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南イリノイ大学名誉人文学博士号授与式  

2006.6.6 スピーチ(聖教新聞2006年下)

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1  Winter is over. Spring has come, The sun is shining brightly!〈冬は去り、春はめぐり来て、太陽は輝く〉
 きょうは、教育の光に包まれて、遠くアメリカから、大切な先生方をお迎えすることができました。本当に、ありがとうございます。
 また、アメリカ創価大学の代表も、そして、創価大学、女子短期大学の学生の代表も参加してくださいました。
 きょうの栄誉を、若き皆さん方と一緒に拝受できたことが、私は、何よりも、うれしいのです。
 すべては、後継の皆さんに流れ通っていく栄光です。そしてまた、皆さん方が、将来、立派に成長して、あらゆる大学から「名誉学位」を受けていく因を刻んでいることを知ってください。
2  牧口先生と戸田先生の喜ぶ顔が
 「惑星は、太陽系のなかで、運行する。太陽系は、銀河系のなかで、運行する」
 「人間の精神も、他者との交流のなかでこそ、成長できる」(『倫理学』所収「道徳と社会問題」から)
 これは、世界的に偉大な教育者であり、大哲学者であったデューイ博士の洞察です。
 本日の式典は、アメリカから最高峰の知性をお迎えし、教育で結ばれた素晴らしい人間交流の平和の歴史となりました。
 きょうの儀式を一番、喜んでくださっているのは、だれか。
 それは、デューイ哲学に早くから注目した大教育者、牧口常三郎初代会長であると、私は深く確信するものですが、皆さん、いかがでしょうか。
 牧口先生も、その弟子である戸田先生も、デューイ博士のことを、最大に尊敬していました。
 まさに、牧口先生の135回目の生誕記念日に、世界随一のデューイ研究センターを擁する貴・南イリノイ大学カーボンデール校から、私は、栄えある「名誉人文学博士号」を拝受いたしました。
 両先生の喜ぶ顔が、目に浮かんでまいります。私は、感涙を禁じ得ないのであります。
3  万人に開かれた民衆の大学
 心より尊敬するウオルター・ウェンドラー総長、デューイ研究センターのラリー・ヒックマン所長。そして、アメリカ・ソロー協会のロナルド・ボスコ前会長。ならびに、ご臨席くださった皆さま方。改めて、厚く厚く、御礼を申し上げます。
 貴大学は、1869年の創立の当初から、時代の先駆を切って多様性を尊重してこられました。
 地域に開かれ、万人に開かれた教育を推進してきた誇り高き「民衆の大学」であられます。
 その建学の途上における、貴大学の先生方の苦闘は、まさしく「不可能を可能にした大偉業」として、世界的に讃嘆され、驚嘆されているのです。
 そして、その崇高な伝統と学風を継承し、110カ国を超す、向学の学生たちが学びゆく、世界的な貴大学を厳然とリードしておられるのが、ここにお越しくださったウェンドラー総長であります。
 ウェンドラー総長の雄渾の名指揮のもと、今、貴大学は、創立150周年の大佳節へ、学生第一主義の理念と遠大なビジヨンを掲げ、悠然と前進しておられます。
 貴大学が立つ天地は、その肥沃な地域性から、「小エジプト」と愛称されてきました。
 エジプトとは、人類の創造力の象徴といってよいでしょう。
 きょうよりは、私も誉れある貴大学の一員として、卓越した建築学者であられる総長とご一緒に、「教育の世紀」に輝く偉大な人材のピラミッドの大建設に参加させていただく決心です。
4  学生こそ宝!
 先ほども申し上げましたが、この会場には、私が、未来を託しゆく、アメリカ創価大学の代表も集ってくれました。本当に、よく来てくれました。
 一人ひとりが、私の生命です。私の宝です。私の未来の希望です。その思いで、私は、皆さん方一人ひとりを、どこまでも見守っています。
 教員の皆さまも、学生第一の精神で尽くし抜いていってください。教員だからといって威張る時代ではない。教員と学生は、ともに学問を探究しゆく同志といってもいい。
 たとえ自分が犠牲になっても、後継の学生たちを立派に育て上げていく。それが「創価教育」であり、牧口先生、戸田先生の実践でした。
 そして、時には、「お腹はへってないですか」「何か困っていることはありませんか」等々、温かい言葉をかけて、大きな心で包んであげてほしいのです。
 あの時、あのキャンパスで、あの先生に、優しく声をかけてもらった、励ましてもらった――そのように学生たちの心に焼き付くような劇のごとき思い出をつくっていってください。よろしくお願いします。
5  敬愛してやまない大哲学者であられるヒックマン所長とも、このように、5年ぶりに再会することができ、本当にうれしい。
 ヒックマン所長は、デューイ博士と牧口先生の教育哲学の共通点を、まことに明晰に、また深く論じてくださっています。
 その一つに、“人間と社会を成長へ導くための教育”という理念があります。
 デューイ博士も、牧口先生も「成長することこそ、生命の特質である」と考察しておりました。
 ゆえに人間は、学ぶことによって、自分自身の生命を開花させ、一生涯、成長していける。その成長の持続にこそ、幸福の内実があると教えたのです。
 前進をやめれば後退です。成長を止めれば、幸福になれません。
 その成長を手助けしていくのが教育です。教育の目的は、一人ひとりの人間の幸福にあるのです。
 創価大学の教員の皆さんは、この思想を受け継ぎ、それぞれの立場で実践し抜いてください。
6  成長を止めるな
 デューイ博士と牧口先生は、とくに、高い地位についた人間たちが成長を止めてしまうことを慨嘆していました。
