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創価学会の目指すもの 二〇〇一年への四半世紀

「池田大作講演集」第7巻

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1  四半世紀の展望
 野崎 池田会長が、第二次訪中のさい、周恩来首相と会ったときに、周首相が「二十世紀の最後の二十五年は、大事な時期だと思います。全世界の人々が、お互いに助け合い、努力が必要です」と述べ、会長も深く同意したとうかがっておりますが、この最後の四半世紀のスタートにあたって、この二十五年を、人類は、どうとらえ、またなにをめざしていくべきか、このことは、創価学会がどう行動していくべきか、ということと深いかかわりあいがあると思えてなりません。
 そこで、この四半世紀のとらえ方について、対話していきたいと思います。
 北条 正本堂建立のいつさいの事業計画も終了し、創価学会も新しい目標に進むことになりました。会長は、すでに昭和四十七年の完工式のときに、広布の第ニ章に入ったといわれ、それからというもの、会長の死闘ともいうべき活動によって、道は大きく世界に開かれてまいりました。
 一方、世界的には、食糧問題や核兵器の問題、人口問題、先進国と発展途上国とのアンバランスの問題、公害問題など、人類的な視野と展望に立って解決しなければならないことが、山積しております。二十一世紀を「生命の世紀」とするためにも、この最後の四半世紀に、なにかが変革されなければならないことは、目に見えていますね。
 会長 周首相との会談は、短い時間でしたが、二十世紀の最後の二十五年が、大事な時期であるといっていました。私も同感です。
 それは、この二十五年で、二十一世紀以後のいつさいのレールが敷かれてしまうといって過言でないからです。いま、時代の重大な転機であり、この二十五年は、激動の時期でしよう。この時を見事に乗りきり、人類に大きな根本的な活路が開かれれば、そのあとは試練錯誤しながらもその路線で進んでいくことができるでしよう。それができるかどうかの試練の二十五年間とみたい。
 すでに機会あるたびに私は申し上げてきましたが、この間に、なんとしても、全人類の絶減の運命だけは転換させたい。そのためには、人類の良心を呼び起こし、それだけの平和勢力を結集しておきたい。この二十一世紀への基盤をつくっていくのが、私どもの使命であり、創価大運動であると訴えておきたいのです。
 二十五年後というのは、いま生まれた赤ん坊が、二十五歳の青年になることです。あたりまえといってしまえばそれまでですが、しかし、そう考えると、きわめて切実感がわいてきます。野崎君などは五十代になっているでしよう。
 この期間が、もっとも大事なんです。というのは、北条さんもいったように、人類全体が生きのびるかどうか、非常に困難な問題が、テンポを速めて、私たちの前に立ちはだかりつつあるからなのです。
 しかし、これは、あせって解決できるものではない。まず、できることから始めなければならないわけです。
 大事なことは、現在、世界に欠けているものは、人類を運命共同体としてとらえる強い意識であるということです。これも、識者によって叫ばれてはいますが、実際にそれが政治家や庶民のなかに息づいているかというと、決してそうではない。
 過日の本部総会でも話しましたが、あいかわらず、国家のエゴイズムが吹き荒れ、しかも各国はそれぞれ、国家主義的な方向で民衆の力を利用しています。たとえば、核兵器をもつことを、国家の威信の象徴みたいに思わせるといったところに、そうしたことがあらわれています。世界には、まだ、偏狭なナショナリズムが、あまりにも強い。その壁が圧倒的に強力であるために、世界市民的な民衆の力の結集がなされないでいるのです。
 八矢 会長は、十年前、「人間革命」の主題として「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、更に全人類の宿命の転換をも可能にする」と書かれましたが、まったく、会長の行動は、その主題そのままと、私は思うのです。
 会長 私にばかり責任を負わせないで、皆さんもしっかり頼みます。(笑い)
 私の場合は、この一個の人生を御本尊と戸田先生にかけました。十九歳のときから人生は決まっております。ともかく、必死に動きます。本年も、世界を駆けめぐります。
 とにかく、人間が動かなければ、時代は回転しません。
2  教育・家庭の年
 八矢 ところで、本年は、家庭の年、教育の年と銘打ちましたが、こうした世界的な問題とのあいだに、多少、やはり距離感といいますか、いってみれば、家庭とか、教育というものが、あまりにも基本的なことであるので、世界的な動向とのあいだに、関連というものを感じにくい面もあるように思うのですが……。
 会長 その基本的な場、いわば人間の生存の土台ともいうべきものに、亀裂が生じていることに、現代の危機の深刻さがある。そこから変えていかなければ、社会は変わりません。
 北条 家庭の年も、教育の年も、決してこの一年間のことだけではないと思います。息の長い、持続の変革運動であり、いってみれば、創価学会が、社会的存在として、まずここから、地についた運動を展開していくとの、責任性と行動性に裏づけられた船出だと思うのです。
 会長 仏法上、こういうこともいえるのではないだろうか。現代は「主師親」の崩壊の時代であるということです。これは、なにも封建的な道徳観をいうのではなく、人間の向上をうながすものとして展開すれば、「主」というのは社会的人間関係、「師」というのは教育的人間関、「親」というのは家庭的人間関係、その基本的な人間関係の絆がボロボロに切れてしまっている。そのいわば、生きるうえでの、もっとも基本的な人間関係から、復興していくということではないだろうか。
