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日蓮大聖人・池田大作

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蓮生寺落慶入仏法要 世紀に光れ”生誕の地”

1974.2.16 「池田大作講演集」第6巻

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2  大聖人ご誕生の時代相
 大聖人のご誕生は、末法へ入って百七十一年目の春でありますが、「選時抄」を拝見いたしますと、まず冒頭に「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」と申され、末法をさして「次の五百年には我法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん等云云」と、釈尊の予言を引用しておられます。
 当時の時代相は、まったくこのとおりであります。わが国も、そして世界も、動乱の極にありました。わが国では、ご誕生の前年に有名な承久の乱が起こりました。結果は三上皇の島流し、そして、朝廷、公家方の領地は全部、没収という前例のない苛烈な処分が行われております。しかも、その後、勝った鎌倉幕府内では、陰湿な権力闘争が続いてゆき、その内部抗争をかかえこんだまま、蒙古襲来という外患を迎えていったのであります。
 そのとき、世界のありさまはどうであったか。当時の世界はおおまかに分けて、四大文化圏が存立していました。すなわち、中国文化圏、インド文化圏、イスラム文化圏、そしてキリスト教文化圏の四つでありました。
 このうちキリスト教文化圏とイスラム文化圏は、大聖人ご誕生の前、およびご在世中にかけて、何度も何度も十字軍戦争を行っていましたし、インド文化圏はイスラムの征服をこうむったのち、蒙古の兵力に脅かされていた最中でありました。中国文化圏も侵略されて完全に支配され、その侵略はやむところを知らず、そののち西へ南へと拡大していくのであります。
 こうしてみると、すべての文化圏が戦争のさなかにあり、まさに、世界大戦の最中だったわけであります。
 この点については、世界中が中世暗黒時代という評価にふさわしい状態であったといってよい。わが国においては、そのうえに飢餓や疫病、その他が加わり、民衆の生活は惨憺たるものでありました。これでは民衆のあいだに「貪・瞋・癡」の三毒が充満するのも当然といえましょう。
3  ご化導の順序
 大聖人のご化導は、まさにかくのごとき世相のなかで開始され、推進されたのであります。
 「報恩抄」には「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」と述べられて、発迹顕本後のご身分およびその御徳を明示されるまでには、言語に絶する化導上のご辛労がありましたことは、いまさら申し上げるまでもないところであります。このようにして、しだいに弘安年度へと進んでゆかれ、熱原法難を経て「出世の本懐」を遂げられ、ついでご遺命を残してご入滅されるわけでありますが、このご一代を拝しますとき、ご化導の順序は、まことに深い配慮に満たされているのであります。
 すなわち、そのご身分においては、幼少の時から青年習学の時までの「理即凡身」から、建長五年四月二十八日、立教開宗後の「外用上行」としての「本化地涌の菩薩」の御身へと、更には竜の口以降の「本有無作三身の本地仏身」へと、確たる順序を踏んで、そのご身分を明かされ、また法の建立のうえにおいては、はじめに「題目」、ついで「本尊」「戒壇」の順に開示され、よく信心をもって拝するならば、なにびとといえども、納得できる順序でご化導を展開されているのであります。
 しかも、こうした順序を経過していく、そのなかにおいて、一念三千の法華の法門について、おのずから、事理、本迹、種脱の相違をば、厳然と立て分けられ、末法万年、そしてその後まで、未来の人類が拠るべき仏法の正体を明示しておられるわけであります。
4  “一言”の妙法
 それらの一つひとつについては、深い教学面の問題でもあり、更には各人の信行を通じた体得の問題でもありますから、皆さまの一層の研鑽に待つべきことでありますが、あえてもう一言申し上げてみますと、大聖人の仏法はご承知のとおり「南無妙法蓮華経」の“一言”であります。
 「人」についての教えにせよ、「法」についてにせよ、「三諦三身」にせよ、「化儀」「化法」についてにせよ、あるいは「自行化他」のうえにせよ、すべて「南無妙法蓮華経」の“一言”であります。
 更に現代風に付け加えるならば、主観や体験のうえにせよ、客観や認識のうえにせよ、まったく同じく妙法の七字に尽きるのであります。この事実につきましては「四信五品抄」にご教示の「位」と「教」との高低の問題等、多々考えることができますが、いまはさておきまして、私は次の点だけを申し上げておきたい。
 それは、究極の原点が、ただ“一言”であるからこそ人類すべての人に通ずるのだ、ということであります。“一言”だからこそ、この地球上において、時代を異にし、国家を異にし、境涯を異にしようとも、すべての人類に通ずるのだ、ということであります。
 究極の内容をもちながら、しかもただ一言の「妙法」であるということは、世界広布の最直道を開いたことになるのであります。よく考えてみると、言語というものはおもしろいもので、宇宙といい、我といい、そのほか永遠、全体、変化、運動、美醜、善悪等々、ただ一言によって、なにごとかの全体を表現することはいくらもあります。我々が日常、使用する名詞、動詞、形容詞のたぐいは、皆そうだといえましょう。
 一言の「妙法」については「四条金吾殿御返事」にいわく「今経は出世の本懐・一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり、されば伝教大師は万里の波濤をしのぎ給いて相伝しまします此の文なり、一句万了の一言とは是なり」と。
 私どもは、このご教示をよくよく肝に銘じてまいりたいのであります。かくのごとく尊い「妙法」であります。それを「広宣流布せよ」と、大聖人はご遺命になったのであります。
 わが創価学会においては、宗門のもっとも衰微した時より決然と四十余年間、ご遺命のままにひたすら如説修行、広布の実現に全力を尽くしてまいりました。おかげをもちまして、現在は世界中へ妙法の友が出現するまでになりました。それというのも、ひとえに御本仏の大慈大悲のたまものであることは申すまでもありません。
 しかし、その具体的実践の面においては、皆さまをはじめ、全学会員のなみなみならぬ実践力に負うているわけでありまして、この点をもっていうならば、創価学会員たる皆さまには、子々孫々まで大聖人の称賛をこうむり、かつ揺るぎなき大福運が待つことでありましょう。私どもが、日夜拝する大御本尊のなかには「供養する事有らん者は福十号に過ぐ」と厳然とおしたためであります。仏に未曾有の供養をしましたのは皆さま方をおいてありません。これは生涯かけて広布のために励む者への大聖人の“ご印可”であると拝するのであります。
 されば、私どもは御本仏日蓮大聖人の本眷属として、いよいよ誉れ高く随力弘通に励み、最後には霊山浄土に詣でて、大聖人にお目通りし、世界広布の現状を愉しくご報告申し上げたい、と思うのであります。
 終わりに皆さま、そして千葉県下の会員諸氏のご健康とご清栄のほどをお祈り申し上げ、また当寺院のご隆昌をお祈り申し上げまして、ごあいさつといたします。(大拍手)

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