Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西・九州・中国・四国合同研修会  

2006.8.7 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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2  戦争は絶対悪
 8月といえば、終戦のころを思い出す。あれから61年になる。終戦の日――昭和20年の8月15日前後に、どこで、何をしていたか。
 そのときの話を、周囲の年配の方々に聞くだけでも、あの戦争によって、どれだけ多くの家庭が、はかりしれない苦しみを昧わったかがわかるだろう。
 空襲で逃げまどい、家を焼かれ、疎開する。引き揚げで家族がバラバラになる。肉親を失う。シベリアに抑留される。戦地から復員しても、病気になって早逝した人もいる。
 数え切れない悲しみの慟哭が、アジアを覆い、世界を震わせた。戦争を知らない皆さんは幸せだ。戦争ほど悲惨なものはない。戦争は絶対悪である。
 断じて二度と繰り返すな! この誓いを新たにしたい。そのための人間革命運動であるからだ。
3  恩師の心をわが心として
 戸田先生の指導は、実に厳しかった。
 「愚か者に広宣流布の指揮は執れぬ!」
 「打てば響くような人間になれ!」――厳愛の薫陶を受けながら、広布のため、友のため、戸田先生とともに国内のさまざまな場所を訪れた。
 日本で、そして世界の各地で、戸田先生の心をわが心として、多くのドラマを綴ってきた。
 そのなかでも、やはり関西での思い出は、ひときわ深い。
 昭和32年(1957年)7月。私は、理不尽な冤罪によって大阪府警から任意出頭を求められ、北海道から羽田を経由して、大阪に向かった。
 北海道で、大阪で、魔性の権力が学会に襲いかかっていた。その渦中だった。
 羽田空港には、戸田先生が来てくださっていた。先生は、涙を浮かべて私に語られた。
 「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
 私は、魂を揺さぶられた。いつの時も、あまりにも偉大な先生だった。
 先生は、折に触れて言われた。
 「末法の仏道修行とは、人々が一緒に並んで、一緒に手を組んで、一緒にかけ声をかけながら、勝ち進んでいくのだ!」
 私は、恩師の言葉どおりに、愛する関西の同志とともに、常勝の歴史をつくってきた。
 この11月には、「関西池田記念会館」が完成する予定である。今後、全国の法城を、学会の発展とともに、さらに充実させていく。会員の皆さんに喜んでいただけるように、立派に整備していきたい。
4  時代遅れの幹部になるな
 私は、牧口先生、戸田先生の言論、指導を、できるかぎり記し、残してきた。
 尊き広布の同志が、何が起ころうとも微動だにしない。その基盤を今、万代の未来のために、つくっておかねばならない。
 仏法は厳しい。ゆえに、本当のことを言っておきたいのである。真実を語る空気がなければ、組織はだめになってしまう。
 リーダーには、「何でも言える雰囲気」「何でも語り合える環境」をつくる責任がある。その意味において、恩師の指導を何点か確認しておきたい。
 戸田先生は語られた。
 「時代遅れの幹部になるな。幹部自ら勉強し、成長し、『人間革命』していくことだ。そして同時に、新しい時代を創っていく、若い幹部を登用し、バトンタッチしていかねばならない」
 リーダーは、硬直した、古い考えになっては、だめだ。自分自身が変わり続けることだ。常に、新鮮味のある生命で、笑顔で、真心で、会員の皆さんに接していただきたい。
 また、先生は次のようにおっしゃっていた。
 「ずる賢く、威張り散らすのは悪い幹部だ。人と接する誠心誠意の真心がわからない」
 「幹部の地位を利用して、女性を叱るのは、野蛮人のすることである。野蛮人は人間ではない。そういう人間は、断じて学会の世界に入れてはならない」
 「威張る幹部、礼儀を知らない幹部、誠意のわからない幹部、慈愛のない幹部、生意気な幹部、すぐに人を軽蔑し叱る幹部。
 そんな幹部には、女性が中心となり、厳重な措置を求めていただきたい」
5  信心のある人を讃嘆せよ!