 野崎 そうですね。これこそまさに文化革命ですね。生き方の変革だと思うのです。
 八矢 そうすると、家庭の年、教育の年というのは、人間革命の延長線上にある文化革命の第一歩であると認識すべきなのですね。
 会長 そう。人間一個といえども、それは内なる広がりもあれば、外への広がりもある。また、歴史的な流れも脈打っている。その総体の変革が人間革命であり、それは、必然的に文化革命に直結していきます。
3  昭和――50年の歩み
 北条 話題を日本のことに移しますが、昭和五十年ということで、世間にはこの激動の半世紀を振り返ってみようというふんいきが強いようです。確かにこの五十年間、日本は振幅の激しい道を歩んできました。軍国主義への傾斜の果てに戦争へ突入し終戦。戦後は借りものといわれつつも民主主義を定着させようと進んできた。しかし、それは十分に根を下ろしたとはいえません。経済進出が、新たな世界侵略として問い直されている状況にあります。
 会長 昭和五十年といっても一つの区切りにすぎないが、五十年の来し方がしきりに振り返られるということ自体、現在の世界的不況下のもとで今後の日本の進路が憂慮され、混沌のなかに未来への指標が模索されている一つの証左といえるでしよう。
 野崎 激動の半世紀の末になにが残ったかということですね。海軍兵学校にいっていて「お国のために」といっていた北条理事長には、この仏法が残りましたが。(笑い)日本人は総体として、戦後三十年、再びなにかむなしい気持ちを感じているのではないかと思います。それどころか、時代は昭和初期の社会不安の様相すら呈してきている。これでいいのかといった漠然とした危惧を、多くの人々がいだいているようですね。
 八矢 私たち学会員としてこの五十年を振り返ると、昭和三年には牧口初代会長、戸田前会長が相次いで入信しています。池田会長が生まれたのもこの年ですけど。(笑い)昭和五年には創価教育学会が創立され、やがて戦時下で軍部の弾圧にあい、初代、二代の会長が獄中に入られた……。
 会長 そう。学会は、戦争との対決のなかから壮絶な試練を越えて、戦後に羽ばたいていったわけです。軍国主義権力との戦いのなかで、創価学会は平和への使命をいちだんと掘り下げつつ再建へと進み、今日にいたっている。行動する平和団体としての創価学会の存在は、後世の歴史家の判断にゆだねるとして、ともかく激動の半世紀における学会の軌跡をいろどるものは平和であり、民衆自発の意志によって平和運動を推進してきたという事実でしよう。
 特に無残な戦争が、学会の使命をいちだんと鮮明にしている。もし戦争、敗戦という歴史の動きがなかったならば、信教の自由も確立されず、運動の展開もここまではいかなかったであろう。ともかく初代、二代会長が生命を賭して仏法流布の基礎をつくり、時きたりて、創価学会が平和勢力として、日本のみならず世界の舞台に登場したといえる。
 北条 さきほど海軍兵学校の話が出ましたが、当時は「日本は神国にして皇上は高貴の聖裔に御座す現神なり」が一切の価値観となって、皇民化教育の一つとして神道が徹底された。完全な思想、信教の統一です。これに異を唱えることが、いかに勇気と信念のいったことか、当時に青春を生きた一人としてよくわかります。
 会長 戦争という最大の民衆圧迫の歴史のなかから創価学会は生まれ、民衆の願望を担いつつ、幸福と平和を呼びあう人間の本性にもとづいて、ここまで伸長してきたといえる。
 私個人のことになるが、四人の兄が次々と戦争にとられ、家業のノリ製造は働き手を失って傾く一方であった。長兄はビルマで戦死しています。戦争の無残さは身にしみて知つていますし、この原体験に根ざして、私は平和というものを模索していた。もう必死だった。私が十九歳で入信したのは、牧口初代会長が壮烈な死を獄中で迎え、戸田前会長が軍部権力と戦いぬいたという事実からでした。
 この両会長の体験は、創価学会という有機体にとって、永違の原体験として語り継がれていかなくてはならない。
4  野崎 戦後の草創の時代、戸田前会長はあらゆる非難、中傷のなかを敢然と戦われた。そして逝去されるまでに七十五万世帯を達成され、学会は社会へ影響力を与えうる団体にまで成長しました。戸田前会長亡きあとは、池田会長のもとに、更に飛躍的な伸展をみて今日があります。その日本の人口の一割を超える勢力の結集は、なによりも平和を獲得するための、民衆の最後の抵抗線となるものと考えているわけですね。
 会長 そう。仏法の平和主義の方向へ人類の歴史が回転していくならば、それ自体が仏法理念の流布といえるだろう。その意味で学会がここまで発展し、多角的な活動を社会に開いてきたことはまちがいない路線であった。その意味で私自身としても、創価学会を越え、一宗一派を越え、平和を訴え行動してきました。そのことが日蓮大聖人の精神、戸田先生の精神に通じ、仏法そのものだと思うからです。
 北条 よくわかりました。会長は昨年だけでも三、四月の北米、中南米、六月の中国、九月のソ連、そして十二月には再度、中国へ行かれた。その連続行動の底にあった心情、つまり「第三次大戦を防ぐために私は精いっぱい動くのだ」との心情を、学会員すべての心情へと昇華させなければならないと思います。このやむにやまれぬ心情の発露が、私たちの活動の加速となるのですから……。
