Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

男子部夏季講習会② 実践弘教に真実の得道

1974.7.31 「池田大作講演集」第7巻

前後
1  私は昨日の全体集会で学会草創期のことを語った。また私自身の信仰体験にもふれて、この尊い人生を生きぬくうえで、もっとも大切と思われる諸点を述べた。すべては、これからが人生の本番であり、晴れ舞台を迎える諸君たちに、少しでも参考になるならと願いをこめたものであることを了解していただきたい。
 きょうは、その話の続きになるが、特にいま、感慨深く思い出されるのは、青年部といってもわずか十人前後の勢力であった昭和二十二年当時と、今日の青年部を比較しての歳月の重み、隔世の感を、しみじみ痛感することである。
 きょうの講習会一つを取り上げても、生気はつらつとした優秀な青年が約三千人も参加している。全国的に広げてみれば、幾十万の青年部の代表が、同じように炎天下で仏法学習の尊い汗を流しているわけである。昭和二十二年当時においては、このような壮大な青年部の発展など、想像もできなかったことであり、この間の歴史を振り返るたびに、私は、妙法の力の不思議さ、また、ありがたさというものを禁じえないのである。
2  この二十七星霜の私自身の実践史をとおし、いまもっとも痛感することの一つは、やはり五濁に紛動された主体性のない人というのは、いつのまにか、ふるいにかけられたようなかたちで、後退しているという、避けようもない仏法の厳しい現実があるということである。
 もとより仏法の極理は「善悪一如」にあり、そうした落伍した人にも不変の慈愛をそそぎ、また救済していかなければならない使命もあるわけだが、長いようでも、あっというまに終わってしまうてあろう、この貴重な人生にあって、私は、そうした無意味な青春を送ってはならないということを、諸君たちの先輩として申し上げたいのである。
 たとえば組織の一個人として五年、十年、二十年と自己の信念に徹して生きぬいてくると、あるていどの人生のパターンというものがわかってくるものである。そうした観点から、ある人は宗教革命を叫びながら一歩後退し、。ある人は自分本位の世界をつくりながら、その一方では女性問題などで自分に負けて退転してしまうといった、いくつかの現実を振り返り、。ひじょうにわびしい思いにかられ、若き革命児としてほんとうに情けないという気持ちをもったものである。そうした過去にいだいた心情をもち出すのも、そのような苦い経験を二度と、前途洋々たる諸君たちにさせたくないという、心からの願いからであることを知っていただきたい。
 人さまざまで、だれが見ても、著しい進歩の足跡を刻んでいると思われる人もいれば、人目につかない所でコツコツと粘り強く、雑草のごとく戦う青年もいることであろう。しかし私は、信心という一点における信仰活動の舞台にあっては、だれが見ていようがいまいが、黙々と真剣に仏法弘通の実践に徹した後者の人であってもらいたいと思う。
 広宣流布という未曾有の平和革命を推進するがゆえに、今後もさまざまな苦難も当然あると思う。だが、いかなる場合も、透徹した信心というハガネ、創価青年としてもっとも誉れある平和革命に徹した先駆者としての使命感だけは、つねにわが生命に映し出していける“粘りの信心”だけは持続してほしい。その一念の原点が自らの人生の勝利を決定づけるであろう。
 どうか諸君たちよ、奥底の信念だけは不動なものとし、あとは朗らかに、伸びのびと行動し、有意義で価値ある青春時代を送っていただきたい。
 次に御書の一節を引用したい。
 「いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・めざれば得道ありがたし」云云と。
 これはひじょうに厳しい人生の名鏡として読むことができる。どのような有名人になったとしても、また、いかに大金持ちになり、社会的にも優れた慈善事業をやっているといっても、更には、最高の仏法学者といえども、つまり広宣流布という未聞の実践活動なくしては、得道はないというご金言である。
 大聖人の一念三千の極理を知ったとしても、民衆救済という実践活動なくしては、単なる観念であり、御本仏の精神の極意に入っていないという、この峻烈なる一節をよくよく銘記していきたいと思う。ご遺命のままに、如説修行の妙法広布の現実こそ、御本仏の賛嘆にかなったものであることを心から確信して、いちだんと歓喜あふれた実践を進めていただきたいと思う。
 正法弘教について、ひとことふれておきたい。それは、この宇宙に実在の本源力としての御本尊を受持した者として、なんとしてもこの人を幸せにしてあげたいという、慈悲の行為にほかならない。“なんとかしてあげたい”との、やむにやまれぬ行動自体に妙法の力はすでに湧現され、自分自身への偉大なる自発の変改になっているのである。他への思いやりが、そのまま自らの宿命転換をも可能にしている、得道の大地を広げている、ということである。活動の分野は、どんなに狭かろうと、また苦闘の坂道にあろうとも、広布に進みゆく人々を守っていくという一念に得道があるということでもある。
 どうか、この普遍の大善、行動の真髄を忘れることなく、一人ひとりが永遠に成仏の軌道を確立していっていただきたい。(要旨)

1
1