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日蓮大聖人・池田大作

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「座談会」について  

1974.1.1 「池田大作講演集」第6巻

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1  “感応抄”で信行学を展開
 上田 「社会の年」の開幕にあたって、本部としては、学会伝統の座談会をあらゆる会合に優先して、もう一度、充実していこうという方針で出発いたしました。
 座談会は学会の宗教運動の機軸になるものですが、半面、あまりに日常的な行事であるだけに、ときには惰性に流されたり、ついつい重要性を見失ってしまうということも指摘できると思われます。
 そこで、このてい談では、なにゆえ座談会が大切なのか、根本なのか、を論及していきたいと思います。
 会長 そう。ここではもう一度、我々は原点に立ち返って、法理の裏づけのうえから、座談会というものを、深く掘り下げていきたい。
 なにごとによらず言葉だけで終わっていては観念であり、具体的な行動にはひとつもつながらない。信仰という本因の立場から、仏法の原理に照らして、座談会とは何なのかを、深く、強く、各人の生命に再び刻んでいきたい。座談会は学会の伝統といくら叫んでいても、それ自体がすでに惰性であっては、更に広布への深い根は張れない。個人にあっても未来創出の力になってこない……。
2  “感応抄”の座談会
 上田 よく、学会を民衆勝利へ進む大船にたとえれば、座談会はその大船を進める大海原である、といわれます。そこで個々人の信行学の推進に、なぜ座談会は必要不可欠のものであるか――ここから論じてみたいと思います。
 会長 信仰の世界は人間体対人間の“感応抄”の力によって盛り上がっていくといってよい。ともかく“生命対生命の世界の発条”が求道と変改をもたらす。各人の信仰の深化向上は、決して自分一個の殻に閉じこもっていては、できるものではない。ただ題目を唱え、一人して教学を学ぶという孤絶した姿では、その人の成長はないといってよい。日寛上人の「観心本尊抄文段」には次のようにある。
 「九界・仏界感応道交し、能修・所修境智冥合し、甚深の境界言語道断心行所滅なり。豈妙の字に非ずや」(聖教文庫㉒51㌻)と。
 ここでは九界=衆生と、仏界=御本尊との感応道交が示されている。つまりそれは境智冥合した甚深の交流でなされるのであって、言語や意識を越えた次元における感応道交であると思う。ゆえに“妙”というのであろう。
 結局、仏法の会得とか体得というものは、生命対生命の交流でなされるのです。座談会はまさに、その生命発現の“感応の妙”で盛り上がっていく。理論のみでもない。事務連絡的なものでもない。
 座談会がなぜ学会の根本であり、すべてといえるか――それは常楽我浄の座談会でこそ“感応妙”の原理によって、人間一人ひとりの生命の奥底に信心のサクビが打たれ、そこから人間の変革と成長がもたらされるからだ。教育や指導、教授ではなしえないものが、座談会という仏道修行にはあり、それが社会的第一線の活動の基調になる、といってよい。
 八矢 つまり信仰の深化というものは、生命と生命の生きた交流によってはじめて可能となるのですね。
 会長 一人という宗教などありえない。宗教も実社会のなかにある。ゆえに、相互に啓発しあう“同志和合の人間錬磨”を離れては、ありえない。座談会の環境、ふんいきは、そこに参加する全員の信心の姿勢からみなぎるものであり、各人はそれを呼吸しあい、膚から染み入るように、生命で信心というものを体得させていく座といってよい。
 たとえば水の流れが濁っていたり、非常に微量であれば、水の浄化作用は発揮されない。反対に流れが清らかであり、水量も豊富であれば、浄化作用があるように、座談会のふんいきは参加者一人ひとりの生命を洗い、それが清浄な力強い流れであれば、人間をたくましく根本から蘇生させ、やがて社会へ向かって浄化の強靱な力と変わる。
 上田 すると主催者等に元気がない場合は、座談会は明らかに低調に終わってしまうのですね。生気はつらつとした座談会があって、はじめて学会の宗教運動の偉大な前進もある……。
 会長 「一身一念法界に遍し」で、一人の信心の波動というものは、あらゆる人々へ必ず伝播していくものだ。信仰による生命の高まりは、必ずや万人の心のヒダに浸透していくにちがいない。学会の進展という一つの事実も皆そこにあった。