 学会員は、仏法の眼からみれば、「全員平等」である。
 学会の世界において“偉い人”とは、“役職の高い人”などではない。
 偉いのは、折伏をやった人であり、わが地域に、立派な団結と幸福の組織をつくった人だ。
 要するに、信心のある人、学会精神を大事にする人が偉いのである。その方々を讃嘆すべきである。それ以外の、どんなこまかしや妥協も、峻厳なる仏法の前では空しい。
 この一点をリーダーがはき違えると、人の心がわからない、冷酷な人間が増えてしまう。
 「幹部だから偉い」などと考える人は、心が硬直してしまっているのだ。
 創価学会は、学会員のためにある。ゆえに最高幹部は、学会員の“僕”として、全力で動くことだ。
6  戸田先生は、政治家に対しても、実に厳しかった。
 「一生懸命、支援してくれた学会員を裏切り、学会を裏切り、私利私欲に走って、悪名を三世永遠の歴史に残しては絶対にならない」とおっしゃっていた。私も全く同じ思いである。
 いかなる組織であれ、権力は腐敗するものだ。
 そのときは、民衆が悪を正し、叫ばねばならない。戦わねばならない。
7  「信心を根本として、団結してやっていけば、失敗はない」。
 これも戸田先生の大確信であった。
 牧口先生は、「戦えば戦うほど、そして強くなればなるほど、仏法勝負の実証は、早く出てくる」と訴えられた。
 信心を根本にしなければ、戦いは空転する。浅知恵になる。
 逆に、信心が根本にあれば、すべてを生かすことができる。勝利のリズムをつくりだせる。
8  会合は遅くならないよう
 女性の会合のあり方について、戸田先生はおっしゃっている。
 「婦人部、女子部の方々は、たとえ会議などがあったとしても、夜遅くならないよう、注意していただきたい。なるべく早く、家へ帰っていただきたい。男性幹部は、細心の配慮を忘れてはならない」
 会合は、時間厳守である。ダラダラとした会合をやってはならない。早く終われる時には、パッと終わり、早く休むことも必要だ。
 また、会合が終わった後の打ち合わせなども、なるべく短時間ですませられるよう、中心者は考えていただきたい。
 特に、婦人部、女子部の皆さんが絶対無事故で楽しく活動できるよう、心を砕いていくことだ。
9  「新しい戦い」で「新しい歴史」を
 この夏、新たな青年部リーダーが誕生した地域も多い。戸田先生は、懇談会の席上、言われていた。
 「大人というのは、人が成功した後を追っていく。保守的だ。青年は革新的でなけれぱならない。時代に生き、新しいものを求めていくところに若さがあるのだ」
 また、「戦いというのは、最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやらなければならない。そうでなければ、本当の戦いとはいえない」とも語られていた。
 今、学会は、創立80周年を目指して進んでいる。青年部も、重大な、新しい出発の時を迎えている。「新しい人」が、「新しい戦い」で、「新しい歴史」を創る時なのである。
 特に男子部の皆さんには、「男がひるめば男ではない。覚悟の信心に立て! 覚悟の人生を生きよ!」との戸田先生の言葉を贈りたい。
 またある時に、先生は聖教新聞の使命を語られた。
 「聖教新聞には、幸福への道が書いてある。仏法の眼から、社会の現象を、どうとらえていけばよいのかも書いてある。このような新聞は、他にはないのです」
 読者に無限の勇気と希望を与え、仏敵を徹して破折する。これが聖教新聞の真骨頂である。
10  個人の力が偉大な出発点
 現在、私は、ブラジルの著名な天文学者モウラン博士と語らいを続けている。〈対談は『第三文明』10月号から連載開始の予定〉
 博士は述べておられる。
 「行動し始める時、創造のための活動を行う時、自動的に周りの環境の変化が始まります。それは大きな出来事でも、家庭や地域や町などの小さな範囲の出来事でも同じです。すべては個人から始まります。個人は偉大な出発点です」
 「個人は偉大な出発点」――その通りだ。広宣流布もまた、「一人の人間革命」が出発点である。一人の行動が、大きな変化、偉大な発展につながる。
 リーダーは、その「一人」になることだ。また、そうした「一人」を鋭く見いだし、励まし、最大に讃えていくのである。
 「青年・躍進の年」の本年も、折り返し点を過ぎたところである。
 残暑は、まだまだ厳しい。聡明な「信心即生活」で、朗らかに進んでまいりたい。
11  青年と「一緒に」戦い「一緒に」成長!
