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日蓮大聖人・池田大作

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山梨広布20年記念総会 化儀の広布へ広布の作業

1974.10.13 「池田大作講演集」第7巻

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1  山梨県の皆さん、大変にしばらくでこざいました。きょうは、皆さんの郷里における広宣流布の二十年の前進を記念する総会、まことにおめでとうございました。(大拍手)心からお祝い申し上げるものであります。
 さきほど来、各部有志による心のこもった、いわば“手づくり”とも申し上げるべき立派な“郷土まつり”の数々を見せていただき、そのご苦労に厚く感謝申し上げるとともに、力のこもったその内容を拝見して、これからの山梨県はほんとうに充実、向上していく低力を秘めていると、心強く、またうれしく感じたしだいであります。
 また、この会場には、当宗のご僧侶方や県下各界の指導者の方々が、来賓としてたくさんおみえくださっております。ご多用のなか、わざわざ時間をさいていただき、まことに恐縮でございます。私、全員を代表しまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 この山梨の地は、皆さまもよくご承知のとおり、順逆ともに文底の日蓮仏法に結縁深い国土であります。すなわち「順」の面から申せば、佐渡からお帰りの日蓮大聖人が「賢人の習い三度国をいさむるに用いずば山林にまじわれと・いうことは定まるれいなり」となされ、身延の山中に分け入って、そこにおいて弘安二年十月十二日に「出世の本懐」を遂げ、化法の広宣流布を完成あそばされたからであります。昨日は、ちょうどその日にあたって、総本山では世界の二十か国の同志も参加して、盛大に記念の法要をいたしました。
 更には、第二祖日興上人は、本県鰍沢のご出身であります。そして、更には県下や四国の弘教に大きな活躍をした日華上人、日仙上人等は、これまた本県出身の人材であって、もちろんこの県下にも大きく下種結縁の史実がしるされたわけであります。
 「順逆」の「逆」の辺を申せば、重々ご承知のごとく、波木井日円が、民部日向の軟風にかぶれて、時の権力側に媚し、四箇の謗法を犯し、ついてに日興上人を身延離山にいたらしめた事実があります。そのほか、時代が下っては、武田勝頼が駿河へ出兵して、大石寺の諸堂を焼いたというようなこともございます。時代が特に末法の初めでありますから、良い面からも、悪い面からも、このように結縁を深めていったのでありましょう。
2  「順縁」と「逆縁」
 このことと関連して、ひとこと「広宣流布」ということについて申し上げてみますと、日蓮大聖人は、本門戒壇の大御本尊を建立されて「法体の広宣流布」を完結なさいました。したがって、大聖人滅後は、一転して「化儀の広布」の時代ということになるのであります。
 日寛上人は、これを次のようにも示してくださっております。
 「問ふ、今世既に後五百歳に過ぎたり、何ぞ一同の南無妙法蓮華経にあらずや。
 何ぞ未だ広宣流布せざるや。答ふ、此れに二意あり。一には、順縁広布……二には逆縁広布……若し逆縁に約すれば広宣流布なり。若し順縁に約すれば未だ広布せばと雖も後五百歳の中より漸々流布疑い無き者なり。若し此の一事虚しくならば世尊は大妄語、法華経も虚説となるべし。いかでか其の義之れ有るべき。其の義無くば日本国一同に流布すべきなり」と云云。
 この「順縁」と「逆縁」ということを、我々衆生の心田に、仏種を植えるという下種の側面からながめてみるならば、御本仏は久遠元初において、一切衆生の生命の奥深くに、妙法蓮華経という成仏の種を、しっかりと植え込んでくださったというのであります。「順縁」の者にも「逆縁」の者にも、もれなく下種結縁を施したというのであります。
 すなわち、これは聞法下種という状態である。この作業は宗旨建立の末法の初めにおいて、日蓮大聖人御自らの手によって完成しておりますゆえに「逆縁に約すれば広宣流布なり」と示されたとも考えられるのであります。
 聞法下種は、すでにすんでおりますので、こんどは大地にしっかり植えられた種は、必ず芽を出してくるように、聞法下種の仏因は必ずその人自身の仏性のめざめ――つまり「発心」というかたちにおいて芽生えてくる。ここのところを「発心下種」というのであります。すなわち、発心した人は、その機縁が「逆縁」から「順縁」へと変化したことになります。
 日本なら、日本一国のすべての人の心が、この「逆縁」から「順縁」へと変化していく過程およびその帰結が「順縁広布」であると考えられるのであります。これを「化儀」「化法」のうえからいえば「化儀の広宣流布」ということにもなるのであります。
 これを、ただ漫然としぜんの成り行きにまかせて成就することは、決してありません。我々がいろいろな各種の活動をとおして。仏法の精髄である妙法の御本仏をおおい隠している諸条件を、この世の中から、また人の心のなかから取り除き、厚い雲を吹き払って太陽の姿を明らかにするようにしていく作業を必要とするわけであります。これなくしては「順縁の広宣流布」の伸展はありえないのであります。
 真理といえども、だれかが道理を説き示さなければ気づかない。また法則といえども、現実との対応をさし示さなければわかりえない。いわおや、深い仏法の哲理においては、なおさらそうであります。
 人間の生命の深みにかかわるだけに、反動的な障害や困難もまた、大きいといわくてはならない。広宣流布の作業は、障害が大きいと覚悟しなくてはならない。ゆえに、我々は、不退の決意とおおいなる勇気を発揮して、この「化儀の広宣流布」の推進しているわけでありますし、ともにまた、これからりも私とともに、恒久平和のための前進を、心よりお願い申し上げます。(大拍手)このことは、皆さん方も十分にご承知のことと思います。
3  人類の未来を転換