 上田 それから、こういうこともいえるのではないでしょうか。あらゆる運動というものは、すべて人間の幸福とか、社会の平和というように、不幸や貧困、戦争などからの人間の解放を目的として行われてきた。しかし、運動が進む道程で、人間のための手段であるべき運動そのものが目的となってしまい、運動を進め、担う人間が手段になりさがってきた。つまり人間解放をめざした運動が、ついには人間を疎外し、抹殺してしまうという逆転現象です。更に運動進展の過程で、どうしても人間の魔性というものが運動を支配するようになり、非人間的な方向へと傾斜し、変貌してしまう。
 会長 それはなぜであるか。運動、活動といっても結局は人間である。その人間が、あくまで主体なのです。したがって、その人間に成長をもたらすべき、潤いのある生命交流のないところには、殺伐とした疲弊が残るのみでしょう。
 人間一人ひとりが至高の目的に感応しあい、啓発しあって自己を変革、成長させていけない運動は悲しい。
 私たちの運動は、あくまでも第一義に人間に根ざす。つまり人間自身の変革を最大のエネルギーにしていく運動といってよい。したがって、座談会なくして学会の人間復興運動は前進しません。いな、空転するだけだ。
 たとえていえば、座談会は大河のようなものである。あらゆる会合、活動等はあくまで大河に注ぎ込む支流です。友好活動も地域の行動も、すべて座談会という大河へ合流して、人間賛歌の、民衆の大海へと進む。その大河は両岸に見事な人間文化の肥沃な土壌を育てつつ、支流を集め、幾多の妙法文化の実りをもたらしていく。
 座談会から地域の活動へ、そうして座談会に帰ってきて再び信仰を脈動させ、再び地域へ、この反復です。したがって座談会があくまで活動の母である、源泉である。中心者はそれら広布の勇士が力を得るような座談会にしていくべきだし、参加者全員の信仰のエネルギーの総量を一人ひとりのエネルギーにしていくのです。それを真実の民衆平和と民衆向上の根民主主義の仏法といえまいか。
3  平等の座談会
 上田 次に「社会の年」にあたり、この座談会の重要性がもう一度、強調されている。私はそこに、学会の座談会運動のなかに、現代社会で見落とされている大切なものがあると思うのです。いまの社会には、学会の座談会のように、年令や職業など、あらゆる階層を越えて集い合い、啓発していける人間広場が、まったくありませんね。
 それに座談会には、社会の縮図、民主主義の縮図があります。民主主義が非常に抽象的な理念になり、形式的なものになってしまった今日にあって、参加者のすべてが主役であり、平等であり、発現も自由であるという座談会にこそ、草の根民主主義を確立していくベースがあると思うのです。
 会長 現代の不幸の一つは、こういう場を民衆が共有しえなかった、ということですね。かつては祭りがすべての人の心をとらえた人間交流の場としてあったが、いまではそれも形式のほうばかりが先行して、参加という意識はなくなってしまっている。市民が自主的に集い、交歓し、研鑽し、人間的成長をはかっていく場が、いったいどこにあるだろう。地位や名誉というものにとらわれずに、集った庶民が一切平等である――という座談会は、大聖人の仏法の生命次元から説き起こした、真実の平等観に裏打ちされたものですね。
 「仏法はあながちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をもつて其の法を軽んずる事なかれ」と「聖愚問答抄」の文にあるように、人の貴賤に一切かかわりなく、すべての人々に開放されているのがこの仏法です。そして、実際に万人がこの仏法によって自己を変革向上させてきた。万人に、平等に開かれた仏法の容貌こそ、人種や国境の壁に泣くこの地球の未来図とならなければいけない。
 八矢 既成宗教が民衆から遊離し隔絶していった要因の一つに、聖識者と民衆に隔たりがあり、きらびやかな宮殿に権威をもって安住した聖識者が、民衆を見下していったという事実があげられると思うのですが……。
 会長 真実の民衆仏法においては、聖識者も民衆もまったく平等である――ここが画期的な事実なのです。「有師化儀抄」に「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮花(華)経なる故に何れも同等なり」とある。信仰の徒は皆、妙法蓮華経の当体であるゆえ、まったく平等である。ここまで厳しく平等を打ち立てているのが仏法です。
 ただし当然のことながら、両者の間にきちんとした礼儀はあるべきだろう。日有上人はそのことを、先の文のあとでこういっている。「然れども竹に上下の節の有るがごとく其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」と。