 会長 昭和の半世紀を振り返って、その功罪が論議されているが、歴史というものがいつの日か必ず民衆を視点にしてつづられるならば、当然名もなき庶民のなかからはぐくまれ、今日にいたった創価学会の存在は無視できないと思う。
 昭和五十年といえば、半世紀に相当する。この間の日本の歴史は、軍国主義の道であったにせよ、戦後の経済成長の時代にせよ、すべて欲望拡大型文明の線上にあった。その意味では、戦前、戦後変わっていない。そこで、つねに苦しんできたのは民衆であった。民衆は、いわばその操作のもとにある道具にすぎなかったといってよい。こうした傾向のなかに、家庭、教育の場も崩壊していったといえよう。
 しかし、決して、これに対する民衆の抵抗がなかったわけではない。それは精いつぱい生きるという形として表れてきた。だが、ほんとうの民衆の強さとはならないで、つねに権力に取り囲まれ吸収されていくという道をたどっていった。このひたぶるな民衆の抵抗の力を仏法哲学を根幹として、逆に権力を取り囲む民衆のほんとうの強さへと方向づけたのが、創価学会であるといいたい。これこそ、真の平和勢力といえよう。この今日までの権力流転の歴史にピリオドを打たなければ、新しい時代は始まりません。
5  第二のルネサンス
 八矢 ところで、私たちの文化運動、平和運動を、真の意味での人間解放運動としての視点から考えるならば、十四世紀から十六世紀にかけて、イタリアを中心とするヨーロッパ諸国で興った人間解放の潮流が、第一のルネサンスであるのに対して、会長の提唱されたように第二のルネサンス運動として位置づけることができるわけですね。
 確かに私も、学生時代から、レオナルド・ダ・ピンチやミケランジェロ、ラフアエロなどの絵画や彫刻を見ていると、なんとなく陰うつさのある中世のものに比べて、人間性が謳歌されている感を強くします。
 野崎 確かにルネサンス運動が、中世期の神や教会のから人々を解き放ち、しぜんの、ありのままの人間に、目を向けさせたことは事実です。しかし、当時の芸術作品に象徴的に示されているような、おおらかさ、教養、寛容性などの特質が、そのまま、ョーロツパの近代的人間像につながるかといえば、必ずしもそうはいえません。むしろ、その逆の面が強く押し出されているといったほうがよいかもしれない。
 ですから、ある学者は近世から近代、現代にいたるヨーロッパ・ヒューマニズムの歴史を、ルネサンスの人文主義を第一ヒューマニズム、それから、十八世紀のフランスの啓蒙主義に触発された近代市民社会の個人主義的ヒューマニズムを第二ヒューマニズム、更に社会主義思想の勃興を契機にして興ってきたものを人類的、あるいは社会的第三ヒューマニズムと呼んでいます。
 北条 しかし、そこにはキリスト教文明の発展という大きな枠のなかにおいて、一貫して変わらぬ傾向性というものは流れているわけでしよう。
 野埼 そのとおりだと思います。いま、キリスト教文明の枠ということをいわれましたが、ルネサンス期に花開いた近代的ヒューマニズムが、どのような紆余曲折をたどったにしても、そこに貫流しているものはキリスト教の精神だといえます。よく「ルネサンスと宗教改革」というふうに、並べていわれますが、ヨーロッパの南方に興ったルネサンス運動が、歴史を動かす動因となるには、北方のルターやカルヴィンによる宗教改革運動と競合、ないしは結合することが不可欠だったわけです。そうでなくてもルネサンスの文芸復興は、教養ある貴族階級、あるいは王候、貴族をパトロンにもった人たちの手で築かれたものだったわけです。その点、きわめて貴族主義的な色彩が強かった。
 それに対して、宗教改革運動の強みは、動機はともあれ、結果的には民衆の生活意識に直接かかわっていったということです。具体的にいえば、職業倫理の変革です。その点、詳論ははぶきますが、たとえE・トレルチが「宗教的新生つまり宗教的改革のほうが〈ルネサンスに〉比較にならぬほど強力な原理であった」といっているのは、多少極論であるにしても、おおまかにいって現世否定から現世肯定へという、中世から近世、近代への流れのなかで、プロテスタンティズムやカルヴィニズムの果たした役割は、想像以上に大きかった、といってもよいのではないでしようか。
 会長 その点は、非常に重要な指摘です。トインビー博士などが、あらゆる文明の根底に宗教が存在するといっているように、宗教というものは、人間の心をつかみ、時代、社会の動向を決定していくうえで、最大の力をもつものです。それだけに、民衆の土壌にどれだけ深く根を下ろしているかということが、宗教の生命線であるといってよい。ルターやカルヴィンの運動は、いかにも偏ったものではあったが、それなりに民衆の心をつかみ、民衆の生き方に対してある確固たる力を与えたという事実は、決して軽視されてはならないと思う。芸術といい、文化といい、その民衆に根ざした宗教的土壤のうえに開花したものでなくては、いかにもろいかということを、古今の歴史は明確に示しています。
 八矢 学会が「仏法を基調とした平和・文化の推進団体」といわれるのも、そのためですね。
 会長 それはそうなんだが、留意すべき点は、仏法の真価というものは、人間友好、善隣友好としての平和・文化運動のなかに、初めて発現されるものであるということです。人間を大切にし、社会を大切にしていくという、徹底した利他の菩薩行をとおしてしか、仏法精神の具体化はないのだし、過日の本部総会で、慈悲の理念について強調したのもそのためなのです。
 それにしても、さきほどのルネサンス精神と宗教改革精神との二律背反は、キリスト教文明の性格を象徴しているといえるね。ルネサンスは、快楽主義的、欲望解放的色彩が非常に強い。一方、宗教改革のほうは、きわめて禁欲主義的です。その両者のあいだの激しい振幅が、ヨーロッパ文明を特徴づけているといえるでしよう。
