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日蓮大聖人・池田大作

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蓮生寺落慶入仏法要 世紀に光れ”生誕の地”

1974.2.16 「池田大作講演集」第6巻

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4  “一言”の妙法
 それらの一つひとつについては、深い教学面の問題でもあり、更には各人の信行を通じた体得の問題でもありますから、皆さまの一層の研鑽に待つべきことでありますが、あえてもう一言申し上げてみますと、大聖人の仏法はご承知のとおり「南無妙法蓮華経」の“一言”であります。
 「人」についての教えにせよ、「法」についてにせよ、「三諦三身」にせよ、「化儀」「化法」についてにせよ、あるいは「自行化他」のうえにせよ、すべて「南無妙法蓮華経」の“一言”であります。
 更に現代風に付け加えるならば、主観や体験のうえにせよ、客観や認識のうえにせよ、まったく同じく妙法の七字に尽きるのであります。この事実につきましては「四信五品抄」にご教示の「位」と「教」との高低の問題等、多々考えることができますが、いまはさておきまして、私は次の点だけを申し上げておきたい。
 それは、究極の原点が、ただ“一言”であるからこそ人類すべての人に通ずるのだ、ということであります。“一言”だからこそ、この地球上において、時代を異にし、国家を異にし、境涯を異にしようとも、すべての人類に通ずるのだ、ということであります。
 究極の内容をもちながら、しかもただ一言の「妙法」であるということは、世界広布の最直道を開いたことになるのであります。よく考えてみると、言語というものはおもしろいもので、宇宙といい、我といい、そのほか永遠、全体、変化、運動、美醜、善悪等々、ただ一言によって、なにごとかの全体を表現することはいくらもあります。我々が日常、使用する名詞、動詞、形容詞のたぐいは、皆そうだといえましょう。
 一言の「妙法」については「四条金吾殿御返事」にいわく「今経は出世の本懐・一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり、されば伝教大師は万里の波濤をしのぎ給いて相伝しまします此の文なり、一句万了の一言とは是なり」と。
 私どもは、このご教示をよくよく肝に銘じてまいりたいのであります。かくのごとく尊い「妙法」であります。それを「広宣流布せよ」と、大聖人はご遺命になったのであります。
 わが創価学会においては、宗門のもっとも衰微した時より決然と四十余年間、ご遺命のままにひたすら如説修行、広布の実現に全力を尽くしてまいりました。おかげをもちまして、現在は世界中へ妙法の友が出現するまでになりました。それというのも、ひとえに御本仏の大慈大悲のたまものであることは申すまでもありません。
 しかし、その具体的実践の面においては、皆さまをはじめ、全学会員のなみなみならぬ実践力に負うているわけでありまして、この点をもっていうならば、創価学会員たる皆さまには、子々孫々まで大聖人の称賛をこうむり、かつ揺るぎなき大福運が待つことでありましょう。私どもが、日夜拝する大御本尊のなかには「供養する事有らん者は福十号に過ぐ」と厳然とおしたためであります。仏に未曾有の供養をしましたのは皆さま方をおいてありません。これは生涯かけて広布のために励む者への大聖人の“ご印可”であると拝するのであります。
 されば、私どもは御本仏日蓮大聖人の本眷属として、いよいよ誉れ高く随力弘通に励み、最後には霊山浄土に詣でて、大聖人にお目通りし、世界広布の現状を愉しくご報告申し上げたい、と思うのであります。
 終わりに皆さま、そして千葉県下の会員諸氏のご健康とご清栄のほどをお祈り申し上げ、また当寺院のご隆昌をお祈り申し上げまして、ごあいさつといたします。(大拍手)

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