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日蓮大聖人・池田大作

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創価高校第5回卒業式 能動的に自己を鍛えよ

1975.3.15 「池田大作講演集」第7巻

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1  近き未来のジェントルマン諸君に、ひとことご挨拶申し上げます。私、本日、この晴れの祝典に時間がまにあわず午後からの出席となり、講演ができません。なにとぞご了承いただきたいとぞんじます。代わりに日ごろ感じておりますことを、このメッセージとしてお送り申し上げることをお許しください。
 この武蔵野の天地にも、さぞ沈丁花や梅の花が香り、春の気配がみなぎってきたことでありましょう。この三月十六日は学園にとっては開校記念の佳き日であり、今日は諸君にとってはめでたい卒業式であります。心からお祝い申し上げてやみません。先生方も諸先輩も、そして在校中の全後輩も、そしてもちろん私も、みんなそろって諸君とご両親方に対して、今日の卒業と将来の栄光とをお喜び申し上げているものであります。
 また、本校の先生方と職員の皆さん、多年心をこめて訓育し、たくましき卒業の日を実現してくださったご恩に、不肖私、創立者といたしまして、父兄全員とともどもに、厚く感謝申し上げるものであります。、ほんとうにありがとうございました。そのご誠意に対しましては、本校がますます充実し、健全に発展していくことを祈って、御礼するしだいであります。
 さて、今年の卒業生は一人残らず進学希望であるとうかがいました。いずれの学校へ進むにせよ、はたまた、更にその先はいかなる社会へ散っていくにせよ、この学舎で同じ歳月を共有した諸君は、みな生涯と友として、不変に友情と信頼を保ち合い、長い人生と広い社会のあいだにあって、すばらしい“人格の連帯”を実現していってほしいと思う。今日は、まずなにごとにも優先して、これを忘れないでほしいというのが、私の最大の願いであります。
 諸君は、己の進路を、進学にとったのですから、今年、来年のうちには、大学生になって、もう一歩高い学問の世界へふみこんでいく身であります。大学生活四年、その前半を過ぎるときには成人式を迎えて一人前の人間として、自分の両足でこの大地をふみしめて独立していかなければなりません。いわんや男子としてなんらかの革命児の自覚をもてばなおさらのことであります。そして実際、大学を出る前後の二十三、四歳ともなれば、めったなことでは親といえども小言はいえなくなるものであります。自分で自分の責任まをとるべき年代に達するからであります。そういう四年間に立ち向かっていく諸君に対して、私は一つ二つもっとも基本的なことを話して、はなむけといたしたい。
2  独立人格まをつくる大学生活
 大学とはいったい何か。大学生活とはいったいなにごとであるか。あたりまえの話ではありますけれども、それは“人間をつくる所”であり、“現代にふさわしき独立人格をつくる四年間”だというべきでありましょう。
 高い専門知識の獲得、真理の探究とはいっても徳性の開発を欠いた探究は、ただ破壊につながるだけであります。精神的な“乳離れ”もできあがらぬまま社会へさまよい出るのであれば、こんなわびしい話はありません。そのことは過去の戦争や昨今のいろいろな社会事情がその証拠を示してくれております。
 では大学にもいろいろありますが、一般論としていう場合、平均した諸大学の現状はどうであるか。残念ながら、マスプロ教育化のために、知識を養う機能は高くても、人間をつくる機能が相当に弱まっていて、この点についてだけは、過度の期待はできない実情になっております。ゆえに、この点を覚悟して大学へいくべきだ、と申し上げておきましょう。
 では、どう覚悟していけばいいかといえば、徳性や倫理性や不屈の精神というような独立人格面の諸問題は、“大学で足らざるぶんは自分の努力で補っていく”と決心することであります。
 一例ですが、幕末の傑物として名を馳せた勝海舟の場合、蘭学を志してのが十八歳ごろで、実際に学び出したのは、二十歳ごろ。一応完成したのが二十四、五歳と申します。この間、師匠について学んだのは、初歩の手ほどき程度のレベルで、あとは独学といえるような様子であったらしい。そして二十八歳の年には熟を開いて、大勢の人に教えるだけの城に達していた。
 ここで思うことは、人に教える立場と力は、蘭学の知識だけでできあがるものでありません。それには徳性をはじめとする総合的人格能力を必要とする。蘭学知識だけならば、先駆者とはいわれても傑物とは認められなかったはずであります。彼の場合、人格面は主に自分の努力で開拓していたのであります。
 現代の大学が、メカニズムのしからしむるところ、残念ながら総合人格面に対する“鍛え”の機能が弱まっているとしても、諸君は、これ幸いと自分を甘やかすことなく、どうか現代の風潮を突きぬけていくだけの力を発揮してみせてください。
