Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創価教育代表者会議  

2006.8.3 スピーチ(聖教新聞2006年下)

前後
1  遠いところ、またお忙しいなか、本当にご苦労さま!
 きょうは創価大学・女子短大、アメリカ創価大学、そして東京・関西の創価学園の代表等が参加してくださっている。
 教員、そして職員の皆さまは、気宇壮大に前進していただきたい。
 大いなる理想と気概に燃えて、生き抜いていただきたい。
 学生に希望を与え、立派な、力ある人材を育てていく。教育ほど尊い聖業はない。
 戸田先生は、一介の青年であった私を、全魂を注いで教育してくださった。
 世界の一流の人物とも自在に語り合えるほどに、薫陶してくださった。まさしく「教育の勝利」であった。
 教育が人間をつくる。未来を開く。この誇りを決して忘れないでいただきたい。
 教育の勝利から未来の勝利が!
2  大闘争の時代を勝ち抜け!
 私は創立者として、全力で創大・学園の発展に取り組んでいる。
 キャンパスの建物や評備についても、皆さんと協議し、さらに充実を期してまいりたい。
 学生のため、生徒のために、最高の環境をつくりたい。応援できることは、何でもしたい――これが私の思いである。
 日本では予想を超える速さで少子化が進み、定員割れを起こす大学や学校が増えてきている。大学の合併や“倒産”が、現実のものとなっているのだ。
 教育界は「大闘争の時代」に入ったといえる。
 こうした厳しい状況のなかで、「何とかなるだろう」とか「うちは平気だ、心配ない」などと、呑気に構えるようなことがあってはならない。
 打つべき手を、ただちに打つのだ。驕りや油断があれば、簡単につぶれてしまう。敗北してしまう。それでは、あまりにも愚かだ。
 教職員が団結し、智慧し出し合い、必死になって戦っていくしかない。何よりも、今いる生徒たちを徹して大切にすることだ。
 生徒の持つ才能を育て、開花させていく。何かで一番になるよう、光を当てていく。そして、本当の人生の道を教えていく。ここに教員の使命がある。
 戸田先生は語っておられた。
 「生徒を良くするということは、先生の愛情の問題だ。生徒を、わが子以上に愛し、大事にしていくことだ」
 生徒のことを真剣に祈り、生徒のために尽くしていく。これが根本である。格好ではない。本当の「心」があるかどうかだ。
 「私の学校に来てくれてありがとう」と感謝し、親身に面倒を見ていく。「私が教えた生徒だ」と一生涯、その生徒を見守っていく。
 これが真の教育者である。
 そしてまた、生徒のご父母を大切にしていくことだ。「わが校にお子さんを送り出してくださって、ありがとうこざいます」と感謝していく。
 直接、お会いして、「お子さんは、こんなふうに頑張っておられますよ」と報告し、安心していただく。
 教職員が動き、語っていった分だけ、大学・学園は発展する。
 動かなければ勝てない。これは万般に通じる鉄則である。
3  師の名を後世に
 牧口先生の『創価教育学体系』は、戸田先生の多大な尽力によって発刊された。
 戸田先生は後に、このことを振り返られて、「陰の力であった自分のことは、誰一人ほめもしなかったが、私は一人、会心の笑みを浮かべていた」と述懐しておられた。
 先生は、『創価教育学体系』の発刊によって、自分の名をあげようとか、ほめられようなどとは一切、考えられなかった。
 牧口先生の名を後世に残したい。師匠の思想を世に送り出したい――その思いで、陰の支えに徹したのである。
 これが「弟子の道」である。
4  学生が立った
 1000年の歴史を誇る中国最古の学府・湖南大学の王邦佐・政治公共管理学院院長は語っておられた。〈池田名誉会長は本年4月、同大学から名誉教授の称号を贈られている〉
 「どんな組織も腐敗は内側から起こるものです。じつは湖南大学も過去に学生を愚弄し大学を撹乱する学長が君臨したことがありました。