 私は若いころ、トルストイの作品によく親しんだのだが、彼の悲劇的な生涯は、このキリスト教文明のひずみを、よく物語っています。周知のように彼の若いころには、欲望というよりも生命のおもむくままに、奔放に生きた。そのなかから文学史をいろどる「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」などの傑作も残した。
 ところがある時期を機に、文学活動を含む自分の生活のあり方に非常な疑間を感じ、一切の名誉や財産をなげうって、禁欲的、自己犠牲的生活に入っていく。そして最後は、あの悲劇的な家出と横死です。仏法は、そうした快楽主義と禁欲主義という表層的次元のさらに奥に、生命主義ともいうべき、調和ある中道の生き方を明示しているのだが――。
 北条 それが”生命の背光”ということですね。「人間革命」の一節が思い起こされます。
 「社会の背後に人間を発見し、人間を解放しようとしたのが西洋の近代化の歴史である。とするならば、人間の背後に生命を発見したのは日蓮大聖人である。発見されたその人間が途方に暮れ、いずこへ行くべきかと長い影を引きずって暗黒の未来へ向かおうとしている時、その背後に、いま放つものは、いうまでもなく生命の哲理の背光でなければならない。この輝くばかりの背光こそ、未来に光芒を放ちはじめた、日蓮大聖人の仏法の存在である」と。
 近代のヒューマニズムを、文字どおり人間的ヒューマニズムであるとすれば、更にその人間を照らし出す”背光”となる生命的ヒューマニズムこそ、第二のルネサンスのカギを握っていることを痛感します。近代文明の危機が、あらゆるところで噴出しているだけに、ことのほかそうです。
 八矢 自由や平等をうたい文句にしてきたヨーロッパ社会が、ヒューマニズムとは裏腹の人種差別や、冷酷な植民地政策をとり続けてきた事実を目のあたりにするとき、第一のルネサンスの崩壊は、だれの目にも明らかであり、更に、その根底を流れるキリスト教そのものにも、大きな問題があったといえますね。
 実は私、ある新聞で読んだのですが、西イリアンの奥地を訪ねた調査隊の報告なんです。およそ未開といえばこれほど未開のところもないわけで、あたかも石器時代のような生活をしている。ところが、そんな奥地にも、キリスト教の宣教師が入り込んでいるというのです。
 確かに一面、その布教精神の旺盛さは認めなければなりませんが、更に驚いたことは、そのような村落のなかにある宣教師の家です。花が咲きこぼれる庭園をはじめ、水洗トイレあり、シャワー室あり、自いシーツのべッド、ラジオありで、目を見張るような豪邸に住まいつつ、飛行機を乗りまわしながら布教活動を行っているというのです。
 私はその記事を読んで、考えさせられてしまいました。最近は、キリスト教の宣教師による布教活動が、西欧列強の植民地政策のお先棒をかついできた、という非難をよく耳にしますが、確かに、自分たちの信仰や考え方、生活様式を独りよしとして、相手にそれを押しつけていくという点では、植民地主義と相通ずるものがありますね。
 会長 そういう行き方は、仏法とは根本的に相反します。自分も人間、相手も人間であるならば、まず飛び込んでみることだ。相手の考え方や生活様式のなかに――。そして苦楽をともにしているうちに、しぜんに友情なり、連帯感が生じてくるものです。一念三千の当体であるかぎり、当然のことです。それが「仏法を基調とした平和、文化の推進」ということです。その点をはき違えると、独善的な支配の論理に陥り、共和、共存の理想を実現することはできません。
 仏法は、まず神という因子があり、そこから神による選民が生じ、更に教化さるべき人間がいる、というキリスト教的”一因説”ではなく”二因説”なのです。”一因説”は支配の論理ですが”二因説”は、自分という因子があると同時に、他人という因子もある。自分を因とすれば他人は縁です。他人を因と考えれば自分は縁です。この因縁が、互いに因となり、緑となりつつ和合していくなかに、仏法で説く”法”というものが具現されるわけです。したがってそこには、人間同士になんら差別をもうけることなく、平等にして尊極なる生命の当体として扱われています。仏法が、真に平和の哲学であるといわれるも、そこにあるのです。
 野崎 文化の面でも同じことがいえますね。戸田前会長の指導のなかに、赤ん坊の”おむつ”の例を引いて、文化というものは、知恵の知識化であり、知恵の形式化である、との話があるのを、興味深く読んだことがあるのですが、確かに、相手の生活様式のなかに飛び込んでみなければ、その生活様式が、どのような知恵の発現であるかがわからない。したがって、文化活動の多様性や創造性に対して、いちじるしく偏狭な見方をしてしまいます。
 最近はヨーロッパ諸国でも、キリスト教文化を一律に押しつけていくことへの反省が強いようです。
 会長 しかし、この点、日本人も大きな顔はできないね。よく、ここのところ見かけるように、海外各地で日本人旅行者、またビジネスマンの品行が、現地で強いひんしゆくをかっている。閉鎖的な集団を形づくり、現地人と積極的に交わろうとしない。しかも、その行動自体、東南アジア諸国などでは、金の力にものをいわせて、いらざる優越感を振りまわす。そんな閉鎖意識、島国根性は、徹底的に打破していかなければならない。
 アジアやアフリカ、ラテンアメリカや中東などが重要だといっても、意識のほうは依然として欧米諸国に向かっているのです。世界がこのように混迷の度を深めているとき、その意識変革こそまず必要であり、それで初めて日本も、第二のルネサンスで、しかるべき意義ある役割を果たすことができるでしよう。
