」を、今、青年の世代の諸君に伝えておきたい。
25  壁を破れ!
 戸田先生は、常に青年に期待されていた。
 「学会も、中核の青年がいれば、いな、本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」と、よくおっしゃっていた。
 創立80周年へ、また創立100周年へ向けて、青年が立ち上がる時だ。私はその時を待ち、時をつくっている。
 新たな広布拡大のリーダーが各地で誕生している。戸田先生は、組織の責任者に対して、実に厳しかった。
 「人のつくった地盤で幹部になり、その椅子にでんと座っている人が多い。自分一人で組織を育ててきた人は少ない」
 このように指摘されることもあった。
 また、常々「指導者は、人を引きつける力を持たなくてはならない」と話しておられた。
 新たな役職は、新たな成長のチャンスである。
 自身の壁を破り、拡大の歴史を見事に残していただきたい。それが私の喜びでもある。
26  一日一日を勝利
 この50年をかけて、私は牧口先生、戸田先生の正義を宣揚してきた。
 明年の春、世界を代表する名門、アメリカのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジから、教育哲学をテーマとする研究書が発刊される(「思想と行動――世界の教育哲学と実践にみる普遍的ビジョン」〈仮題〉)。
 そのなかで取り上げられる、10人の代表的な教育者のなかに、創価教育の父である牧口先生が入っている。
 他の9人には、アメリカのデューイ、中国の陶行知、イタリアのモンテッソーリ、インドのタゴール、ドイツのシュタイナーなどの、世界的な教育者が選ばれている。
 また先日は、著名な宗教史学者であるリチャード・シーガー博士(ハミルトン大学准教授)の新著『仏法との出会い――池田大作、創価学会、そして仏法人間主義のグローバル化』が、全米の学術出版界を代表するカリフォルニア大学出版から発刊された。
 そのなかで博士は、SGI(創価学会インタナショナル)がこれまで発展し、今後も発展していくための鍵として、「師弟の絆」の重要性に言及されているのである。
 心ある世界の識者は、真剣に学会の未来に注目し、誠実に研究されている。国境を超えて、多くの人が、真実を求めている。
 それらの声に、いっそう力強く、応えていきたい。その決意と、青年への期待を重ねて申し上げて、私の話を終わります。
 まだまだ残暑は続く。賢明に、一日一日を勝利していってください!
 〈編集部でまとめる際、三木紀人訳注『徒然章』講談社学術文庫、島内裕子『兼好』ミネルヴァ書房等を参照しました〉

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