 そのときに学生たちが猛然と立ち上がり、学長を放逐し創立の志を守り抜いたのです」(「パンプキン」7月号)
 重大な歴史の教訓である。だからこそ「学生の声を聞く」ことが大事なのである。
 また、フランスの文豪ロマン・ロランは綴っている。
 「私たちはあまりにも多くの否認、あまりにも多くの道徳的および精神的な裏切りを経験いたしました。それらを忘れることはゆるされません。
 (中略)昨日の変節漢はまた明日の変節漢でありましよう」(『日記Ⅴ』道宗照夫訳、みすず書房。現代表記に改めた)
 「試練のときにあたって裏切者であり背信者である自己の正体を暴露した人たちが、再び私たちの列中に滑りこんできて、彼らの偽善的友好によって私たちを荼毒とどくする(=害し毒する)ことを、私たちは許してはなりません」(『日記Ⅱ』村上光彦訳、同)
 私利私欲のために、仲間を裏切る。そうした人間を絶対に許してはならない。悪人の本質を鋭く見抜き、それを責めなければ、善の連帯は破壊されてしまうからだ。
5  「もう一度、教師になりたい」
 中国の周恩来総理の夫人である鄧穎超女史とは、何度もお会いした。本当に素晴らしい方だった。
 若き日に教師として活躍された女史は、こう述べておられる。
 「教育は人間をつくる聖業です。もしも私が職業を選ぶとしたら、もう一度、教師を選ぶことでしょう」
 いい言葉だ。
 私も、もう一度、職業を選べるならば、教師になりたいと思う。未来を担う生徒を教えていく。
 こんなに張り合いのある仕事はない。
 生徒を手段にしたり、何かの道具と思うようなことがあれば、とんでもないことだ。未来の宝を教えることができて、本当にありがたい――そう思って全力を尽くしていくべきである。
6  巌窟王のごとく
 さらに、戸田先生のご指導を紹介したい。
 私は先生のご指導は、すべて命に刻んでいる。後世のために、記録して残してきた。
 これが師弟である。私は先生と本当に一体であった。「師弟不二」であった。
 牧口先生は、軍国主義と戦って獄死なされた。同じく投獄された戸田先生は、まさしく巌窟王のごとく、一切を耐え抜かれた。そして師の仇討ちの、“平和への戦い”に、武者震いして立ち向かわれた。
 私は、戸田先生が事業で挫折し、膨大な負債を抱え、すべてが崩れそうになったときに、戸田先生を守り抜いた。
 戸田先生は、牧口先生の道を開いた。私は戸田先生の道を開いたのである。
 「師弟」「師弟」と口では、いくらでも言える。表面を取り繕い、ごまかすこともできる。
 しかし大切なのは、生命の奥底の一念だ。心の奥の奥が、どうなっているかだ。
 戦うしかない! この心の炎が燃えている人は“善”だ。
 反対に、苦労は人に押しつけ、自分だけいい子になる――それは“悪”であり、“敵”である。
7  教師から声を
 戸田先生は言われた。
 「生徒がつく教師と、つかない教師があり、子どもがよろこんでくるようになりなさい」
 そうなるよう努力していくことだ。
 生徒を心から励まし、「あの先生は素晴らしいな」と思われる存在になることだ。
 また戸田先生は、「教員は、年齢にかかわらず、学生以上にはつらつと! 学生以上に謙虚に!」と指導しておられた。
 教師のほうから、生き生きとあいさつし、どんどん声をかけていくことだ。
 さらに戸田先生は、ある教員に対して「技術の受け売りではダメだ。人間対人間が大事だ」とも語っておられた。
 いくら技術を誇っても、生徒が伸びなければ、教師の自己満足にすぎない。
 大事なのは、生徒と心を通わせていくことだ。
 そこに教育の真髄がある。
8  「女性の力」を伸ばす教育を
 スウェーデンの思想家で、近代婦人運動の先覚者として著名なエレン・ケイ。牧口先生も、注目しておられた人物である。
 彼女は、婦人たちが社会的扶助の分野において活動的であったことから、男性よりも戦争の愚かさを深く認識するようになった、と述べている(本間久雄訳『全訳 来るべき時代の為に』北文館刊から)。