6  食糧問題
 野崎 ところで、このへんで、もう一度、創価学会の、人類に対する役割を考えてみると、やはり世界に起きている現実的諸問題と対応して、それを浮きりにする必要がありますね。また、この命題は、日本の、世界への貢献の道ということにも通ずるのですが……。
 青年部では、昨年の総会で「食糧問題調査団」を派遣することを採択しました。現在の日本人は食糧の問題では苦労をしていない。ですから、ピンとこない。しかし、世界には食べられないで死んでいく人は多い。世界の飢餓の実情をありのままに知らないと、食糧問題というものは日本人には理解しがたい。
 そこで私たちとしては、食糧危機に直面している地域に調査派遺団を送り、レポートをする。ありのままの姿をフィルムに収めてきて、映写会などをやり、キャンペーンを行い、救援募金活動をする。”百円玉カンパ”という運動もよいと思うのです。
 八矢 ほんとにバングラデシュやビアフラなどで、幼い子供たちが母親の眼前で、栄養失調のために枯れ木のようになって次々と死んでいく写真や記事を見ると、痛ましいというか、胸が張り裂けるようになりますね。
 でも、部分的には、このような悲惨な飢えの状態が紹介されてはいますが、国連などの資料にも、各大陸の食糧事情については、正確な全体的な資料がない。ここに大きな問題があるのではないかしら……。
 私たちと同じ人間が、きようも次々と倒れているという非情な現実を見つめ、その人々の苦しみをわが苦しみとして共有し、人間としての痛みを感じたら、立ち上がらざるをえない。会長は、この点の解決策について、第三十七回本部総会で「世界食糧銀行」の設置を提唱されましたが……。
 野崎 その「世界食糧銀行」の構想についてですが、会長は、ちようど二年前の昭和四十八年の一月にすでに明確にされていました。五百人ぐらいの青年が集まっている場所で、一人の青年が質問をしたのです。ちようどそのころ南米のアンデス山中での飛行機墜落事故にさいし、生存者のあいだで”人肉の聖餐”というショッキングな事件の詳細が明らかになり、議論が沸騰している最中です。
 彼は、世界的な食糧会社に勤めていることもあって、世界の食糧情報が毎朝テレックスで入ってくるのを見る。すると、わかるわけです。世界の飢餓状態が――。日ごろから、飢えと人間の死について模索し、悩んでいた。そこで、問いを発したわけです。世界では毎日、多くの人々が空腹で死んでいっているが、これを防ぐにはどうしたらいいか、と。
 そのとき、会長は「世界食糧銀行」を設置するのも一つの解決策である、といわれたのです。その青年は、ずっと悩み、考え続けてきた難問に光がさしたと大喜びし、アメリカにある本社の重役が来日するので、この会長の独創的な案を進言しますといっていました。
 北条 あの総会講演では「何を要求するか」ではなく「何を与えうるか」に発想の根本をおき、そこからその「世界食糧銀行」の提案がされている。
 また、日本は①農業技術の援助を ②自給率を高めよ ③他国の飢餓を傍観するな、とそのとるべき道が明らかにされています。
 会長 私が主張したいのは、さきの総会でも述べましたように「世界食糧銀行」うんぬんという機構上の問題もあるが、その基盤となる理念、思想が重要であるということです。地球上に住むいかなる人々であろうと、その人々の生存の権利を回復するということが不可欠であり、あらゆる人々から苦を抜き、楽を与えるという「抜苦与楽」の慈悲の理念こそ、いま、もっとも緊急に人々の心の興深く確立されなければならないことだと思うのです。
 私がさらにいいたいことは、よく平和ということが口にされるが、その中身こそ問われなければならない。権力者にとっての平和は、はたして民衆の側の平和か。断じてそうではない。つまり、民衆の犠牲のうえに成り立つ平和など、サタンの甘いささやきでしかない。
 したがって、食糧問題についていえば、ビアフラの人たち、バングラデシュの飢えた人たちにとっての平和、食糧危機の脱出こそ、考えなければならない。
 戸田前会長が、かつて、個人の幸福と社会の繁栄の一致を強調され、また一国の繁栄が、他国の繁栄を犠牲にしてはならないと主張されたが、これこそ、真実の平和論であると思う。
 この食糧問題とともに、私は、次は”人種問題”に取り組まなければならない、これも大きな世界的課題であると思っております。
7  民間の国際交流
 北条 人種問題についても、日本人はまったくといつていいほど実感がわかないのではないですか。一億を超える人口をかかえていて、単一民族、単一言語、しかもその言語といえば、世界でも難解な言語のうちの一つといわれる。
 こんなに人口が多くて単一民族で単一言語という国は、世界にはない。日本国内では九州に行こうが北海道へ行こうが、すべて日本語で通じる。世界でもめずらしい国といえましよう。
 八矢 中国には、大きく分けても五つの言語があるといわれていますね。同じ文字で発音の違いだけということですが、標準語の北京語に達者な日本の青年が、香港に行き広東語で放送されているテレビを見ながら「英語で聞いているみたいだった」と笑っていたそうです。
 スイスなども西部はフランス語、東部はドイツ語、南部はイタリア語というふうに同じ一つの国でも地域によって話す言葉が違う。そこに人種問題がからんでくる。アメリカでの白人、黒人の差別問題はあまりにも有名ですし……。日本にはこういう悩みはありません。人種問題についても、世界のなかで日本という国は特異な国といってもいいわけですね。