 上田 肝要なことは僧俗ともに「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」と示された信仰の明澄な境地に立つことですね。
 会長 これは仏法者として広布をめざすかぎり、究極の指針となるものです。この御金言はいくら叫んでも叫びすぎということは絶対にない。ところでこの「自他彼此の心なく水魚の思を成す」というのも、真実の平等観がないかぎりなされないものだ。最大の人間尊重です。
 上田 平等、平等とオウムのように唱えても、人間社会には差別(世間)の義がどうしてもある。そこで平等という概念も民主主義のように、非常に頼りないものとして受け取られているのが、今日の一般社会の現状です。
 会長 人類の歴史は、“平等”を追い求めての歴史であった、とさえいえる。平等を実現するため人々は困難にいどみ、いろいろな体制を検証してきた。けれども現在のところ、平等を求める営為そのものが新たな不平等を生む結果に終わっている。つまるところ生命次元からの、万人が妙法の当体としての平等観を確立する以外にない。それが一切の基礎になって、おのおのの役割は桜梅桃李の原理で異なるけれども、万人が“生命の法理の上の平等”を獲得していけるのです。
 仏の説法というものは、そこから出発している。「薬草喩品」には「我一切を観ること普く皆平等にして彼此愛憎の心有ること無し。我貧著無く亦限礙無し。恒に一切の為に平等に法を説く。一人の為にするが如く衆多も亦然なり」とある。一人のためにも、衆多のためにも、まったく同じである。一切衆生のために平等に法を説く。座談会における対話とは、まさしくこれでなければならない。
4  社会蘇生の源流の座談会
 上田 このようにみていきますと「社会の年」のもっとも重要な柱として、座談会があげられた理由が鮮明になってきますね。特に悪性のインフレで社会不安も高まってきます。暗く騒然としたこの世相に、座談会が光明となり、希望となっていったとき、学会の理念と行動は、社会蘇生の源流となっていきますね。
 会長 そう。この“座談会運動”から人々は人間として人間たるの王道を知り、社会正義の原点を吸収していく。この根底の人間覚醒の連帯が、平和と創造の社会への偉大な砦になっていくことと信ずる。
 「立正安国論」に「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝すべからく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」とあります。有名な一節だが「四表の静謐」とは、社会の平和です。
 この御金言に明白なことは「国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」とあるように、私たちは信仰者であると同時に、社会人であるということです。信仰者として国土が乱れ、家が滅びゆく状況を超然と看過しているようではいけない、というご教示である。社会の問題は、そのまま自己の問題として降りかかってくる。この現実の世をれて自分というものはない。したがって宗教的使命を人間的使命に昇華させつつ、社会人としての時代の推移や民の不幸を、等閑視してはならないのです。
 ならば「四表の静謐をる」行動とはなにか。それは一人ひとりの内からの変革により“個”の確立です。そのために座談会がある。ありとあらゆる社会の人々の縮図ともいえる、この座の“感応の妙”によって、力強い自己を樹立しつつ“家庭”を完璧に建設していくのです。
 なぜ、それが必要かといえば、もし激流に遭ってすぐに砕けてしまうような自分であり、家庭であったならば、社会向上の波を起こそうにも、激流にのまれてしまう。いや、あえなく流されて終わってしまうからだ。ゆえに“自己”と“家庭”に崩れない基礎を打ち立てつつ“社会”の波濤に抜き手をきっていどみ、社会蘇生のたくまざる力になっていくのです。既成宗教が民衆から遊離していったのは、現実の泥沼の世相を避け、独善という自己満足に終始していたからにほかならないことを、銘記すべきでしょう。
 このように大聖人の仏法は観念ではない。いな、絶対に観念であってはならないのです。もはや、観念であれば、事の一念三千の大聖人の弟子では絶対になくなる。ともあれ仏法即社会を明瞭に説いているのです。“即”というのは生命哲理をたもった人間の躍動と創造性の機軸、回転軸といえるだろう。つまり信仰者の見事な人間革命の積み上げで、社会の蘇生をもたらしていく――その源流となっていくのが、座談会である。
5  民衆仏法と座談会
 上田 座談会は、学会の基本軸ですが、大聖人の時代の布教活動はどうだったのか、を考えてみたいと思いますが……。