 平和を愛し、人々を慈愛の光で包んでいく女性には「そうした本然的な力がある。
 女性がもっともっと活躍するようになれば、世界は大きく変わっていくに違いない。
 創価大学、女子短大、創価学園を卒業した多くの女性も、世界を舞台に活躍している。
 「女性の時代」である。女性の力を生かし、伸ばしていく。そうした教育にも、いっそう力を注いでまいりたい。
9  誇りうる職業
 中国を代表する歴史学者の一人である、華中師範大学の章開玩・教授(同大学元学長)は語っておられる。
 「教師は、人の世における最も偉大な職業であります。また人の世における最も艱難辛苦に満ちた職業です。ゆえに最も誇り得る職業なのであります」
 「教師の任務は知識の伝授にとどまらず、より重要なのは、魂をかたちづくることであります。教師の労働は平凡なようでいて、実はずば抜けており、いかなる大学者もかなわない『最先端の学問』に関わっています。
 それは、一種の総合的な科学であり、また総合的な芸術でもあります」
 教師という仕事が、いかに大事か。それを忘れないでいただきたい。
 また、湖南大学の王耀中・常務副学長は、同大学の指針について述べておられる。
 「湖南大学は976年に創設された岳麓がくろく書院に端を発しています。
 250年ほど前に『18条の学則』を定めましたが、その第1則に掲げたのが親孝行でした。
 親を愛せない人間に人民を愛することはできません」(「パンプキン」7月号、潮出版社)
 親孝行のできる人間に育て!――私もあらゆる機会に訴えている。
 どのような時代にあっても、この根本は変わらない。教育者の皆さんは、人として生きゆく根本の道を、教えていっていただきたい。
10  慈愛の手紙綴ったペスタロッチ
 スイスの大教育者ペスタロッチは、生徒の親に対して、多くの手紙を綴った。
 「すべての点で彼はひじょうに立派な進歩を遂げ、自分の成長と、自分の知識と技能とを喜んでいます。(中略)彼がどんなに立派になってくれるかを予感してわれわれは心から元気づけられます」(虎竹正之訳「親と教師への手紙」、『ペスタロッチー全集第13巻』所収、平凡社)
 文面から、ペスタロッチの心の温かさを感じる。
 子どもは、勉強であれ何であれ、最初は“できなくて当たり前”だ。
 それをできるようにするのが、教育の役割である。
 私も、未来に伸びゆく青年たちに話をする際には、さまざまな角度から研究し、準備をする。勉強を重ねて臨んでいるつもりである。
11  教師は、保護者の方々とつながっていく姿勢が重要である。
 当然、決まったかたちはないが、保護者の皆さんに安心していただくために、知恵を尽くし、動くことだ。
 ペスタロッチは、ある生徒の親に対して、「彼は張りきって努力し、(中略)われわれは彼を得たことを喜び、彼がご両親のお喜びとご満足とに値する成長をしてくれることを確信して」いると伝えている(同)。
 日本の教育では、何かにつけて、「欠点」を見つけ、指摘することが多い。
 そうではなく、「ほめる」ことである。いいところを見つける努力をするのである。
 またペスタロッチは、ある生徒の父親に、次のように述べている。
 「教師や補導者たちが彼に関して述べている愛すべき心情と不屈の勤勉との見あげた態度についての証言を、わたしは尊敬すべきあなたにお伝えします。それはきっとあなたの父としてのお心を喜ぱせるでしょう。
 彼の成長は仕合せな静かな、しかし確かな歩みを進めています」(同)
 このような手紙を受け取った親は、どれほど安心し、心強く思ったことだろうか。
 保護者の方々を不安にさせてはならない。いろんな方法で心を通わせていくことだ。
 ペスタロッチの手紙は、大事なことがらを、現代の教育者に教えているように思う。
 創価教育の先生方もまた、ペスタロッチのごとく、相手の心に残る誠実な振る舞いで、立派な歴史を残していただきたい。決して安直に考えてはならない。
12  知恵を増やせ!
