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日蓮大聖人・池田大作

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北陸広布20年記念総会 ”根本尊敬”の当体は人間生命

1974.4.28 「池田大作講演集」第7巻

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1  富山、そして石川両県の皆さん、大変にしばらくでございました。(大拍手)本日は、特に日蓮大聖人立宗の佳き日を選んでの「北陸広布二十年記念総会」と銘打った総会、衷心よりお祝い申し上げます。(大拍手)また、たくましくも、美しい伝統文化祭にもお招きをいただきまして、心から感動し、ここに御礼申し上げるものであります。ありがとうございました。(大拍手)
 ともかく、皆さん方のとても元気いっぱいのお姿を拝見し、これ以上の喜びはございません。また、この会合には、北陸の文化や産業を担って立たれる各界の代表の方々が、たくさんお見えくださっていることをうけたまわり、会員を代表しまして、厚く御礼申し上げるしだいであります。ありがとうございました。(大拍手)
2  本尊の具体的内容
 大聖人立宗のことにつきましては、大石寺二十六世日寛上人は「立正安国論文段」において,こう述べておられます。
 「凡そ後の五百歳中広宣流布の時既に来る……十二歳に入室し、十六歳に落髪す。学は八宗に亘り、蔵は三般に入る。建長五癸丑四月二十八日朝陽、眉を旋げて始めて経題を唱う。一宗の濫觴この一涓に在り」(聖教文庫59)12㌻)云云。この御文によってもわかりますように、日蓮大聖人はじつに二十年間の長きにわたる、水ももらさぬ周到なるご研鑽を経て、しかる後に、断固として一人お立ちになったのであります。
 いまは、それより七百余年を経て、その大慈大悲のおかげを一身にこうむって、現在の私どもがあるわけであります。
 私は不肖ながら、皆さん方の代表として,、今朝はあらためて日蓮大聖人に対し奉り、深く深く感謝申し上げてまいりました。どうか、皆さん方におかれましても、きょうをおおいなる人生の契機としていただいて、明るく、力強き精進と展開とをしていかれますよう、心からお祈りするものであります。
 立宗の日にちなみまして考えますことは、日蓮大聖人は、いったい何をこの世に弘めようとさたのか、という一点であります。それは、端的に申し上げれば「本尊」であります。根本として尊敬すべきものとしての「本尊」であります。
 人は、根元に迷えば、枝葉にも迷い、根元に迷いがなければ、枝葉末節の迷いもおのずから消えていくものである。ゆえに、いちばん大事な根元のところのものを、一切衆生に与え、弘められたのであります。
 では、その「本尊」の内容とは何か。それに関しては、御書のなかにおいて「自分は幼少の時に、清澄寺で虚空蔵菩薩に対して、日本第一の智者になしたまえと祈って、大智慧をたまわった」という意味のことを述べておられますが、晩年において、その具体的内容を第二祖日興上人に示しておられます。
 すなわち「御本尊七箇の相承」のなかに「明星直見」の本尊の事如何。師の曰はく、末代の凡夫、幼稚の為めに何物を以て本尊とす可きと虚空蔵に御祈請ありし時、古僧示して言はく、汝等が身を以て本尊と為す可し、明星の池を見給へとの玉へば、即ち彼の池を見るに不思議なり。日蓮が影、今の大曼茶羅なり」というのが、それであります。
 これにつきまして、あえて誤解をおそれずに申し上げれば、「汝等が身を以て本尊と為す可し」とあるとおり、人間の生命をもって本尊とせよ、とのことでありまして、一切の根元は“生命”それ自体である。根本として大切にして尊敬を払っていくべきものは,まさに“人間革命”そのものである、という哲理であり、思想なのであります。
 では、そう断言できる道理の根拠は何か。それは同じく同抄のなかに、このように申されております。
 「師の曰はく、法界の五大は一身の五大なり……法界即日蓮、日蓮即法界なり。当位即妙不改無作本仏の即身成仏の当躰蓮花、因果同時の妙法蓮華経の色心直達の観、心法妙の振舞なり」云云と。
 すなわち、日蓮大聖人が仰せられるのには、宇宙法界の全要素と日蓮という一個の生命体の全要素とは、まったく同じものである。日蓮の振る舞いというものは、人工的な作為を超えたところの、自然の奥深い因果にもとづいた「心法妙」の振る舞いなのであり、それゆえに、この生命を「本尊」として大切にできるのである、という意味のことを述べておられるのであります。
 私どもは、このご教示において「生命の尊厳」の原点を見いだし、あらためて“人間とは何か”ということを問い直し、この二十世紀において、新しき人間の復権をめざして、庶民と地域に根ざした斬新なる文化諸活動を展開しているわけであります。きょうのこの文化祭も、その一つの昇華であります。