 成長を止めた人間は、心の転落が始まる。慢心に陥り、人を見下し、威張るようになる。いくら地位が高くても、そうなってしまった人の境涯は低劣です。
 権力を握ると、その毒気に狂わされて、精神が鈍り、傲慢になり、貪欲になり、我見になってしまう。そういう人間に教育をまかせると、社会に重大な問題が生じる。
 デューイ博士と牧口先生の洞察は、現代の日本にとっても重要な意義を持っています。
 だからこそお二人は、「権力は毒薬である」「権力は魔性である」と痛烈に呵責していかれたのです。これこそ、本当の教育者の姿です。
 傲り高ぶって孤立し、自分を支えてくれた他者への感謝の心を失ってしまえば、そこにはもはや、向上はありません。人間性も消えてしまいます。
 「忘恩」から、一切の暗い暗い堕落の道が始まる。それが人生と社会と歴史の法則です。私たち創価教育の同志は、この“堕落の世界”と戦ってまいりたい。
 反対に、無名であっても、貧しくとも、真剣に誠実に、学び戦うならば、試練も力に変え、より良く成長し、人々に立派に貢献できる大人材となっていく。
 これこそが、最も正しい生命の道であります。
 デューイ博士も、牧口先生も指摘なされたように、大事なことは、これまでどうだったかではない。過去ではない。
 過去の功績というのは、一次元からいえば、燃えた後の“灰”のようなものです。過去の功績にあぐらをかくのは、日本人の悪い癖です。
 「今、この時に、学んでいるのか、どうか」
 「今、この時から、成長していくのか、どうか」
 その一点を、つねに自分自身に問い続けながら、自分も成長し、後輩が成長する手助けもしていくのです。
 それは、仏法に説く「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」という意義に通じます。
7  青年と共に学べ
 現代社会の行き詰まりの根本要因は、どこにあるか。
 私が、トインビー博士をはじめ多くの識者と論じあい、深く一致した一点があります。
 それは、世の指導層が傲慢になり、学ぶことをやめて、自らの「人間革命」を放棄してしまったところに、社会の停滞の元凶があるという点でありました。
 学び続けているか。それとも学ぶことをやめてしまったか――この一点が、その人が本当に偉い人物か、それとも偽物かを分かつポイントです。
 傲慢な指導者のもとでは、これからの青年、これから学ぶ若者たちが、かわいそうです。
 その打開のためには、「青年とともに学ぶ」ことです。
 例えば大学の教員も、学生を上から見おろすようであってはならない。
 どんな学生も立派に育てていく――これが教員の責任です。こうした思いに立って、学生を励ましていただきたい。
 学生を愛せないようでは、教育者として失格です。青年と一緒に、人生を打開していこう。前へ前へと進もう――そういう人間性が光る教員であっていただきたい。
 そして、広く世界へ打って出て、生き生きと、「対話」「対話」の波を広げていくことです。そうであってこそ、新たな勝利の歴史を開くことができる。
 さらに、民衆のため、社会のため、未来のため、後輩のために、勇敢なる行動を貫いていくことです。
 この「学び」と「対話」と「行動」の道こそ、デューイ博士と牧口先生が圧迫や迫害にも屈せず、明確に示してくださった、平和への正道です。
 中国をこよなく愛したデューイ博士は、北京大学の哲学講義で訴えました。
 青年よ、学び抜け!
 新しい希望と勇気と誠実をもって、新しい社会の繁栄を築きゆけ!――と(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ一倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房を参照)。
 北京大学といえば、私も講演を行った懐かしい場所です。学生たちが真剣な眼差しで、講演に耳を傾けてくれました。
 同大学から名誉教授の称号を授与していただいたことも、忘れられません。
8  教育の勝利が人類の勝利!
 私は、ここにおられるソロー協会のボスコ前会長と有意義な対話を重ね、うれしくも、対談集が発刊される運びとなっております。
 世界的に著名な大学者であられる博士と、私は、アメリカ・ルネサンスの思想に光を当ててきました。
 アメリカ・ルネサンスの新風を巻き起こし、後世の人々に大きな力を与えた、19世紀の哲人エマソンは、こう警鐘を鳴らしております。
 「不正に対する感覚が鈍ること――それは、知性が浅はかな証拠である」
 正義の心は、深き知性と一体であります。また、正義の心があってこそ、本当の知性です。
 時代は、ますます「正と邪」「善と悪」が入り乱れている。
 だからこそ、エマソンのごとく、デューイ博士のごとく、牧口先生のごとく、恐れなく、正義の声を断固として上げていかなければならない。私は、その先頭に立って戦っております。
 貴大学が、その名に冠する「イリノイ」という地名の語源には、一説には「優れた人」との意義があるともうかがっております。
 敬愛してやまぬ貴大学から、最優秀の逸材が、これからも限りなくアメリカに、全世界に巣立ちゆかれることを、私は心から願い、お祈り申し上げます。
 デューイ博士は喝破しました。
 「教育が進歩しなければ社会もまた進歩し得ない」(前掲『デューイ―倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』)
 大変に重要な言葉です。
 また、牧口先生は叫びました。
 “教育の勝利こそ、人類の永遠の勝利である”と。
 この大いなる教育の進歩と勝利の大道を、共々に晴れ晴れと前進しゆくことを誓い合って、私の謝辞といたします。
 サンキュー・ベリー・マッチ!

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