 戸田先生は叫ばれた。
 「一緒に、戦おう! 一緒に、大聖人の仏法を広めよう! 一緒に、不幸の人を救おう! 一緒に、連戦連勝の人生を生き抜こう!」
 「一緒に!」――これが、青年部育成の合言葉である。
 恩師自ら、その範を示してくださった。先生は励ますときも、怒るときも、常に全力であった。共に泣いてくださったこともあった。
 手を抜いて、人材が育つわけがない。共に折伏に励み、共に学会活動のど真ん中で、戦い抜く。そこに成長がある。
 さあ、きょうも、私と「一緒に!」、偉大な勝利への一歩を刻もう! 広布栄光の歴史を綴りゆこう!
12  戸田先生は、私に託された。
 「関西の勝利で、50年先、100年先の学会が決まる。絶対に負けてはならない!
 大作、関西に広宣流布の一大拠点をつくってくれたまえ!」
 当時、私は20代。
 師の構想に、断じて蹉跌をきたしてはならないと、猛然と自分を奮い立たせた。それが弟子の道である。
 本年は、その「大阪の戦い」から50年の節目である。
 関西こそが、これからの50年の勝利を牽引していただきたい。
13  九州は、戸田先生が東洋広布を託された天地である。
 昭和32年10月、福岡での九州総支部結成大会に先生は出席された。生命を振り絞るように、こう叫ばれた。
 「九州男児、九州婦人の健康なる姿と心を見て、私はまことに嬉しい」
 「民衆救済の大責務は創価学会の肩にかかっている」
 「願わくは、今日の意気と覇気とをもって、日本民衆を救うとともに、東洋の民衆を救ってもらいたい」
 九州の友は戦い抜いた。「九州男児、よろしく頼む!」との恩師の遺言を胸中深く刻み、大九州の建設に命を捧げた。私も、恩師と全く同じ気持ちで、今再び、「九州青年部よ、よろしく頼む!」と心から申し上げたい。
 戸田先生は、青年をこよなく愛された。
 「青年よ、生命力を旺盛にせよ! そして、一日も早く、日本中に、妙法を受持する人間を充満せしめようではないか!」
 日本中に! 世界中に!――その気概なくして青年とはいえない。
14  「新リーダーを大胆に抜擢せよ」
 西日本の4方面の皆さんは上半期、見事な模範の戦いをされた。
 女子部拡大も、全国の約半分を占めている。おめでとう! これも、婦人部と女子部が、麗しく一体となって築いた金学塔である。
 中国人民の母であり、周恩来総理の夫人である鄧穎超女史は、生涯、女性の向上とリーダーの育成に取り組まれた。
 「偉大な事業を成し遂げるためには、女性の組織を強くし、充実させ、拡大させていくことが、絶対に必要である」
 これが鄧女史の確信であった。
 そして、「女性の組織を強くしていくためには、新しいリーダーを大胆に抜擢し信頼し、実際の戦いのなかで、忍耐強く育てていくことである。そうやって、民衆のなかで成長していった女性リーダーは、幾百万の広大な女性たちを率いていくことができる」と訴えておられた。
 21世紀の広宣流布を決定づける最も大事な存在は、今の女子部の方々である。新しいリーダーを全力で育てたい。学会活動こそ、生命を鍛え磨きゆく、最高の希望と友情の広場である。
 日本国憲法の草案に携わり、「男女平等」条項の誕生に貢献したベアテ・シロタ・ゴードンさんは、聖教新聞のインタビューで語っている。