 さて、こんどは視点を変えて、現在の日本の、また世界の様相のほうへ目を転じてみたい。ただいまは、物資文明の一つの頂点まできてしまった時代であると、認められております。科学の発達は、百年前では想像もできない段階にまで到達し、先進諸国は“大量生産の大量消費”という生活を展開している。
 文明の一つの特徴は、後戻りがきかない点であるともいわれておりますが、後戻りのきかぬものであるならば。いかにコントロールし、いかに方向を変えていくかが、切実な研究課題となるわけであるます。そうでなければ、生産力発展の結果が、未来の人類が必要とする地下資源を先食いしてしまい、地球全体てしての生態系を壊し、人間がつくりだした環境破壊が巡りきて、人類をじわりじわりと大量死の方向へ追い詰めてくるわけであります。
 一方、地上の多数者を占める開発途上の諸国は、なおもこういうかたちの文明発展を自国のうえに実現すべく、最大限の取り組みをしており、その結果、全人類の将来というものは、それも決して遠くない将来というものが、はなはだ灰色に閉ざされたものとしてみられているようであります。
 これまた、世界の食糧需給のすえからも、警告されるようになってきつつあります。開発途上国では、おしなべて、人口増加の抑制がきかないばかりか、その文明度の押し上げていく必要から、おおいなる人口増加を望んでいる国々もたくさんある実情であります。“先進国は高い水準の生活をしている。我々もおなじく高い生活を望む。そのための人口増加がどうして悪いのか”という、この平等を要求する主張は、おおいに理由をもっているわけであります。
 その一方、地球は三十年前から氷河期型気候に変わって、北半球では、寒いほうから農業生産が、どんどん落ち込みつつあるともいわれ、結局、地球全体として人口増加がこのまま進んでいくと、もはや食糧をまかないきれなくなる時がくるのではないか、しかもその時期は近いのではないかとも、予測されている現状であります。
 この点については、わが日本は、特に深い配慮と転換が必要になってきていると、私は思うのであります。わが国でも、主な食糧は多く海外依存というかたちをとっている以上、世界全体が食糧不足になったとき、一億一千万人という大人口を養うだけの輸入が、保証されているものであろうか、どうか――ひじょうに私は心配なのであります。
 なお、こういう姿は常識的な判断であるといってもよい。為政者の心ある態度がほしいわけであります。ざっと以上を考察してみただけでも、日本も世界も、大変な極限へ向かって進みつつあることが、感じられるのであります。
 昨今の悪性インフレも、そうした危機の前的胎動という性質のものとしてみなければならないように、私は思う。
 各国、各民族は、すみやかに利己的な態度をやめ、真に人類的視野のうえでの生命尊重の考えに立ち戻り、平和を基調とした協力態勢を組み上げなければ、人類としての未来を失っていまうことに、気づかなければなりません。
 いま、我々がなしつつある一大運動、すなわち「広宣流布を機軸とた文化運動」は、いま申し上げた人類の協力態勢構築の大運動として行われるべきものであり、たんに一宗一派の勢力拡大などという、低い次元から発想しているものでは絶対にないのであります。
 本日、ここにお集まりの親愛なる山梨の皆さんは、以上の関係をどうかご理解いただきまして、我々すべての人々が、楽しく生きぬいていくために、一切の地域の軸となって、この文化運動――広宣流布運動を、力強く、仲良く進めていっていただきたいことを、重ねてお願い申し上げます。(大拍手)
4  “常寂光土”の実現
 その大局観は、そのまま皆さん方の郷土・山梨をつくっていく社会運動、地域活動のなかにつうじていることも、知っていただきたいのであります。山梨の将来は、もちろん学会員の皆さん方だけでつくっていくものではありません。
 だが、県民全体の平和的な協力態勢の軸として、機能していく勢力は、私は皆さん方であると期待申し上げたいのであります。その居住の地域をつうじ、あるいは職場をつうじ、人と人との善意を結び合わせて、県下全体を、いわば“無組織の組織”とも表現すべき人間関係に仕上げていく原動力は、皆さんをおいて他には絶対にないと、私は確信しておきたいのであります。
 山梨県の立地条件というものは、昔から決して恵まれていたとは申せません。人口の総数は他県と比べて少なく、また昔から、水害との戦いをとおして不屈の根性を身につけてきた。勤勉で不退の独立精神に満ちた奮闘的性格は、実業界に幾多の人材を送り出したと評価されており、闊達な包容力には欠けるところがあるようですが、明朗にして剛健ともいわれております。「人は城人は石垣人は堀なさけは味方あだは敵」といわれる戦国時代の甲斐源氏の心意気というものは、これからの地域構築に、新世紀と新文化の装いを鮮やかにして、生命の息吹もみずみずしく、皆さんの異体同心のなかに生かされていくことを、私は期待します。
 ともあれ、国土は広いがゆえに尊いとはいえない。また、狭きがゆえに卑しいということも、絶対にない。「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」――これが尊卑を立て分ける根本原理であります。世間でも「住めば都」というように申しますが、この居住の国土を、郷土を愛し、人間革命を行じ、人間性にあふれた社会を実現し、“住めば常寂光の都である”と誇りうる山梨を実現していただきたいのであります。
 きょうは、この席をお借りして、少々むずかしい話を申し上げましたが、長い将来のためと思って、どうかご理解いただきたいと思います。たまにしか当地に足を運ぶことかできませんが、心はつねにいっしょのつもりであります。また、できるだけ皆さん方と会う機会をつくる決心でもおります。県下全員の皆さん方のご健勝と子々孫々までのご多幸を、心からお祈り申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。(大拍手)
 なお、会場を提供してくださった大学当局の皆さま方にも、厚く御礼申しあげます。ありがとうございました。(大拍手)

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