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日蓮大聖人・池田大作

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正本堂建立第三年記念大法要 大文化運動こそ切なる時代の要請

1974.10.12 「池田大作講演集」第7巻

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1  ひとことごあいさつ申し上げます。本日は、この正本堂建立第三年記念大法要の佳き日にあたり、このように盛大に、そして厳粛に、しかも明るく記念大法要に参加することができました。これは、もっぱら御法主日達上人のご高徳の賜物でございまして、私、全員を代表して厚く厚く御礼申し上げるしだいでございます。ほんとうにありがとうございました。今後も変わらず、ご指南、ご化導を賜りますよう、改めてお願い申し上げます。
 私たちといたしましては、第二章に進みゆく信心の原点を再確認して、広宣流布に励んでまいる所存であります。なにぶんともよろしくお願い申し上げます。
 本日は、こうして学会の幹部の代表、そして法華講の代表の方々等が集まっておりますが、ご覧のとおりに海外同志も二十か国より多数参加しております。私は、海外の皆さん、ようこそおみえになりました、はるばると大変ご苦労さまであります、と心よりお祝い申し上げるものであります。どうか信心の醍醐味をぞんぶんに味わってお帰りください。皆さんのご多幸を心からお祈りするものであります。ともに、この本門戒壇の大御本尊ご安置まします正本堂建立に、喜び勇んで参加してくださった八百万の法友の兄弟に、重ねて御礼を申し上げるものであります。
 申し上げるまでもなく、本日はその昔におきまして宗祖日蓮大聖人が熱原の法難を契機として、出世の本懐をお遂げあそばし、ただいま拝したとおりに本門戒壇の大御本尊様を顕され、一閻浮提総与――つまり全人類にこれを賜った日であります。この主師親三徳の深きご恩は、我々信徒たる者、どのように拝しようと、とうてい拝し尽くせぬところではございますが、信心の眼を一層確かなものとし、心の原点を再確認せんがために、ここで「開目抄文段」の一節を拝読してみたいとぞんじます。
 宗祖日蓮大聖人はいろいろな御書におきまして、自分は貧窮下賤の生まれではあるが、日本第一の法華経の行者である、と表明しておられます。この仰せについて「開目抄文段」で、日寛上人は次のように述べておいでであります。
 「此等の文意は内証の尊貴を顕さんが為に先ず御身の下賤を挙ぐるなり。今またかくの如し。文意に云く、身はこれ下賤の者なれども内証はこれ尊極なり。通じてこれを論ずれば日本第一なり。豈尊極に非ざるか。別してこれを論ずれば、且く六意を明かさん。一には謂く、智尊貴なり。能く流転の所以を知りたもうが故なり。
 二には謂く、慈悲尊貴なり。能く大慈を以て折伏の心地を決定したもうが故なり。
 三には謂く、誓願尊貴なり。能く不愛身命の誓願を立てたもうが故なり。四には謂く、行者尊貴なり。能く三類の強敵を忍ぶが故なり。五には謂く、本地尊貴なり云云。六には謂く、三徳尊貴なり云云。且く当抄の意によって略して以て六意を示す。何ぞ止六意のみならん。実に無量の徳を備えたまえり。誰か尊重讃歎せざらんや」
 以上のように日寛上人は、きわめて具体的に内容と事実を列挙して、宗祖の尊極であられるゆえんを明示してくださったのであります。
 いま、私どもが信心の原点と申しましても、信心の原点という言葉だけでは、これは抽象的な表現でありますから、人によっては内容の理解が明瞭になってこない恐れを生じます。・ところが、いまの日寛上人のご教示を拝するならば、万人が共通に、そして明らかに具体的な内容を会得できるのではないかと思いまして、いまの文段を拝読したわけであります。
 我々は御本仏の眷属としてひたすら大聖人を拝し、その教えを捧持していくべき立場であります。したがいまして、右の日寛上人の六意のうち、つまり一から六までの宗祖の御徳のなかに、我々が堅持していくべき心得の肝要が、深く関係しているように考えるのであります。すなわち、信心の原点の立てどころが、対応の関係として存在しているように考えられるのであります。若干、飛躍するかもしれませんが、それを列挙してみます。
2  一に、我々は以信代慧の本因の姿勢に徹し、過去遠々劫来の謗罪を懺悔し、
 人間革命の道を究めていくこと。
 二に、折伏精神を生涯堅持し、名聞名利に流される等、堕落しないで化他に励むこと。
 三に、化儀の広宣流布の大願に生き通すこと。
 四に、各種の難はつねにあるものと心得て魔と戦っていくこと。
 五に、妙法の哲理を守りぬくこと。
 六に、大御本尊を唯一無二と信じたてまつること。
 およそ、このように心得てまいりますならば、具体的に信心の原点というものが再認識できるものであろうと思い、申し上げさせていただきました。よろしくご理解をいただきたいと思うのであります。
 話は変わりますが、人類の将来を展望したとき、どうしても地球全体、人類全体として、見直していかなければならないようであります。すなわち、世界全体としての人口増加を抑え、食料の生産とその配分を心がけないと、遠からずして人類は、大飢餓に直面しなければならないと、警告が発せられております。石油や金属類などの人類が使用しうる基礎的資源についてもそうであります。
 このような時代の推移の時は、過去では必ず戦争になっております。ともかく、まとめていえば人類の生活の仕方、文明の形態が、根本から問い直されている時代であります。狭くわが国、社会の現状だけをみましても、ただじっとがまんして時の過ぎるのを待っておればよい、というような過去のタイプの経済難ではなくなっております。それゆえにこそ一大文化運動が必ず興らなければならない、また興さなければならない、というのが時代の必至の状況でございます。
 ここに私どもの使命がある。こういう時代に、この霊地に正本堂が完成し、世界から続々と大生命哲理の根源を求めて参集してくるようになりましたことは、不思議な時の力であり、仏意の導きたうところと深く感じてやみません。
 どうか皆さん、男女、年齢、国籍、職業、それぞれ別ではありましょうとも、異体同心という浄らかで強い一念の絆によって、多様性のうちに統一を保ち、我らは我らの方法をもって地球と人類の命運を、責任感に燃えて切り開いてまいりたいと思うのであります。これこそ日蓮大聖人へのご報恩であると思うのであります。まずは以上を申し上げ、会員各位のご健在を祈りつつ、あいさつを終わらせていただきます。

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