 会長 非常に重要な問題提起だ。よく草創の時代へ帰れ、といわれるが、それはなにごとによらず、“行き詰まったなら原点へ戻れ”ということを教えている。さて大聖人の時代だが、辻説法が布教活動の中心であったようにいわれている。しかし実際にはどうであったか、疑問な点もある……。
 それは建長五年四月二十八日の立宗宣言の状況を考えてみればよくわかる。大聖人はこの日、末法の出世の本懐である南無妙法蓮華経の第一声を放たれた。そしてこの極説を清澄寺の持仏堂の南面で、一山の衆僧や老若男女を前に、烈々たる気迫で、末法の仏法こそ南無妙法蓮華経である、これ以外に真実の成道の究極はない、と説かれたのです。
 「清澄寺大衆中」には「建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す」とある。この文からもなかったとはいえ、参集した一山の聴衆に対して放たれたものとみたい。
 偉大な宗教革命の第一歩となった説法そのものが、いまでいえば集い寄った庶民の場でなされたことに注目したい。すなわち、この清澄寺諸仏坊における歴史的な会合に参集したのは、大部分が無名の篤心な老若の里人であった。これは大聖人の仏法が事実上の、いまでいう座談会への方向をもってスタートしたものであり、名もない民衆を対象に開かれた民衆仏法であることが、すでに立衆宣言のその日にうかがえる、ということになるね。
 八矢 辻説法というと、なにか非常に華々しいもに聞こえますが、それは後世に劇的な要素として付託され、大聖人というと辻説法というようになったと考えられます。大聖人の活躍の舞台の一つであった古都・鎌倉を調査したグループによりますと、大聖人が辻説法されたというが、道路の状況等そのたたずまいからみて不自然である、と報告しています。また、迫害の嵐のかを一切衆生のために仏法を説かれた大聖人ゆえ、路上で法論を迫られたこともあり、そうしたことから辻説法うんぬんとなったのでしょうね。
 会長 大聖人の仏法の広まりゆく原理は、あくまで生命の交流ある対話にあったといってよい。古来から宗教の広場においては、法理にもとづいての法論は当然の道理として認められていた。それは、真理を求めてやまないという宗教者の高い精神から発する“対話”の実践であったわけです。座談会というものは、宗教の広場における“生きている対話の場”であり、そこから偉大な宗教理念がみずみずしくあふれ出て、新鮮な波動を万波と及ぼしていった。つまり崇高な哲理を人々に広く開放していく信仰者の姿勢から、座談会は生まれたといってよい。
 上田 これに関連しますが、大聖人の時代は三類の強敵に遭い迫害されながらも、信者たちは座談会を行い、妙法の火を決して絶やさず、民衆の呼び合う生命と生命のなかに脈打たせていったようです。
 たとえば「佐渡御書」の送り状に「佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」とある。「心ざしあらん人人は寄合て」――とは、当時の強盛な信仰者の座談会であった。
 会長 この「寄合て」ということが大事なのです。寄り合うというのは、参加の意識であり、自発心の集いであるといえましょう。大聖人当時も座談会には、信仰厚い老若男女が集ったと考えられる。四条金吾は医師であり優れた武人でもあった。そのもとへ農民も集ったであろうし、商人も集ったであろう。そうした喜々とした座談会を思うと、まさしく座談会こそ大聖人の“太陽の哲理”の日の出を告げる場であった。そしていま、荒廃した文明の地平線の向こうから、その“太陽の哲理”が昇ろうとしている。その仏法を日本から世界へと拡散していく創価学会のなかで、座談会が力強く息づいていった。このことは実に、学会に先見の明があったということです。
 上田
 八矢
 会長 「日興遺誡置文」の二十六箇条は、令法久柱と広布推進のための、仏法求道の心構えを、後世への峻厳な戒めとしてあげられたものである。そのなかに「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」「巧於難問答ぎょうおなんもんどうの行者に於ては先師の如く賞翫す可き事」とある。
 この二つは、求道者としてのあるべき姿勢というものを、明白に示している。たとえ下劣の者であっても自分より信行の智がすぐれている者を尊敬していきなさい、というのであり、また巧於難問答――仏法の対話に通暁した人をば、先師のように仰いでいきなさい、という戒めである。座談会という人間修行、仏法求道の場に臨むにあたって、すべての信仰者が心していくべき御文といってよい。
 ここからもわかるように、大聖人の民衆仏法においては、貴賤や身分などすべてを超克して、求道という厳しき一点で、人間としての至高の生き方を説いているのです。
6  社会に開かれた場としての座談会
