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日蓮大聖人・池田大作

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長野県総会 社会の客観的状況は正法興隆を切望

1974.4.26 「池田大作講演集」第7巻

前後
1  朗らかな、そして生きいきとした総会、まことにおめでとうございます。(大拍手)また、きょうは感動的な伝統文化祭にもお招きをいただきまして、ここに感謝申し上げます。ありがとうございました。(大拍手)
 「みすずかる信濃」と称せられる長野の皆さん方の、ともかく元気いっぱいのお姿を拝見して、私の喜びはこれ以上のものはございません。願わくは、この総会が全県下の皆さんにとりまして、心あたたかき、よき思い出となり、更におおいなる福運増進の契機となりますよう、私は奥底の一念をこめて、お祈り申し上げるものであります。
 また本日は、特にご多用のところ、多数のご来賓のご出席をいただき、衷心より感謝申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
2  長野の県民性
 ここに長野の地は、山深く、容易ならざる厳しい生活環境の天地でありまする山は多く、平地は少なく、産業基盤上、自然条件の恵みが少ないために、俗ないい方で申せば、金持ちになりたくても、かなかななれない土地柄であもある、ともいわれてきております。
 しかし「艱難汝を玉にす」というとおり、逆境によって、見事に精神を鍛えられ、不屈の魂と合理精神とを養って、多くの革新思想家を輩出した長野であります。そして日本の屋根といわれるこの国土に、庶民の知識人がみちているという事実は、まことに壮観であり、私の深く敬意を表するところであります。
 信濃が生んだ、あの有名な農民詩人・小林一茶は「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」との有名な句を残しておりますが、この負けじ魂は、信州人の伝統として、正法の広宣流布という大業推進にも、おおいに必要なものと思うのであります。
 今後も、どうか大いにその雄々しき魂を発揮して、大きく人生の勝利を勝ち取っていただきたいことを、お願申し上げるものであります。
 長野は、昔から“教育の長野”――それも庶民教育の盛んなところとうけたまわりました。江戸時代、寺小屋の普及率は全国第一であり、しかもその師匠は、僧侶、神官、武士よりも、農民がもっとも多かったそうで、それはまことに驚くべき事実なのであります。
 明治以降、今日にいたるまでにおいても、長野は全国屈指の教育大県として有名である実情は、私よりも皆さんの方のほうが、よくごぞんじのとおりであります。
 政界、財界に進む人は少なく、学者、教育家、そして文人、芸術家が圧倒的に多い、精神文化の国といってよい。どうか、信濃の皆さん、その崇高なる県民性を強靱なる信仰によって、ますます錬磨していかれんことを、私は心よりお祈り申し上げるものでございます。
 そして、一人ひとりが仏教の教育者に、また地域の、文化の教育者であっていただきたいことも、お願するものであります。
3  アメリカとプラグマティズム
 さて、ごぞんじのとおり、私は先月の上旬より三十八日間、北米、中南米諸国をまわって、さり十三日に帰ってまいりましたが、どの地におきましても、海外同志の信仰の熱意は、目をみはるものでありました。これからも、グングンとたくましく成長していくことを強く確信したしだいであります。
 いまや「広宣流布」という熟語は、世界用語となりつつあり、日蓮大聖人の仏法は、世界平和推進の根本動力として、現実に働きつつあることを、まず皆さんにご報告するしだいであります。
 これに関連して、きょうは私なりに観察した、ある一つのことを申し述べたいと思うのであります。
 現在、我らの世界宗教は、日本を除けば、USA(アメリカ合衆国)でいちばん発展しつつあります。それは、なぜかと考えてみますと、事情は単純ではなくて、いろいろな要求がからみ合っていると私には思われますが、そのなかでも、USAのここ百年間の哲学的、教育的土壌というものが、大きく働いているように感じられるのであります。すなわち、アメリカの平均的な思想的傾向が仏教を受けいれやすいようにできているという一面があるのであります。
 おおまかにみて、ヨーロッパとアメリカとでは、哲学的な傾向がだいぶ異なっている。中南米諸国はドイツ哲学が主流を占めておりますので、ヨーロッパに大変似ておりますが、アメリカは、アメリカで独自に発達した「実用主義」(プラグマティズム)の哲学が主流をなしております。
 かのプラグマの言語は「行動」という意味でありますが、その特徴をちひとことでいいあらわしてみると、ひじょうに開放的で、庶民的な思想であるといえるのであります。この実用主義哲学は、ドイツで一九二八年ころから起こった一つの哲学グループであるウィーン学団から始まったヨーロッパの論理実証主義の哲学とともに、現代哲学界では二大潮流をなしているところのものであります。
 この実用主義・プラグマティズムの考え方を、おおづかみに述べてみますと、それは次のようになる。