 「女性が幸福でない社会は、平和ではありません。そして平和主義者である女性が世界の平和を創る担い手になることは間違いありません」
 すべての女性が輝く社会を!――この信念で、私どもは、勇気の対話を広げてきた。
15  世代を超え団結
 鄧穎超女史は、職務を引退する同志に、こう述べている。
 「役職は退いても、“心は退かず”ですよ。後輩や青年、さらに新しい同志を助けていくのです。そして、自分の経験を伝えていくのです」
 その通りだ。最後まで皆に恩返しをしていくことである。
 周総理も、こんな言葉を残している。
 「老年だけでは、豊かな経験をもっているから間違いをおかすことはないけれども、しかし、進歩で発展という点では不十分だ。青年だけでは、新しいことをどんどんやるけれども、しかし、どこへ進むのかわからないから危なくて、やはり青年だけでは駄目だ」(周恩来記念出版刊行委員会『日本人の中の周恩来』里文出版)
 老年と壮年と青年――それらが絶妙のバランスをもって、最大のカを発揮していくには、やはり壮年がカギとなろう。
 婦人部・女子部のスクラムに負けない、一体となった男性の躍進に期待したい。
16  「3日会わねば1年ぶりのように」
 大阪・中之島の中央公会堂は、私にとって権力との闘争を誓った忘れ得ぬ会場である。
 いつごろから、わが同志が、この公会堂を使うようになったか。
 それは、昭和30年1月23日の「西日本3支部連合総会」が最初である。
 当時、大阪で屈指の収容能力を誇る同公会堂で会合を開くことが、皆の大きな夢であった。総会には、西日本から1万余の同志が続々と集い、場外にも人があふれた。
 私も、戸田先生とともに出席し、輝く西日本の未来に思いを馳せた。
 先生は講演された。
 「(牧口先生とは)私の21の年から、45歳で先生が亡くなるまでお供いたしました」「東条内閣の圧迫を受け、東京拘置所にはいるまで、先生と3日会わなければ、1年も会わないような気持ちでお仕えしてまいりました」
 戸田先生は、まず「師弟」の精神を教えられた。それが学会の魂であり、一切の発展の原動力であるからだ。
 師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。そして師匠に報告するのだ。牧口先生に対して戸田先生は、そうされた。私も、戸田先生に対して、そうしてきた。
 これからのリーダーが、その実践を貫いていけるかどうかで、学会の未来は決まる。
 総会で、戸田先生は宣言された。
 「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上は、つらいも悲しいもあるものか。私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います」
 大師子吼であった。
 わが身をなげうつ覚悟がなければ、どうして幾千万の同志を守り、広布の道を開けるか。
 不惜身命。死身弘法。
 この大聖人直結の実践こそ、広宣流布の指導者の永遠の軌道でなければならない。
17  ともあれ、時代は、大きく変わった。西日本の新しい時代が到来した!