 上田 次に座談会は、まだ信仰していない人も参加して、ともに、人生を語り、仏法を語り合う貴重な場です。いわば、社会の友との心の交流の接点ですね。そのときにあたり大切なことは、ともに人間として、この社会をどう生きるか、人生を歩むかを、互いに相手を尊重しあいながら、語り合っていくことではないでしょうか。
 会長 そう。互いの人間としての信頼と尊敬が基本です。これは、社会のなかの行動全般にも通ずることだが「上野殿御消息」には、次のような御文がある。
 「にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず
 一日に十度、二十度訪ねて来る人であっても、千里、二千里の道程をはるばるやって来る人のごとく迎えなさいというのです。
 これは、仏法の四恩に対して、儒教の四徳をあげられたものですが、仏法のなかに摂せられると考えられる。大聖人が、社会という場にあって、人間に接するさいの不変の姿勢を述べられているとも受けとれる。細かい人生の機微の裏の裏まで、日蓮大聖人は精密に論じられている。我々の行動の鏡としていかなければならない所以ですね。
 ですから座談会に友を迎えるさいにも、信仰している、していないということではなく、まず人間として、未来に生きる盟友としての共通感情のうえから迎えることが大切ですね。
 八矢 いまの話をうかがっていて、仏法とは、ほんの礼儀とか対応とか、ちょっとした世間のとのなかにあるのですね。
 会長 そのとおりです。「仏法とは道理なり」で、まったく世間の義から離れたところにあるものではない。学会の誤解された一つにも、この道理を忘れた人がいたからだ。
 有名な御文として「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とあるように、また、法師功徳品のなかに「諸の所説の法、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治生の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」とあるように、世間の法とは仏法の全体なのです。
 ゆえに、生活の姿勢、言葉づかいなど、人間としての基礎的な事柄については、仏法をたもった人は、もっとも心得ていて当然なのです。
 上田 さきほどの“仏法即社会”のところで、仏法と社会とは、人間という次元で深く冥合していくものであるとのことですが、よくわかりました。したがって、座談会にあっても、信仰していない人たちが参加していても、その人たちも、同じ人間としての立場から、尊敬しつつ対話していかなければならないわけですね。
 会長 「太田左衛門尉御返事」には、次のようにある。
 「指して引き申すべき経文にはあらざれども予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならばあながちに成仏の理に違わざればしばらく世間普通の義を用ゆべきか
 もし、根本の成仏の理、すなわち仏法の正邪という軌道さえ外していなければ、仏法の対話のあり方も、四悉檀で種々の説き方があるのです。
 八矢 そこで大切なことは、たとえ、どのような形の対話になろうとも、要は、対話する側が「成仏の理」に、人々をリードしていこうとする根底の生命の姿勢ですね。
 会長 そう。あくまでも座談会での対話にあっても、根本は慈悲です。相手への理解です。それを忘れての対話になってしまっては、根無し草になる。深い人間啓発もなければ、相互の成長もない。救いもない。その慈悲の表現には、四悉檀で、いろいろな形があっていい……。このようになってくるのではないですか。
 八矢 社会、社会ということで、なにか、自分の信心の主体性まで失ってしまってはなりませんね。世間の法が仏法の全体ともありますように、世間法と仏法とは冥合しているものです。したがってもっともっと仏法の体得をとおして、世間の義を、自分の人格のなかに吸収していかなければいけないわけですね。
 会長 人間革命、家庭革命は、最高の世間の義の実証です。
 法華経涌出品のなかの「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」の文のように、仏法護持者としての主体性と襟度を、どこまでも失うことなく、社会にあっては、人間としての行動、態度、姿勢のうえから、人々の共感を叫び、信頼されていく――ここに学会人の、信仰者の勝利の顕証があるのです。
 上田 その点について「崇峻天皇御書」のなかには、次のような有名な一節があります。「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ
 ここの箇所で、会長 は「御書と四条金吾」のなかで「法華宗の四条金吾」というところが大事だと指摘されていますね。
 会長 そう。「法華宗の……」と人々から賛嘆と称賛を浴びれば、信心の勝利者なのです。つまり、信心という最高の主体性をもたない生き方ではなく、社会に、はっきりと妙法の旗色を鮮明にした信仰人としての日常の生き方のなかから、社会の共鳴を集めていきなさい、という指南なのです。
 仏法でみがきぬかれた人間性をもって、一人ひとりが、激動の社会の灯明の存在になっていかねばならない。法、法といっても、所詮は人で、その人が、いかに社会のなかで、勝れた法の実証者になるか――本年を「社会の年」にした意味も、実はここにあるといっても過言ではありません。
7  地域と座談会
 上田 以上の話で、座談会が一切の活動の根本となることは明白です。ではその座談会で得た信心の躍動を開花させていく場はどこか――という問題に移りたいと思います。いうまでもなく座談会運動は流れであって、座談会開催前後の家庭指導、個人指導といった実践が集約されて、座談会に現れてくるものです。
 会長 御書に照らして明らかなことは、私たちの実践の場所は、あくまでも自分の隣人、地域、わが国土であるということだ。大聖人は佐渡の阿仏房に「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし」といわれている。大聖人遠流の地・佐渡には、常随給仕の日興上人はじめ阿仏房、千日尼夫妻の働きもあって、大聖人を師と慕う多くの法友がいた。その阿仏房に大聖人は「北国の導師」として、地域の繁栄を担っていきなさい、その地域は任せたよ、といわれている。
 このことはわが地域を離れて戦う場はない、との大聖人のお考えによるものと拝せる。このことに関して、いまの富士市にあたる富士郡賀島荘に住んでいた高橋六郎兵衛入道という強信者に、大聖人は次のように指導している。
 「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし
 この高橋殿は熱原の法難のさい、外護の任を全うした篤心の人です。大聖人は、殉教の精神で信仰を貫く農民を、先頭に立って護りぬいた高橋殿に「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と激励されている。
 このように大聖人は、それぞれの地でしっかり根を張り、活動していきなさい、とさまざまにいわれている。つまり座談会で得た信仰のエネルギーを実践に移していくところは、おのが地域以外にはないのです。本有常住という意義もここにある。
 八矢 地域長、地区長は座談会に必ず出席することはもちろん、その座談会の波動を自らの地域にみずみずしく及ぼしていく立場ですね。
 会長 そう。「仏」というのは世雄ともいいます。それは終生いかなる権力ももたない。つねに、在野にあって、無冠の存在として、地位や名誉も求めず、ただ人間のために法を説き、その気高き姿勢から、人々の精神界の王者になっていくことをあらわしている。したがって、私たちも地域の人々のために、だれよりも誠意と真心をもって努力していく実践がなければならない。そうすると、そこがそのまま常寂光土となっていくのだ、と大聖人は仰せなのです。「最房御返事」に、次のようにある。
 「劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし
 八矢 どんな過疎地であろうとも、どんな逆境の地にあろうとも、自ら実践している舞台たる本国土こそ“常寂光の都”というのですね。そのように考えると、私たちの広布の実践は、根本から崩れざる金剛不壊をつくっているわけですね。
 上田 都市化の波が、物心両面の荒廃をそのまま地方へ持ち込んでいる現状にあって、社会的にも地方からの新文化の波が期待されています。座談会という実り豊かな大地から、新建設の力動をもたらしていく私たちの活動は、その点で、もっとも時代の核心をついていると思います。
 会長 大聖人ご自身は、自ら誕生の地を生涯、忘れることはなかった。「別当御房御返事」には「但し当時・日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡を・をもくをぼしめししがごとし・かれ生処なるゆへなり」と。更に「星名五郎太郎殿御返事」に「其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ但愚者の行ひなり、其れ若し非ならば遠とも破すべし其れ若し理ならば近とも捨つべからず」とある。