 この思想は、アメリカの哲学者パースやジェームズから始まって、昭和二十七年(一九五二年)に、九十二歳で天寿を全うした、かの有名なデューイによって大成されたものであります。その根本特色は、専門的講壇哲学で使われている専門用語や概念操作に熱中するところから、哲学を解放し、逆に庶民の経験をより豊かにすることに、哲学というものを奉仕させようとする点にあるのであります。
 古来の伝統哲学では「人間は考えて物事を識り、その識り方にしたがって行動するものだ」となるのでありますか、それは順序が逆さまであるというのであります。
 プラグマティズムでは「人間はまず生活してるいものであり、生活の歪みに直面するから考えるのである。考えるから問題解決の真理を発見するのであり、真理を識るから自分の経験と環境とを改造し、拡大できるのだ」と主張しているのであります。
 このように、プラグマティズムにおいては、人生経験と環境の改造、拡大のほうが、人間目的であり、思考や真理認識は、その目的達成の手段だと主張しているのであります。
 これは、仏法の「理と事」「迹門と本門」の関係や、私どもの人間革命の思想にひじょうに近いものをもっているのであります。そして「識ること」を科学に結びつけ、更にそれを技術に結びつけて、社会と人生のうちに知識を生かそうという新しい型の合理主義であり、デューイは普遍的教育学説というものをつくって、「教育学が哲学の頂点に位置すべきである」と主張しております。
 以上のような、プラグマティズムの学風が、今世紀のアメリカ社会をリードしておりますので、社会と人間の問題に敏感なアメリカの人たちは、新しい世界宗教たる生活行動の仏教、すなわち日蓮大聖人の哲学をぐんぐん吸収する精神的下地に恵まれていたということができると思うのであります。
 戦後まもないころ、戸田前会長は武力、経済力の以前に、日本は、神道の思想がデューイの哲学に負けていた、といわれた。
 ともあれ、妙楽大師は「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」と指摘しております。そして、大聖人は「外典を仏法の初門となせしこれなり」と述べられておりますが、今世紀に入ってからアメリカでは、この方程式の機運がじつによく熟していて、それが今日の仏法流布の実情となったと、一面では私にはみえるのであります。
 このようにして、明るくがんばっているアメリカをはじめ世界各地のメンバーに対して、日本の私たちは、平和の天使として、人類の友として、かぎりない声援と祝福とを送り続けてまいりたいと思いますけれども、長野の皆さんもよろしくお願します。(大拍手)
 なお、皆さん方もますます健康になり、功徳をうけて、長野は世界一よいところであることはわかりますけれども、(笑い)海外にもぜひ行っていただきたいことも、お願申しあげます。(拍手)
 そして、また、以上申し上げましたようなアメリカ社会の実情をとおして、私どもは、全社会的な教育機能というものがもつ力に対して、いちだんと大きく目を見開いていくべきであろうと思うのであります。
 先般、ルバング島から小野田元少尉が帰ってくるさい、小野田さんのお母さんが「教育というものの力は恐ろしい」という感想を述べていましたが、よきにつけ、あしきにつけ、まったくそのとおりであります。
 私も教育ほどなおざりにできないものはないと思う一人であります。私どもも信心を通じて生涯教育の場に身をおくことを忘れてはならない。ともに、皆さん方のお子さん、後輩、および子弟等にもそうあるべきことを、熱心に指導していただきたいのであります。
 また、これからのあらゆる学会活動は、すべて万人に対して開かれた全社会的教育機能を、さらにさらに高めていくよう工夫していただきたいのであります。
4  仏法は“実践智”
 さて、この教育機能というものを、こんどはそれを受容する人間としての側からみればどうなるか。それは「実践的哲学者」としての生活を営むことである――といえそうであります。
 これに関して、ある哲学書にこう書いてある。
 「生きているということは、死なないでいることプラス何ものかである。人は何のために生きるか。それが生の目的であり意義である。目的と意義が与えられて、はじめて生は生きるに値するものとなる。(中略)そのためには生の根源に分け入り、生の真実の姿に触れ、生の真相において生き切ることが求められる。生の真実の姿は、日常の生活においては、むしろわれている。いを取除くことは非日常性の現出である。ことによって日常生活は新しく生まれ変わり新しい生命をもつ。哲学の営みは、このような日常性と非日常性との間の往復運動である。人が生きるとは、このような往復運動を繰り返し行なうということであって、それは哲学者の格別の在り方というものではなく、むしろ人間存在にとっての固有の在り方というべきである」というのです。
 これは学者の言葉でありますから、硬くて、やや難解ないい方でありますが、要するに世間の難事(政治、経済その他全部はいる)と取り組んでいく日常性とは、今世かぎりの問題であり、非日常性とは三世永遠に対する反省と自己向上の問題でありますから、人が真に人間らしく生きんがためには、生命の長遠を開き示した仏道修行が絶対に必要だという、裏づけになる考え方であります。
 しかも、そういう往復運動こそ「人間存在にとっての固有の在り方だ」という点に、深く注目していただきたいのであります。