 会長 日本は、地理的にも一つの島ということもあって、そういう意味では、やはり孤立しているといわれてもしかたがない。日本人というのは、一つの線でものを考え、その他はダメだという閉塞した発想をしがちです。しかし、世界には限りない幾多の線があるということを忘れてはならない。
 他の諸民族と日常的な交流がある、いわば開かれた地域の人々は、この多くの線の存在を認めたうえで行動をする。この点は、見習う必要がある。島国的なところに視点をおいた見方は改めなければならないでしよう。精神的鎖国状態を打ち破るダイナミックな民間次元での国際交流というものが、どうしても必要になってきます。
 野崎 昨年六月、初めての中国訪問から帰国した会長が「私はまだ若い。これから二十年、三十年と走り続ける」といわれましたが、あの言葉にはハッとしました。衝撃的でした。
 北条 「世界平和波動」の第一年である今年も、会長は先駆をきって世界を奔走されるわけですが、その行かれる所どころの人々を、いつのまにか私たちはきわめて親しい友として感じているという気がするわけです。昨年の香港、北中南米、中国、ソ連も、身近にで感じられるようになった。
 報道される記事を読み、写真を見ると、一人ひとりが昔からの知己のように感じられる。私は、一人ひとりの胸のうちにわき起こってくるこの感情こそが、じつは、決定的に重要な要素と思う。この心情は、各国の人々が来日して、会長を訪れることによってさらに深まり、高まっていく。
 八矢 アメリカからNSAのメンバーが三千人もジェット機をチャーターしてやってきました。そして、日本の各地に行って、深い友好の結び、あちこちで、友情の尊い輪が誕生していく。日本という島に閉じこもっていた私たちも、海の向こうの友とじかに接し、いろいろと触発される。フランスからも、イギリスからも、タイからも、ペルーからも……。私たち主婦にとっては、いままであまり関心がなかった世界各地の名も、その名がニュースかなにかで出てくると、すぐ「あっ、あそこにはだれだれさんがいたわ」などと、友人の顔が具体的に思い浮かんできます。
 そのような友人がいる国とは、なにかの拍子で国家間の紛争が起きようとしても、とても争う気にはならない。強力な戦争拒否の心が根づいているわけです。このような友好の輪を、静かに忍耐強く積み重ねていくとき、不壊の平和が築かれるのではないでしようか。それに、このような交流を進めていけば、ある学者が日本人の特性としてあげていた二つの「ハイガイ」の思想、つまり「排外」と「拝外」という両極端な思想的国際オンチにる危険から、まぬかれることができると思います。
8  宗教の使命
 八矢 ところで、やや話題が変わるかとも思いますが、世界的な交流ということは、私たちが一人ひとり自覚していよいよ推し進めていかなければならないわけですが、もう一方では、全部の人が世界へ行くなどということはできないし、またその必要もないわけです。現実的には、限りあるメンバーが直接的に貢献可能であって、大部分のメンバーは精神的には応援できても、具体的にどこかへ行ってなにかをするということはできないわけです。この点は、どのように……。
 北条 日本の我々になにができるか――これは、大切な課題です。海外に行くと、やれ日本では既成の権力が腐敗堕落しているうんぬんといってみても、いわゆる日本総体としてのなかに、創価学会があり、仏法があるという見方です。密着したイメージでとらえる。これは日本国内の諸悪の根源はこれだと指摘してもどうしようもない問題で、やはり日本が世界に対して模範的な国になること、そのような理想の社会を日本の地に打ち立てていくということが、まず大事なわけです。
 大聖人の仏法は、世界宗教としての普遍性にあふれたものであることは当然ですが、この仏法が日本から始まったことはまぎれもない事実です。ですから、日本に模範的な社会をつくっていくことは、私たちの負った不可欠の責務です。私たちが日本において、仏法民主の時代を築いていく――これは、自分のブロック、地域においても、即、世界につながっているということではないでしようか。このためにも、世界へ妙法の舞台が展開していけばいくほど、いよいよ私たち日本にいる人々の行動が重みを増してくるわけです。
 会長 いま求められているのは、大聖人のご指摘の「才能ある畜生」、すなわち理性ある野蛮人が、ほんとうの人間として脱皮していくことなのです。今日まで、人間は、外なる文明の利器に魅惑され、内なる変革を怠ってきたといってよい。それにたる哲学、宗教を置きざりにしてきたのです。
 この人間の変革こそ、現代の転換の本源と、私はみる。その現代における重大な試金石こそ、否、重要な核こそ、私たちであると自覚すべきであります。
 野崎 日本の宗教運動というものは、大胆にいうならば文化運動といっていいのではないでしょうか。いま政治を変えたら、それでいいという考え方がありますが、これは間違いです。ぜんぜん変わらないですよ。政治を変えるものはなにかというと、体制を変えたら変わるということではない。政治の仕組みとか、そのなかでの行動形態を規定しているものは、文化です。更にその文化の主体となるものは人間であり、根本的には「人間革命」こそ、もっとも大切であるということになるわけです。
 そういう意味では、一大文化運動という流れを、潮流を起こして、その流れのなかに一つの政治というものも出てくる。その大河をつくっていくのが、創価学会の役目です。どうしても、そうなつてくると宗教という問題がクローズアップされてこざるをえない。日本だけではないですか、宗教を論じられないのは……。