 この御文は仏法の正邪の判定を行っている段だが、地域についてもあてはまるだろう。すなわち、実践の本国土こそ地域であり、その地域を離れて、仏道修行も人間修行もないことを銘記すべきでしょう。
8  座談会の運営と中心者の心構え
 上田 では次に、具体的にいかにすれば充実した、生気はつらつとした座談会が開催されるか、その運営ならびに臨む姿勢等に移りたいと思います。
 会長 座談会は、なんといっても、中心者の一念によって決まる。あらゆる階層の人人の思惑、思念感情が交流しあう場であるだけに、そのさまざまな生命の世界を、いかに誘引し、開示していけるかは、中心となるべき人の、座談会にかける姿勢にかかっているのです。
 八矢 座談会は、中心者がすべてだとは、よくわかるのですが、では、その中心者は、どういう心構えで臨むべきなのでしょうか。
 会長 法華経法師品には「能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし。是の人は則ち如来の使なり。如来の所遺として如来の事を行ずるなり」とのあまりにも有名な御文があります。
 「能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん」――つまり、地道で目立たずに、たとえ一人が相手であったとしても、その人のために全魂を打ち込んで、全力投球で、仏法の話をするならば、ということですね。そうすれば、その人は「如来の使いなり。如来の所遺として如来の事を行ずるなり」で、もったいなくも、仏の使いとして、仏と同じ振る舞いをしたということになるとの仰せである。
 上田 同じ意の文として「諸法実相抄」に「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」という一説もありますね。
 会長 そう。「力あらば」――これは随力弘通で、人それぞれ違いがあるかもしれないが、おのおのの立場と力量で、全力をあげて、仏法の話をしていきなさい。そうすれば、その人は「如来の使」になる、というのです。
 八矢 非常に申しわけない御文ですね。座談会の中心者が、つね日ごろ、この自覚で、また、この信心の歓喜で、座談会に臨んでいけば、その歓喜の波動が、参加者に伝わっていくのですね。
 会長 ですから、力がないからといって、自信を失う必要もない。要は、きょうも、広布のため、その人のために、仏法伝持のため、座談会で、だれびとでもよい、その人に法を話していける、その生命の歓喜の一念が根本である。
 上田 いま「如来の使」ということがありましたが、座談会の中心者の立場にあてはまると思うのですが、法華経法師品の別の文に次のような箇所があります。
 「是の善男子、善女子は、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり、如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の安住して、然して後に、不懈怠の心を以って諸の菩薩、及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし」
 この文について、大聖人の「御義口伝」では「衣座室とは法報応の三身なり空仮中の三諦身口意の三業なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧とうじゃくにんにくがい是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり、あに一念に三軌を具足するに非ずや」と述べられている。
 会長 この「衣座室の三軌」とは、すなわち別しては末法の御本仏日蓮大聖人のお振る舞いであり、総じては、私たちの座談会での方軌でもあるわけです。
 広い、伸びやかな慈悲の生命をもって、どんな批判、中傷、画策があっても仏法への絶対の信に根をおろし、柔軟に、粘り強く、参加者一人ひとりを、大目的、大境涯へ開いていく――ここに、中心者としての、名演奏家のごとき、自在闊達なる会合運営のヒントがあるのではなかろうか。それが、なかなか難しいわけだが。(笑い)
 八矢 やはり成功している座談会をみると、中心者なり、司会者なりの声が弾んだように、生き生きしていますね。それに反し、座の中心にある人が、生気がなかったり、なんとなく疲れているような(笑い)場合は、全体も沈んでしまいますね。
 会長 「声仏事を為す」で、声というものは、その人の、その瞬間、その場の生命の反響です。ですから、話す声にも、しぜんに参加者が勇気のわいてくるような生命の響きがなければなりません。これは、別に大きい声がいいということではなく、静かに話している声のなかにも、さきほどの「柔和忍辱」で、その節々に力強い、心の温かいものがなくてはいけないでしょう。