 生活のうえで栄えていこうとする、日常的な努力と生活を通じて悟っていこうとする生涯的な内省求道の努力――それはどちらも欠かせないものでありますから、この二種の努力のあいだの往復運動は、哲学者だけのあり方ではなくて、万人に共通するあり方だというのであります。
 してみれば、じつに私たちのように、仏法実践の基調である信行学という、確たる裏づけをもった生活のあり方こそが、物事をもっともよく処理していく能力としての“実践智”なのであると申しあげたい。
 皆さんは、この教育県・長野の幹部として、どうかますますこの“実践智”を輝かせ、自行においても、他化においても、ぞんぶんにこの人間能力を発揮していかれますよう、心から祈ってやまないものであります。
 古来、洋の東西を問わず、人生の目的、人生の意義、正しい認識にもとづく“実践智”というものを、真剣に探索した智者、賢人は多数おりました。そして、この答えは簡単には得られない性質のものであるために、それを求めるには、世間の雑事から離れて独り思いを秘めて苦闘し、そのために、世捨て人、隠棲者、隠居、出家、変人などが、哲学者の諸形態となったのであります。
 だが、久遠元初の御本仏が末法の世に出現なされて「事の一念三千」の大法則をお与えくださってからは、こういう諸形態での哲学探究は、まったく不要になったのであります。
 ゆえに、私どもは、どこまでも堅実なる社会人、常識人として生きぬきながら、晴れがましき凡夫の座において、最高の精神生活を営んでいくことができるわけなのであります。あわせて、御本仏の大慈悲に絶大なる感謝を捧げつつ、出世のご本意である広宣流布へ、微力を尽くしていかなければならないわけなのであります。
 一人の力は微力といえども、たもちたてまつる妙法は強力なるものである。千人、万人、百万人の団結はさらに強力であります。どうか、この道理をしっかりわきまえて、長野創価学会はいよいよ仲良く団結して、全信州の方々から、心から信頼され、そしてさきほどの伝統文化の祭りにもありましたごとく、香り高い理想的文化県を現出していっていただきたいことを、心から願望するしだいでこざいます。(大拍手)
5  正法興隆の時
 さて、ここで話題を変えて、ひとこと申し上げさせていただきます。
 先日の新聞には「天下大乱」という文字が見えておりました。まさしく今年は経済大乱、物価大乱、または物価狂乱のさなかにありまして、春闘のゼネストも、過去に例をみない大規模のものでありました。ゆえに「大乱」という表現も、あながちオーバーだというわけにはいかないようであります。
 ひるがえって、日蓮大聖人ご在世の文永十一年(一二七四年)には、蒙古第一回来襲という未曾有の「大乱」がおそっております。
 この文永十一年は、日蓮大聖人およびご一門にとって、画期的大転換となった年であります。すなわち、二月には佐渡流罪からご赦免となり、三月二十六日には鎌倉にお帰りになり、そして四月八日には平左衛門尉その他に対して三回目の諫暁をなされ「蒙古の来襲は必ず年内であろう」と予告なされ、しかも容れられずして、ついに五月十二日、鎌倉を出られ身延の山に入られたのであります。
 はたせるかな、十月には元軍が対馬、壱岐に来寇し、十一月に入るや、台風にあって敗退していったのであります。
 このことにつき強仁状御返事では、次のようにお示しであります。
 「就中なかんずく当時我が朝の体為る二難を盛んにす所謂自界叛逆難と他国侵逼難となり、此の大難を以て大蔵経に引き向えて之を見るに定めて国家と仏法との中に大禍有るか……予粗先ず此の子細をかんがうるの間・身命を捨棄し国恩を報ぜんとす、而るに愚人の習い遠きを尊び近きをあなずるか将又多人を信じて一人を捨つるかの故に終に空しく年月を送る」云云。
 かくして、鎌倉幕府はこの文永十一年から、いよいよ“正念場”を迎えたのであります。そして再び、ちょうどそれから七百年を経た今日、わが国は資源輸入国という特異な体質上、輸入、輸出にからんで、大きな正念場にさしかかっております。
 日本の前途は大変な時代の第一歩に入ったわけであります。大乱的様相は、その現れである。いまほど正法興隆が必要な時はないと、私は思うのであります。
 私たち昭和の今日に生きる同志は、はるか七百年前をしのびつつ、大聖人の心を心とし、この激動の社会を、勇気をもって、仲良く団結して開拓してまいりたいと思いますけれども、よろしくお願しいたします。(大拍手)
 そして、陽春のきょう四月二十六日のこの日を「長野の日」と決め、毎年この日を楽しい、そして価値ある地域文化興隆に貢献していく伝統を残していかれますよう、提案申し上げておきたいのであります。(大拍手)
 更に、この一年一年の軌跡を延長して、西暦二〇〇〇年四月二十六日には、きょうお集まりの方方が長生きしていただいて、長野県にとって歴史的な文化祭を、盛大に開催されたならばどうか、ということも申し述べておきたいのであります。(大拍手)
 最後に、この会場提供の体育館当局の方々と設営関係の担当の方々に厚く御礼申し上げ、そして皆さん方の健康といよいよのご清栄とをお祈り申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。(大拍手)

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