 今回の4方面とも、新しい人材が光っている。新しい前進の息吹が漲っている。うれしい限りだ。頼もしい限りである。
 思えば、牧口先生も、西日本から広宣流布の波を起こされた。戸田先生も、西日本が広宣流布の命運を担うと定めておられた。
 先駆の九州、人材の中国、正義の四国、そして常勝の関西――いずこも「創価の三代」と直結である。だから強い。だから負けない。
 どうか、皆さんこそが、全創価学会の中核中の中核であるとの誇りと自覚、責任をもって、私と一緒に断固として、新しい創価学会を築いていただきたい。
18  映画「サウンド・オブ・ミュージック」といえば、今も多くの人に愛される世界的な傑作である。「ドレミの歌」や「エーデルワイス」など数々の名曲で有名だ。
 そのモデルとなったのが、20世紀のオーストリア出身の音楽家マリア・フォン・トラップ女史の一家。
 彼女は、私が対談したアメリカの平和研究の母、エリース・ボールデイング博士と親交を結んでいる。
 戦火を逃れ、明るく生き抜いたトラップ女史の確信は何であったか。
 「信頼は、新しいエネルギーを生みだす。これまで自分でも知らなかった心の深みがあらわれる。意志を堅固にし、目的にむかって焦点をあわせてくれる。さらにいえば、不可能を可能にする力をあたえてくれるのだ」(谷口由美子訳『サウンド・オブ・ミュージック アメリカ編』文渓堂)
 信じ合える人がいる。同志がいる。これこそ力だ。反対に、信頼なき社会は暗黒である。
 信頼あるところ、歓喜が生まれる。みずみずしいエネルギーが満ちてくる。皆がうらやむような、美しき信頼のスクラムを、わが地域に築いていただきたい。
19  青年を人材に!
 いよいよ広宣流布も「秋の陣」を迎える。焦点は何か。「人材」である。これからのリーダーを、徹して鍛え、育てゆくことだ。
 戸田先生は、人材を求めに求めておられた。
 「ますます、人材が必要である。いつでも私の手駒となる人材が輩出してほしい」
 「青年部は、みな、私の手駒となってもらいたい。いつ、いかなる大任を受けても、悠々と引き受けてもらいたい」
 師の仰せ通りに、私は広布の最前線に身を投じた。行く先々で、栄光の凱歌を轟かせた。
 昭和31年、大阪の戦いの大勝利に続いて、私は中国方面の大開拓を戸田先生から託された。
 その年の9月のことである。
 「大作、君が行って、指導・折伏の旋風を起こせ! やるからには、思い切って戦い、そして勝ちまくれ!」
 この山口闘争では、わずかな期間で10倍の拡大を実現した。広布の人材山脈を断じて築いてみせる!――それが私の決意であった。
 先生は青年の成長を心待ちにしておられた。
 「私は、ただ、諸君たちが立派に育って巣立つのを、一日千秋の思いでじっと待っている」と。
 人材なくして、未来はない。だからこそ私は、命を削って青年部の鍛錬に全魂を注ぐのだ。
20  新しい時代を!
 戸田先生は、四国にも広布の足跡を残しておられる。西日本3支部連合総会の前日、昭和30年1月22日に、先生は四国の高知で記念総会に出席。私もご一緒した。
 先生は叫ばれた。
 「新しい時代の平和革命は、日蓮大聖人の思想を実践する以外にない。高知の地から、新たな平和革命のうねりを頼む!」
 四国には、恩師の精神が、時代とともに、ますます燃え盛っている。偉大な使命を帯びた四国の天地から、真実の平和の大潮流を起こしていただきたい。
 世界人権宣言を推進したアメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人は述べている。
 「この世界に平和を創造するためには、一人の人間との理解を深めることから始めなければなりません。そこから、人々の集団のより良い相互理解が芽生えるのです」
 一対一の語らい――そこから、平和も、友好もが生まれる。どんなに道は遠くとも、一人また一人と、意識を変え、生命を変えていくしかない。
 これが広宣流布運動である。永遠に変わらぬ勝利の方程式である。
21  苦悩に打ち勝つ「最高の良薬」
 この夏、猛暑が続いている。秋への季節の変わり目は、悪天候も多い。なかには、体調を崩している方もおられるかもしれない。
 大切な大切なお体である。私は、妻とともに、皆さんの健康と無事安穏を祈らぬ日はない。健康第一で、賢明な日々を送っていただきたい。