 以上のように申し上げますと、一つの疑問がでてくるかもしれません。それは「原理上は確かにそうであろうが、現実問題としてみるならば、同じく“一個の生命体”といっても、日蓮大聖人は悟っておられる。我々は毎日迷っている。したがって、両者のあいだには、埋め尽くせない、越えがたい断層が存在しているのではないか」ということであります。だが、この疑問に対しては、日寛上人が「寿量品談義」のなかにおいて、まことに鮮やかに解答を与えられているのであります。
 すなわち「仏果を成ずくことは因行による、因行を励むことは信心による、信心を進むことは法を聞くによるなり。聞かずんば信心生ぜず、信心生ぜずば修行を怠る。修行を怠れば未来何なる処に生るべしや。よって歩を運んで聴聞肝要なり。聞く裏に信心を生ず、其の間が仏なり。一念信心を生ずれば一念の仏、二念信心生ずれば二念の即仏乃至一時信心を生ずれば一時の仏なり、一日信を生ずれば一日の仏なり乃至云云。信心生ずること必ず聞くに由るなり。縦ひ信心を生ぜざるやからありとも、聞きさへすれば功徳無量なり」と。
 さきほどの疑問は、この日寛上人のお話によってお考えいただけれは,道理のうえからおわかりいただけると思います。
 つまり、大聖人と私ども凡夫という両者のあいだには、法を聞くこと、信心という橋をかけることによって、立派に往来できると、日寛上人は教えておられるのであります。
 「一念信心を生ずれば一念の仏」であるならば、願わくは、一生信心を貫いて、生涯の仏たらんことを願いきって、この世を生きることそれ自体が楽しくて楽しくてたまらない、というような遊楽の人生を、生ききってまいりたいと思いますけれども、いかがでしょうか。(大拍手)
 そして、たんにわが身だけにとどまらず、北陸中のすべての方々に、この妙なる生命の原理を示しきって、やがて北陸の方々から、心より信頼と感謝の絶賛をうけられるような幹部の諸兄であっていただきたいことを、お願い申し上げるのであります。
3  北陸の歴史と未来
 さて、話題は変わりますが、同じ北陸の隣同士とはいえ、富山県と石川県とでは、だいぶ趣を異にしているとうけたまわっております。
 だが、全国というものを視野に入れて、この地をみれば、やはり同じ北陸の重要な部分同士として、宿命的に共通する基盤のうえに立っている点もみられます。
 立地のうえからみた場合に、名古屋が太平洋ベルト地帯の中央にあるように、ここ金沢は日本海側の列島のほぼ中央に位置を占め、徳川時代の当初から、名古屋と並んで京阪と江戸につぐ一大産業圏、文化圏を構成してきた、奥行きの深い地域でありました。
 それが皆さん方の誇りとする加賀百万石のお国柄であったわけであります。事実、ほんの一例をみても、越前、越中、越後の三国が産出する米は、京阪大都市の人々にとって、欠かせないものであって、それを運ぶ北前船はここ北陸のものである。この地の回船問屋は、ただ京、大阪へ原地産の米を運ぶだけにとどまらず、北は北海道から南は九州まで広く日本海を往来して、物資の流通を一手に引き受けてきたわけであります。
 こうした国土的な条件に加えて、今日の富山、石川をあらしめた歴史上の条件に、前田藩が置かれたという政治的事情があります。それは、皆さん方のほうが私よりもよくご承知のことですが、あえて申し述べれば、前田藩は織田、豊臣の流れをくむ外様大名で、しかも、群を抜く随一の大藩であったために、徳川時代になるや、取りつぶしや転封に対して、最大の予防努力をつづけなければならなかった。
 藩祖・前田利家以来、大々的に都ぶりを導入して、この金沢を平和な、そして文化都市に仕上げてきたのもそのためであったし、わざわざ富山十万石を分家として独立させ、本家の百二十万石を自発的に百万石まで縮小したのも、そのためであったと聞いております。
 こうした成り立ちの事情があったため、加賀藩は大藩となり、富山藩は小藩となり、その結果、富山のほうはもっぱら事業と実学で生きぬいていくべく方向づけられたと考えられる。
 そのために、文化活動は起こりようがなかったし、加賀、すなわち金沢のほうには高度な消費的な文化芸術の花が咲き、この違いが今日まで濃厚に、県民性の差として現れているものであると思うのであります。
 富山のほうは、はつらつたる進取的な実利主義に生き、石川のほうは絢爛たる文化主義に生きている。それは、隣同士としてまことに格好な相補関係をなすものとして、これからもますます互いの長所を出し合い、協力していかれるようお祈り申し上げるものであります。
 江戸の昔、学者・室鳩巣は「越中百里山河壮なり」と詠じて、富山人の剛健、堅忍の積極性を承認したそうでありますし、荻生徂徠は「加賀には一人の乞食もいない」と感嘆した。事実、政治は一に加賀、二に土佐と称せられたほど加賀の政治は進んでいた。また、新井白石が「加賀は天下の書府」と賛嘆したほど、文化が充実していたわけであります。だが、未来の北陸は、いたずらに回顧的な過去の誇りに安住して、将来の生活設計を見失うのは許されないと思うのであります。きたるべき将来には、それにふさわしい新しい北陸があるべきでありましょう。
 実利主義といわれる富山には、知性の薫風が必要でもあろうし、能登の重厚な気風はいずれ厳しい生活環境を克服して、自由なる人間精神に昇華していくべきでありましょうし、加賀の穏やかなつつしみ深さは、やがてそれに加うるに、気合のよさというものを必要としてくるのではないかと思うのであります。