 八矢 そうですね。海外特派員の長かった森恭三さんも、いっておられますね。日本人がいちばんばかにされるのは宗教がないということですよ。外国からみていると、日本人はいったい、なにを支柱にして、なにを考えているのかさっぱりわからない。なにをやり出すのか危なくてしかたがない、と。エコノミツク・アニマル(経済獣)とでもいう他ないではないか、ということになるんです。この言葉は、最大の侮辱の言葉なんですね。
 また司馬遼太郎さんは、南ベトナムへ取材に行って、サイゴン大学の女子大生に「あなたはなにがいちばんこわいか」と問いたら「仏さまがこの世でもっとも恐ろしい」と答えられて、骨がガクガク震えるような感動をおぼえたとも告白されています。
 あるいは、ある日本人の紳士が、アメリカの学校を参観して女性の教師に「あなたはなにがこわい」と問うと「私は聖書がこわい」といわれ、宗教のもつ力に改めてびっくりした、とも語っておられました。日本の現在の宗教的痴呆状態も、これまた、世界のなかでも際立っているのではないでしようか。
 北条 中近東と日本とのあいだを通算七年間ぐらい、土地測量の仕事で行ったり来たりしていた青年が、向こうでの回教と生活との関係を直接体験し、宗教というものについていままでの自分の考え方に疑いを発し、思索を始めたとき、思い出したのが、日本の会社の寮にいたときに、まかないのおばさんから聞かされていた仏法の話であったという。その青年は、帰国してから、進んで入会したといっていた。
 野崎 「宗教をもった人間はもっともカツコウがいい」(笑い)という時代がくるのではないでしようか。これからの四半世紀というものは「完全に個人の時代」ともいえる。個人サイドの運動ですね。個人の自覚というか、個人の自立というか、ヨーロッパ・スタイル、なかでもフランス型ではないかと思うのです。
 ところが、いまの日本人には、そうした自立の支柱になる自分の信念を高めるだけのものがない。感情的なものでしか反発できない。社会を根源的に変革するためレジスタンスを起こすだけのものはない。スタイルだけがモダンになって、個人主義といっても頭だけにあって胴体はまったく変わっていない、ということになってしまう。大事なことは、一人ひとりが信念をもち、裏づけの哲学をもっているか否かということです。
 会長 確かなものがないと、人間として生きていけない時代になってきているといえますね。仏法の思想――中道という考え方は、これからの時代に非常に重要な問題になってくると思う。中道というものの考え方は、中間という意味ではない。かなり原点的なものなのです。個人を大事にする、個人の存在を全体よりも優先するとか、原点を方法論よりも優位におくとか、いろいろな把握の仕方がありますが、この中道主義ということに光が照射されていくにちがいありません。
 八矢 宗教をもっということに、もっとも誇りと自信をもたなければいけないわけですね。日本では宗教をもっていることを、弱者のような感覚で受け止めている。西欧の国々では異なる。宗教をもっということは”人間らしい”ということになる。
 野崎 さきほどもふれましたが、日本の社会というのは、政治優先主義なのです。この考えを逆転していかなくてはいけない。ここに創価学会の存在理由があり、戦いがある。政治をよくしようと思っても、政治はよくならない。政治の領域を縮小しなくてはいけない。
 そのためには文化領域の拡大です。それには人間そのものを解明する宗教が拡大されなければならない。これしか、政治の根本的解決はできないし、文明の転換もできないという、もっとも普遍性のある道理なんですよ。それがないところは、いつも政治権力によって民衆は犠牲になるのです。
 八矢 そういう意味で、政治的にれているうんぬんといわれるが、これからは宗教的に後れているか否かを、問題にしなければならない。宗教的に後れたものを啓蒙する運動が私たちの運動でしようね。宗教的に後れているということは、人間的に後れているということになるわけです。
 ブラジルのある人に聞いたことがあるのです。宗教をもっている人間ともっていない人物と、どちらが信用できるか、と。まったく同じ条件であるならば、宗教をもっている人間が信用できるという答えが返ってきました。
 北条 深さがある、という見方なんでしようね。外国では、ばくぜんたる無宗教ということは、恥ずべきことなのですよ。
 八矢 欧米では、どこのホテルへ行っても、どこの場所へ行っても、バイブルが置いてある。いずれは、どこへ行っても、御書が置いてある、というふうになりたいものです。
 会長 それは形式上の問題ではなく「御書運動」という事実の積み重ねが大切です。御書という原点に立ち返って、もう一度、御書を読み直す運動をやろうということです。これは内部的な問題であると同時に、今後、日本のおかれた立場で生きていくためには、強さをもった人間をつくるということからも必要です。
9  創価学会の連動
 会長 ここで再確認の意味で申し上げますが、いかに、教育、文化といっても、そのエネルギー源は、なんといっても、生命のなかからほとばしっていくものです。したがって、閉塞された生命を打ち破って、内よりみずみずしい力をわき立たせていくバネが必要です。これが、日々の一人ひとりの勤行、唱題です。更に、人間の互いの触発作業の場として、座談会が、決定的に重要な活動になる。このことについては、昨年の新年号に、すべて明らかにしてありますので、もう一度、これを血肉としていただきたい。
 いってみれば、座談会は、創価学会の生命線であり、人間の本性に根ざした仏法流布の大波です。この大波を起こさずして、教育、文化といっても、さざ波に終わってしまうにちがいない。
 それから、幹部は、決して官僚化してはならない。一人ひとりを大事にし、自ら動き、語り、その人がいるところ、絶えず渦流が起きているという状況でなければ、沈滞した創価学会になってしまう。