 所詮、学問というものは、文科系にせよ、理科系にせよ、すべてその専門の道を通じて、人類数千年間の精神遺産、文化遺産を受け継ぎつつ、結局は「人間学」という一点に帰着して、それで自分の身も立て、かつは歴史的存在たる現社会まへ貢献していくべきものであります。どうか一点をよく心得て、今後にあたっていただきたいものであります。
3  常識への挑戦に学問の発展
 物理学の最高峰を極めたアインシュタインはこういっております。「常識とは十八歳以前に心に沈澱してつもりつもった偏見以上の何物でもない。それからのちに出会うどんな新しい考えも、この“常識”という自明な概念と戦わなければならない」というのです。すなわち彼は、既成の知識と戦っていくところに、ほんとうの前向きの“自分自身の学問”があると、確信にあふれて教えているわけです。
 実際、過去の学問の歴史は皆そのようにして発展がうながされてきたのであり、将来もまたつねにそうでありましょう。たとえば古い絶対論と、新しいアインシュタインの相対論との中間を開拓したコペルニクスも、まったく同じ態度でありまして、彼が樹立した地動説というものは、天動説というそれまでの“自明なる常識”にあえて挑戦したところから生まれたものであり、この史実は西洋史を通じて諸君にはそれこそ常識となっている話でありましょう。
 コペルニクスはこういっております。「太陽の方からながめて見た時、地球は初めてその正体を見せる」と。天動説に疑問をいだいた彼は、平凡な観測や計算に頼って、この偉大な発見をしたのではなかったわけです。彼の構想はこうでした。「世間の天文学者は皆、自分が住んでいる地球から太陽をながめて、その限りの立場から、天の方が動いている、と思っている。それならば、逆に、太陽の方から地球をながめたらどうなるか」というのであります。
 天動説だった古代ギリシャの神話では「この宇宙の中でアトラスという巨人が大地(つまり地球)をしっかりささえているから大地は動かず天の方が動くのだ」と説いておりますが、思考実験とはいえ、不敵にも天空高く舞い上がって、太陽にどっかと腰をすえて地球をながめるコペルニクスの力に出会っては、巨人アトラスといえでも、地球をおろしてすごすご立ち去らざるをえなかったというわけでありましょう。
 こうして天動説と地動説が出そろえば、あとは両説の“対等性”の発見が待たれるところまできたわけです。つまり、天動説も地動説も同じ条件で主張されているという“観測条件の対等性”がわかれば、あとは内容的にはアインシュタインの相対運動説も紙一重のところにあるということになりましょう。
 以上のような学問の態度は、人文科学の分野にせよ、自然科学の分野にせよ、先駆者たちには共通したものでありました。この態度こそ、大学で諸君がしっかりと身につけるべき重大要素の一つです。それは、学者になる、ならないの差にはかかわりなく、体得すべき大事な習慣であります。既成の知識と戦っていくところにはほんとうの前向きの“自分自身の学問”があり、この戦いをやめれば知的成長も止まってしまう。実際この態度に立たないかぎり、大学四年間は知恵を開発せずに、たんに先入の知識をかき集めて終ってしまうことにならないでしょうか。
 皆さんは、一世代前までの学生にくらべるとずいぶん恵まれていると思います。と申しますのは、日本の思想界、哲学界というものは、明治以来の成り行き上、ドイツ哲学一辺倒というほど、十九世紀以前のドイツ哲学におおわれてきたのでありまして、ついには「日本はドイツ哲学の世界最大の植民地」とさえいわれるほどだったのであります。
 戦前に文学者の芥川龍之介という人が「人智はギリシャ以来少しも進歩していない」と嘆いたことがありますが、それというのも十九世紀末までのドイツ諸哲学なるものは、その全部が、ギリシャ形而上学存在論の変形にすぎなかったからでありました。形而上学を廃して、批判哲学を説いたカントの学説でも結局はそうだったのであります。
 この十九世紀的な日本思想界の体質は、大学も含めてじつに昭和三十五年ごろまでいっこうに改まらなかったのでありまして、そのころまでの大学生は皆、古い仕方で古い内容の学問を教えこまれてしまった、といっても過言ではないのであります。以来、思想界の体質改善がすすみだしてから十五年、いまでは諸君のほうさえその気になれば、革命された二十世紀のあらゆる学問をぐんぐん吸収できるのであります。
 今世紀に入って三十年ぐらいのあいだに、諸学はいっせいに一大革命を経験し、それにつれて人類の世界観も一変してくるのですが、せっかくのこの大事なことも二度にわたった世界大戦、その他がさまたげになり、思想界への普及が四十年ほども遅れてしまいました。だが現在は、そうした普及の遅れも取り戻されて、いまやわが国の思想界の環境は明るいものになって諸君を待ちうけています。どうか若い新鮮な頭でぐんぐん消化していってください。
 ともあれ、卒業生諸君、本校でのよき思い出を生涯持続してください。そして諸君に続いて、健全なる後輩が年ごとに巣立ちゆくことを確信し、かつは楽しみとしていただきたいと思います。
 あと二十五年の後、二十一世紀の初頭には、一人も欠けずに立派な社会人の姿で学園構内を見学に来てほしいとも思います。
 わが愛するヤングの諸君、諸君に対しまして、私は、心から人生勝利の人であれ、諸君の幸多かれと祈って、お祝いといたします。

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