 上田 そうなれば、寿量品の自我偈に「我此土安穏、天人常充満……衆生所遊楽」とあるような、座談会が明るい、躍動のリズムの会合になるのですね。
 八矢 いまの文の「我此土安穏、天人常充満」というのは、学会の座談会にピッタリですね。暗い社会のなかで、功徳の体験にわく座談会こそ「天人常充満」という姿ではないでしょうか。
 会長 そう。中心者を含めて、皆で力を合わせて、そういう座談会にしたいものだ。一人ひとりが触発しあって、感応の生命流を起こしていく。そのさい「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」の文を心していくべきでしょう。
 つまり、話す人が「心よりいでて我をかざる」とあるように、仏法でみがきぬかれた深い人間性が最後はものをいってくる。なんとか全員に信心の悦びを与え、確信と勇気にみなぎる会合にしていこうという一念さえあれば、だれにでも人の胸を打つ話ができるのです。ともかく、具体的にそして自信に満ちて、その人の欲する焦点を語ってあげてもらいたい。
 八矢 反対に、確かに不注意なひとことが同志をキズつけ、座談会を低調なものにしていきますし、逆もいえます。ところで、座談会でなにを話すか、大ブロックやブロックでいつも協議されるのですが……。
 会長 なにも難しい話をする必要はない。信心の横したありのままの人間性でいいのです。
 日興上人の「五人所破抄」には「何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん」といわれているが、日蓮大聖人の御書のほとんどは漢文よりも、多くの人々が理解しやすい和文の表現法を用いられている。このことからも明白でしょう。
 上田 それと座談会では皆ができるだけ発言することが理想的だと思います。中心者は特にその点を心がけていきたいと思うのですが……。
 会長 随喜功徳品の文がそのことをいっている。つまり「若し腹人有って講法の処に於いて坐せん。更に人の来ること有らんに、勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分かって坐せしめん。是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王の所坐の処を得ん」という文です。
 これは勧めて坐して法を聴かしめ、あるいは座を分かって坐る――この座談会における行為の功徳というものが、いかにすごいものであるかを説いている経文です。これは座談会に参加する学会っ子すべてに通じてくる心構えであり、同志の席の譲り合いともとれるだろうね。
 八矢 よくわかりました。それと具体的な問題になりますが、たとえばブロック座談会など、なかなか人がそろわず、開会するにもどうか、という場合があるのですが……。
 会長 それで中心者があわてたりしたら失敗です。事前の準備に十分力を注いでいくことは当然として“三人集まったならば座談会”と決め、御書を読み合うものいい、勤行してもいいでしょう。来た人すべてが“来て良かった”というものを、生命に残してあげるのです。この三人が信心と広布へ同志の絆が深まれば、必ず十人、二十人と転じていくものだ。ともかく、なにがあろうと、すべては勇猛精進です。
 「依義判文抄」の文に次のようにある。
 「問う勇猛精進を題目と為すこと如何。答う本門の題目に即ち二意を具す、所謂信心唱題なり。応に知るべし、勇猛精進は即ち是れ信心唱題の故に本門の題目と為すなり。中に於いて勇猛は是れ信心なり。故に釈に云く『敢で為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う』云云。故に勇敢にして信力を励み竭すを勇猛と名づくるなり。精進は即ち是れ唱題の行なり。故に釈に云く『無雑の故に精・無間の故に進』と云云」
 信心というものは敢んでするものであって、消極的な受身の信心はありえません。また「智を竭す」ということが重大な意味をもっている。あらゆる智力をつくしていくことが信心につながるのです。すなわち信心との取り組みにおいては、敢んで、智の限りを尽くしていく態度が必要です。そこにだけ信心が成立しているということだ。これが“勇猛”で“精進”とは余事を交えず絶やすことなく唱題行を持続していくことです。この人のみが、第二章の二年目という、本格的な広布の舞台を担っていける人と確信して、勇猛にして精進に次ぐ精進の黄金道を歩んでいこう。
 上田・八矢 どうもありがとうございました。

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