 日蓮大聖人は、病床の身の富木尼御前に励ましを送っておられる。
 「何よりも気がかりなことは、あなたのご病気です。心して、言われた通りに、まず3年間は、初めにやっていたように灸治をしなさい」(御書975㌻、通解)
 途中で挫けず、病気と闘い続ける。そして、絶対に治してみせる!――その強い祈りと一念が病魔を打ち砕く。
 また、病気の家族を抱える南条時光には、こう仰せである。
 「あなたの家の内に、病気の人がいるというのは、まことでしょうか。(もし、それが本当であったとしても)よもや鬼神の仕業ではないでしょう。十羅刹女が、信心のほどを試しておられるのでしょう」(同1544㌻、通解)
 病気は信心を深めるチャンスなのである。
 まっすぐに信心を貫けば、重い宿業も、軽く受ける。必ず「転重軽受」「変毒為薬」の実証を示していける。
 妙法で乗り越えられない試練などない。
 高橋六郎兵衛入道が病気にかかった時も、大聖人は、渾身の激励をされている。
 「あなたのご病気が重くなられたことは、嘆かわしいことです。ただし、剣(つるぎ)は敵を討つため、薬は病気を治すためのものです」「法華経は全世界の人々の病気の良薬と説かれています」「どうして、あなたが助からないわけがありましょうか」(同1462㌻、通解)
 大聖人が、門下をどれほど、温かく気遣われたか。御本仏の大慈悲が胸に迫ってくる。
 いかなる大苦悩にも打ち勝つ「最高の良薬」こそ、妙法なのである。
22  報告は直ちに!
 ある弟子には、こうも仰せである。
 「あなたが、この病気にかかったことを、ある人から聞いたので、私(大聖人)は、あなたの病気の平癒を日夜、朝暮に法華経に申し上げ、朝暮に青天に訴えておりました。病が治ったことを、きょう聞きました。これ以上、うれしいことはありません」(同1298㌻、通解)
 病気の友の報告が入れば、すぐに手を打つ。希望と勇気を直ちに送る。祈る。それが広布のリーダーである。その電光石火の励ましに、友も奮い立つのである。
 大切な会員のために、真剣に祈り、守り抜く。その姿勢を忘れたならば、もはや、リーダー失格である。
 また、病気のために、山にこもろうとする、弟子の最蓮房には、こう決意を促しておられる。
 「たとえ、山や谷に、寵もられたとしても、ご病気が治り、都合も良くなれば、身命を捨てて妙法を弘通していきなさい」(同1357㌻、通解)
 病気だからといって、「戦う心」を弱めたら、病魔に負けてしまう。
 広布のために戦う! その強き一念を失ってはならない。
 長い人生である。体を大事にして、断じて健康になるのだ。
 使命を自覚すれば、病魔は退散する。「創価の道」は「健康の道」である。
23  「言行一致」のリーダーたれ
 私の大切な親友であり、人類の頭脳・ローマクラブの名誉会長であるホフライトネル博士は語っておられた。
 「私たちはもはや、言っていることと行動が一致しない善人や博愛家、正義漢、幻想家であってはなりません。言葉を行動、努力に、他者への貢献にと移していかなければなりません」(名誉会長との対談集『見つめあう西と東』第三文明社)
 口先だけのリーダーには、だれもついてこない! 「言行一致」の勇者であっていただきたい。
 明年は、昭和32年7月17日、大阪・中之島の中央公会堂で開かれた「大阪大会」から50年になる。
 あの日――無実の罪で囚われ、出獄してきた私を、多くの西日本の同志が勇み集まり、迎えてくださった。今も私の胸に鮮明である。片時も忘れることはない。
 私は、西日本の同志とともに宣言した。
 「最後は、正しい仏法が、必ず勝つという信念で、やろうではありませんか!」
 その信念を今再び、燃えたぎらせ、西日本のわが友は、永遠に「師弟不二」の真髄を示し、「異体同心」の団結を示し、そして「人材育成」「仏法勝負」の模範を示しきっていただきたい。
 西日本が健在である限り、学会は盤石である。
 各方面、各県、各地の大切な大切な同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 下半期も、西日本から爆発的なスタートをお願いします! また、お会いしましょう!

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