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日蓮大聖人・池田大作

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訪中団主催 答礼宴でのあいさつ

1974.6.6 「池田大作講演集」第7巻

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1  本日は、私どもで、いささかなりとも感謝の心をこめて、この招宴を開かせていただきました。お忙しいなかをご列席いただきました廖承志先生ご夫妻をはじめ、諸先生方に心から御礼申し上げます。大変にありがとうございました。
 早いもので北京に到着して以来、八日間もたちました。あっという間に過ぎ去ったように思われ、また、到着の日が遠い過去のようにも感ぜられてなりません。この間、中国の朋友が示してくださった真心のご好意は、私は生涯忘れることはできません。
 たえずご案内をつとめてくださった金蘇城先生、葉啓■ようけいよう先生、陸建元先生、周徳林先生、陳永昌先生、若き女性通訳であられる殷蓮玉先生、その他、多数の運転をしてくださった方々、陰で働いてくださった服務員の方々等、心から親しみと友情の念をこめて感謝申し上げます。ありがとうございました。
 北京到着の日、夜半の空港には、廖承志先生、張香山先生、趙樸初先生、孫平化先生等、多数の方々の、あたたかいお出迎えをいただいた瞬間、私は旧知にお会いしたような感動がこみあげてまいりました。空港からホテルまでの車中、孫平化先生が同乗してくださり、そのおり、先生は「中国はまだ貧しい国です」とひとこといわれた謙虚な言葉が胸に突きささりました。
 私のいまの実感は、中国とそして中国の民衆は無限の可能性を秘めておられる、ということであります。毛沢東主席という卓越した指導者をえて、明確なる目標と理念のもとに胸を張って偉大な建設の道を歩まれている。ゆえに、心は貧しくない。むしろ真実の庶民の王者の気概がみなぎっている。この息吹こそ、中国の未来が洋々と開けゆく証左であります。
 私は多くのことを学びとりました。私は真剣でした。短い日数ではありましたが、この全身に可能なかぎり吸収しようと懸命であったことだけは、私の率直な気持ちでありました。私の胸裏には中国での一コマ一コマが鮮明に焼きついております。
 六月一日に行われた児童節では、少年少女たちの生きいきと躍動する姿に、はっきりと中国の未来を発見いたしました。二日の日の午前中、工場を訪問し、「てんびん計り」を作っていた主婦たちが幾多の困難を克服して見事に半導体(トランジスタ)工場を築きあげた、文字どおり「自力更生、刻苦奮闘」の縮図をみてまいりました。そのときお会いした草創の十一人の一人、李華さんのうれしそうな勝利の誇りの笑顔が、いつも目に映じてきます。午後には人民公社の一つを拝見し、一軒の民家を訪れました。そのおり、ご主人の趙広海さんに「もし、あなたが毛主席にお願いしたいことがあるとすれば何ですか」とうかがいましたところ、「毛主席に長生きしてもらいたいという希望だけです」とのお答えが返ってきたことが、強く印象に残りました。
 私は、大学、高校、中学などの創立者であるとの立場から、特に小学校、中学校、大学を訪問する機会をえ、つぶさに教育革命の実体にふれることができました。書物のなかや、教室のなかにのみ、学問があるのではない。民衆のなかに実践のなかに生きた学習がある、との姿勢は、私の信念、信条に強い響きをもって迫ってまいりました。私は、この教育革命の一つ一つの努力が、必ずや新しい時代の大河をつくっていくと信じてやみません。
 一日と二日、二回にわたる張香山先生を中心とする中国側の方々と私どもの代表団との率直な話し合いで、中国が決して侵略的でないとの六年前の私の発言の確信を強め、双方の信頼の強いきずなとなったことは疑いないところであります。
 このおり、張香山先生、林麗韞りんれいおん先生の理路整然と話を進められていく姿に感銘をいたしました。
 私はこの期間、遺言にも似た心境で、今回、若き青年で構成した訪中団のメンバーに「中国の人々とは世々代々まで信義を貫いていくべきである」ことを心の底から訴えました。
 もはや、言葉ではありません。私たちのこれからの行動を見てください。また、私は、自分の目で確かめ、自分の肌で感じた、ありのままの中国の姿を、必ず日本の人々に世界の人々に伝えます。
 重ねて中日友好協会の心あたたまるご好意に感謝いたします。これに報いるためにも、今度は私どもの方で、日本にご招待申し上げることもお約束いたします。
 なお、西園寺先生ご一家、ならびに北京在住の日本人記者の方々のご厚情にも、この席をかりて深くお礼申し上げます。
 最後に、毛主席閣下のご長寿を祈り、周総理のご健康を祈り、廖承志先生、ならびにご列席の諸先生と中国人民の栄光の前途を祝して、乾杯いたしましょう。

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