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日蓮大聖人・池田大作

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男子部夏季講習会① 尊い人生に主義主張を貫け

1974.7.30 「池田大作講演集」第7巻

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1  暑いなか、大変にご苦労さまでございます。この全体集会が終わりましたら、どうか、大学構内をゆっくり散策して、思い出をつくっていただきたい。当初、創価大学での講習会も、一泊でもしてもっとゆっくりできる計画であったが、ご承知のとおり、大学もまだ建設途上にあることと、輸送力の制限もあって、やむなく日帰り講習会となった。将来は、更に伸びのびと、価値ある講習会となるよう総力をあげていく決心でありますので、ご了承願いたい。
 しかし、一日の講習会といえども、非常に重要な意義を含んでいるものである。いな、一分でも五分でも、場合によっては、その人の運命を決めてしまうことだってありうる。人生の勝敗は、その人の一念の姿勢によって決まるといもいえるだろう。その意味において、私は、この暑い日に汗を流しながら、仏法哲理を学んだということは、どれほど偉大なる福運と栄光への人生の方向づけを行ったか、計り知れないものがあると思う。そのことを自ら覚知して、新たな第二章広布の旅立ちをしていただきたい。
2  次に私の人生体験にふれておきたい。私の入信は昭和二十二年八月二十四日、十九歳のときであった。今年で二十七年目を迎えるわけであるが、昭和二十二年といえば諸君たちは、まだ少年時代であったと思う。当時の創価学会は、戸田前会長が出獄された直後の再建期にあり、青年部といっても、十人前後で、ひじょうに弱体であったことはいうまでもない。
 そうした時代拝啓のもと、入信の第一歩を踏み出した私は、元来、体も頑健でなく、加えて神経質で、いつ倒れるかもわからないような青春であった。家庭の方も、兄が戦場にかり出され、残された母親のかわいそうな姿を見るにもしのびない状態で、そうした環境のなかで育った私は、すべての物事に懐疑的となっていたことも事実であった。
 以上のような貧しくて苦しい家庭環境に育った私は、戦争に対する憎しみの情だけはぬきがたいものとなった。それが戦争絶滅、反戦平和の不動の信念として、芽ばえたわけである。何がいったい戦争悪なのか、戦争責任者と国家神道とはどういう関係にあるのか等々、こうした考えが私の入信動機を形成したといってよい。
 しかし、直接の動機となったのは、民衆のため、正義の主義主張に生きるためには、いかなる弾圧にも屈せず、入牢をも辞さない指導者への敬意にあり、その思いが、奇しくも戸田前会長という出獄直後の希有の指導者とのめぐり会いによって実現したわけである。
3  なにをやるにも建設期というものには苦労がつきものである。入信後の私にも、多くの苦悩があり、特に人間関係のうえで矛盾を感じ、どうしても好きになれないといった、心苦しい藤をおぼえたものである。その点、諸君たちとなんら変わるものではない。
 しかし、そうした私も、あるときにハラが決まった。さまざまなかたちで人間革命していける仏法哲理の深遠さと、たんに批判だけしていてもなにも残らぬ、悪ければ悪いほど自分の力で理想的なものに変革していかなくてはならないという、恩師の遺訓を胸に、私は私なりの発心と理想郷の建設をめざしての戦いが始まったのである。
 どうか男子部の諸君も、現実を直視した場合、まだ理想的でないものもあると思う。人間という凡夫の社会ゆえに、矛盾することもたくさんあるだろう。しかし、あれが悪いからこうだ、これがダメれだったからこうだ、という批判だけでは、なに一つ価値の創造はない。まったくのナンセンスである。どんな悪条件が重なろうとも、また、どんな不満があろうとも、信行学という最高の実践力を発揮させ、この自らの手で、より良く変革させていかなければならないという、強い正義の人生観に立って、理想的な地域広布の建設の主役となっていくよう、心から切望したい。(要旨)

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