 こうした未来性の探究という意味におきまして、私は近年、金沢大学を中心として行われている「日本海文化圏」の構想、研究に深い敬意を表するものであります。ここ北陸の産業と文化と人的交流とが、この日本という国内、海を隔てたソ連や朝鮮や中国という外国との関係において、現在いかなる実況のもとにあるかを調べ、それにもとづいて、この北陸がこれからいかなる役割を果していくべきかを、学術的に解明し、その指針を探り出そうとする運動であると聞いておりますが、ひじょうに大切な運動であると、私は思うのであります。
 そうした専門研究については、私は門外漢であって、なんの発言力ももっていないものでありますけれども、その着想の正しさだけは、素人である私でも、明確にわかるような気がするのであります。
 広く青森、秋田の沿岸から,西南は山陰の沿岸までをふまえて、日本海域の対岸たる諸国との産業文化の交流に構想を練り、かたや良くも悪くも、あまりにも肥大化してしまった「太平洋ベルト圏」の存在に対して、後れをとったといわれる日本海側の各県が、これからどのように働きかけ,機能して補完関係を結んでいき、よって日本全体としての均衡を健全に保っていくべきか――ということは、これは、たんに北陸のためというにはもったいない課題であります。これは、むしろ国家的な課題であると私は信じますゆえに、関係当局はもちろんのこと、いまここにお集まりの皆さん方としても、おおいに調査、研究と開拓の実績を積み重ねていかれますよう、心からお願いするものです。(拍手)真摯なる愛郷心の燃ゆるところ、その努力は必ず立派な開花をみるであろうと、私は固く信ずる一人であります。
4  すべてに積極姿勢で
 さきほどもちょっと申し上げましたが、人間なにごとかを成し遂げようとするならば、気合いよく体当たりしていく態度というものが、ひじょうに必要なのではないかと思うのであります。その意味で、学会活動にせよ、文化活動にせよ、はたまたあらゆる職業の展開にせよ、潔い信心を根幹として、ほんとうに腹の底から好きになっていくことが大切であろうと思うのであります。
 ある心理学の本にこのように書いてありました。
 「感情が行動を決める――好きになれない仕事はだれでも避けようとする。しかしいやな仕事でもやらなければならないとすれば、こういう気持ちを抑えてやらなければならないので、これには大変な努力を要する。好きな仕事ならばその仕事に全精力を集中できるが、いやな仕事だとそれから逃げようとする心がはたらく。この逃げようとする心のエネルギーが四だとすれば、この心を抑えるために必要なエネルギーはやはり四である。そうすると仕事に向けられるエネルギーは残りの二だけしかないことになる。ところがその仕事が好きになれば一〇のエネルギーを全部向けられる」というのであります。
 「敢で為すを勇と言い」――このように仏法では申しますが、芯から好きになって積極的に勇んでするところに、ありとあらゆる活動の成果があるのは,、当然の理であります。
 また「智をつくすを猛と言う」とも御文にありますが、好きになってかかれば、どのような物事の処理についても、そこに“実践智”がおおいにわいて、すべて未来の開拓がなされていくわけであります。
 御義口伝には「神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり」とございます。まず心のなかにおいて感情から整えて、なにごとであれ、自分がなすべきことについては、好きになって「作作発発」と振る舞って、万事の能率をあげ、有意義な一日一日を楽しく、力強く過ごしていただきたいというのが、私のお願いであります。
 そもあれ、きょうは皆さん方の過去二十年間の尊い努力に、一つの区切りをつけ、また新しい勇気をふるって、新時代の北陸を建設すべき、記念の日となったわけであります。私は、この四月二十八日を、永遠に「石川の日」そして「富山の日」として、毎年、文化祭でもいいし、その他なんらかの有意義な会合を開くようにして、伝統をつくっていってはどうか、と提案申し上げたい。(大拍手)
 なお、この佳き日を記念いたしまして、昭和五十一年四月二十八日までに金沢文化会館(現在の石川文化会館)、そして富山文化会館を建設してさしあげることを、お約束申し上げます。(大拍手)
 私としては、この北陸の地に常時おじゃまするわけにはまいりませんが、いつも“皆さん方を守っている”という気持ち、そしてまた“皆さん方といっしょにいる”というつもりで、見守ってまいります。どうか皆さん方も、いつまでもいつまでも健康で、福運をますます開いて、仲良く立派な家庭を築きつつ、北陸の新天地を築いていってください。
 終わりに、会場を提供してくださった産業展示館の関係者の方々、そして会場準備に努力してくださった方々に厚く御礼申し上げ、ともに「石川の友よがんばれ」「富山の友よがんばれ」と申し残させていただいて、私の話をおわります。(大拍手)

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