 仏法には、知道者、開道者、説道者という三つの仏法者のあり方が説かれている。天台によると、知道者というのは意不護(意を惜しんではならない)、開道者とは身不護(身を惜しんではならない)、説道者とは口不護(口を惜しんではならない)とあります。したがって、たえず心を砕いていく、動いていく、対話していく――この三つが幹部に息づいていることが必要です。この息づきがあるかぎり、生命体としての創価学会には停滞がない。
 野崎 会長の日々の行動を思うにつけ、そのことは強く感じます。一人の人間の渦動が一切の変革の起点であることは、永久に変わらない創価学会の血脈ですね。
 北条 いままでの話で、創価学会が二十一世紀までの四半世紀、なにをめざすかということ、そして私たちがいかなる姿勢であるべきか、どのような行動であるべきかということが明らかになりました。更に猊下が、総会で「舍衛の三億」の原理を発表されましたが、これは、私たちの運動として、どのように考えたらよいでしようか。
 会長 これは、日本の広宣流布について、猊下が、次の目標を示されたものです。つまり、宗門にはかねてからの伝統として、広宣流布というのは、日本国中、一人も残らず信仰することだという理想を描いていたことがあった。しかし、それは、あくまで広宣流布というのが、未来の理想としてある段階のときのことであり、広宣流布が展開されつつある現在、一つの現実的な路線を敷かなくてはならない、ということです。
 と同時に、これは、永久に、日蓮正宗を国教にしないとの意味が込められています。昨年十月、私が猊下に、仮に日本が、国粋主義、国家主義の方向をとった場合には、国立戒壇にするのですか、とおうかがいを立てたとき、猊下は、即座に「永久にしない」と断言されていました。じつは「舍衛の三億」の話も、このときに話題となったのです。
 それから「舎衛の三億」ということで大切なことは、仏法理念の真実の流布ということです。時代社会が、意識するとしないとにかかわらず、仏法を発想の源泉とする方向に動いていくということなのです。
 したがって、それであせる必要は、まったくありません。仏法をたもった一人ひとりが、日常の生活、現実の世界、自己の周囲において、信頼の同心円を拡大していくことに尽きるのです。折伏というのは”法”への帰伏ということが根本になりますが、それとともに人間としての共鳴であり、生命自体の感化といってよいでしよう。
 八矢 そうしますと、仏法というものが、私たちだけのものではなく、社会の共有財産となり、民衆の核になっていくと考えてよいですね。
 野崎 仏法は、人類への貴重な遺産であり、やがて時代的思潮の底流を形成していくようにしなくてはなりませんね。そのためには”法”の偉大さとともに、”人”の社会における信頼を高めていくことですね。
 会長 「減劫御書」に「法華経に云く「皆実相と相違背いはいせず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法をおこなわず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり……外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」とあります。
 結局、社会のなかにしか、仏法はないのです。また世間の人々が、しぜんのうちに、仏法の知恵を発想としているという時代をつくっていくことでしようね。しかし、そうした時代を創造していくためには、まずなによりも仏法をたもった人が、その生活において、仏法がにじみ出て、人々の共感を得ていくことが、もっとも重要な決め手であると思います。
 北条 このことをふまえたうえで、これからの創価学会の運動は、更にダイナミズムが必要です。まず地域に即した主体性ある活動をさらに伸ばしていく。また、速距離通勤者、団地生活者、農村、漁村、社会的専門者など、個人差、生活サイクルの差を理解して、立体的な活動が必要になってくると思います。また、現在、同じ人間としての共通の立場から、人間広場運動を進めてきておりますが、これも、更に拡大していきたい。大B協議会を中心とした、自発的、能動的の活動も、当然進展させていく。こうした諸活動を、たんねんに盛り上げていくことが大事でしようね。
 野崎 結論的になりますが、こうした地道な活動の持続が、山梨県総会での会長講演のごとく、学会が平和勢力としての確実な地歩を築き上げていくことになるのでしようね。
 会長 そのとおりだと思う。最後に、もう一度、世界的視野に立って考えれば、現在、世界的展望に立つ指導者が、欠如していることです。人格、哲学、見識、国際性、行動力の面で世界を指導する多くの人材が出てもらいたい。私は、そのために道を開いていく。どうか、その意味で、人材育成にも、全力をあげてほしいのです。
 また、この背景には、学会員一人ひとりが、いずれの分野であれ、立場であれ、太陽の存在として輝いてもらいたい。その延長線上に、確実な平和への力が結集されていくからです。
 なかんずく指導的立場にある人の、絶えざる自己変革の連続こそ、今日までの権力の論理の流転に、終着をもたらすことになる。個人においても、総体においても、創価学会は人間革命運動が基調である。人間革命こそ、平和への無類の砦なのです。平和は、言葉ではない。うたい文句でもない。一人ひとりの一念のなかから発光してくるものであると、訴えておきたい。

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