 夏なので、暑くて、なかなか頭に入らないかもしれない。
 角度を変えて、イギリスの哲学者ラッセルの言葉を紹介したい。
 「知識は力である。しかし、それは善に導く力であると同時に、悪に導く力でもある。したがって、人間の知識が増すと同じだけ知恵が増さなければ、知識の増大は不幸の増大になる」(正田義彰・稀井良雄繍『ラッセル名言集』原書房)
 よく咀嚼すべき一言だ。知恵を忘れ、知識のみに偏る流れは、非常にこわい。21世紀に入って、その傾向は強まっている。
 牧口先生とも親交のあった新渡戸稲造博士は、海外のある大碩学と語り合った際、その高い学識と謙虚な態度に、深い感銘を受ける。
 そして日本の学問の世界を振り返って、「なぜ日本の学者の学問は、体の内部にしみ込まないで、鼻の先にぶら下げるのであろうか」と嘆いた(『偉人群像』実業之日本社。現代表記に改めた)。
 現代にも通じる、鋭い指摘であると思う。そうした悪しき伝統を変革するのが、創価教育の使命である。
13  正邪を見極める力を育てよ
 近代教育学の父と言われ、牧口先生も敬愛していたコメニウスは、「人類の破滅を救うには青少年を正しく教育するより有効な道はほかにはない」と訴えた(鈴木秀勇訳『大教授学1』明治図書出版)。
 また、「他人(ひと)の道案内を買って出る者からして 他人を迷わせ その道を誤らせているのです。他人の光明でなくてはいけない者が かえっていちばん闇をひろげているのです」と、人間精神の荒廃に警鐘を鳴らした(同)。
 どんな社会であれ、指導者層の堕落が「一凶」となる。その社会の「根本的な間違い」につながる。
 ゆえに、正邪を見極める力を育てる教育が必要である。民衆奉仕の指導者を育成する教育が求められているのである。
 インドの詩聖タゴールは言った。
 「われわれの教育は、経済的、知的、美的、社会的、精神的なあらゆる面をふくむところのわれわれの完全な生活と十分に接触をしなければならない。そして教育施設は、われわれの社会の中心そのものでなければならない」(松本重治編訳、P・C・マハラノビス「タゴールのメッセージ」、『インドの心』所収、中央公論社)
 学会は、もともと「創価教育学会」からスタートした。
 私は、精神面でも、施設面でも、あらゆる次元において、ますます教育に力を入れていくつもりである。
 そして、立派な創価教育の殿堂を共々につくってまいりたい。
14  「人間」への興味を燃え立たせよ
 さらに東西の先哲の箴言に耳を傾けたい。アメリカ・ルネサンスの巨人エマソンは論じている。
 「教育の深遠な目的は、生活の目的とよく均衡のとれたものでなければならない。その目的は道徳的なものでなければならない。
 すなわち、それは自己信頼を教え、青少年自身のうちに興味と彼自身の本性に関わる好奇心を鼓吹し、さらに青少年に彼の精神の根源を会得させ、彼にはあらゆる力がそなわっていることを教え、彼が生活するところに宿る崇高なる精神にたいする敬虔の念を燃えたたせることにある」(市村尚久訳『人間教育論』明治図書出版)
 いい言葉である。軍国主義の時代に、“教育の目的は児童の幸福である”と高らかに提唱した牧口先生の信条と深く響き合う。
 『昆虫記』で名高い博物学者ファーブルは、「授業において大事なこと」を語っている。それは、「なにを教えたか、多少ともうまく理解させたか、ということではなく、生徒の眠っている能力を呼びさますことだ。隠された爆発力を解き放つ点火火花であることだ」というのである(渡辺広佐訳、マルティン・アウアー『ファーブルの庭』NHK出版)。
 このような名授業が、いつもできるとは限らないと思うが、常に、「少しでもよい授業を!」との挑戦を、頼みます。
15  人間は、教育で育つ。
 私は、戸田先生から毎朝、学問の万般にわたる個人授業を受けた。
 そして、44歳の時には、イギリスの歴史学者トインビー博士と対談を行った。世界的な大歴史学者の博士と深い対話ができたのも、すべて戸田先生から受けた薫陶のお陰である。
 当時80歳の博士から、直接会って語り合いたいとの丁重なお手紙をいただいた(1969年)。
 大乗仏教の可能性に注目されていた博士は、その若き実践者である私との対談を希望されたのである。
 博士の自宅は、赤レンガのアパートの5階。エレベーターの扉が開くと、博士夫妻が笑顔で迎えてくださった。忘れられない場面である。
 対談では、日本文学の古典である『万葉集』や『源氏物語』も話題になった。2年越しで延べ10日間、40時間。全力で対話した。
 そして対談の終わりには、ローマクラブの創始者であるペッチェイ博士をはじめ、一流の知性の方々との、さらなる対談を勧めていただいたのである。
 トインビー博士との対談集は今、世界各地の大学などで、教材として使われている。
16  教育は子どもが根を張る「大地」
 仏典には、“弟子は草木の如く、師匠は大地の如し”との原理が説かれている(「華果成就御書」)。
 師匠という大地に、弟子は生き生きと根を張って、大きく育っていく。
 創価教育の教職員の方々は、子どもたち、学生たちの「大地」になっていただきたい。
 そして、色とりどりの花や果実を、見事に咲かせ、実らせていただきたいと念願し、私のスピーチとします。
 くれぐれも体調に気をつけて。ありがとう!

1
1