Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第10回全米総会 ”地球家族”への幕開け

1973.10.11 「池田大作講演集」第6巻

前後
1  正本堂建立一周年を記念して、この世界平和祈願の大殿堂の広場にて、正本堂コンベンションが開催されましたことを心より祝福いたします。ほんとうにおめでとうございます。
 私も、本日は自由と独立の誇り高きアメリカ市民の一人として、参画しているつもりであります。ギリシャの哲人・ソクラテスは「私はアテネ人ではない。ギリシャ人でもない。世界の市民である」と有名な言葉を残しましたが、私もまた、つねに世界市民であるという強い自覚をいだいている一人であります。
 私は世界のさまざまな民族の人々と握手をし、会話をかわしてまいりました。そこには温かい人間の真実の光がありました。ヨーロッパの人々の目にも、アメリカの人々の目にも、アジアの人々の目にも、そしてアメリカの人々の目にも、同じ涙と光を見てまいりました。
 私たちの交りは決して国と国との政治的なそれではない。人間対人間の生命の交わりであり、そのためにこそ、私はこれからも世界の各地を死ぬまで回る決意であります。
 私は本日の、このコンベンションこそ、まさに地球家族への開幕を告げる壮挙として意義づけたい。かつてアメリカの市民三千人が、この富士のふもとに集ったという事実に匹敵する壮挙が、仏法三千年史上にあったでありましょうか。まさに空前の事実であり、そして栄光に輝く歴史の崇高な一ページをしるしたことを、私は人類に向かって宣言するものであります。
 アメリカ合衆国の成立は、世界を一変させたといってよい。かつて世界のさまざまな国の人々が本国の圧政と抑圧から逃れて、理想の別天地を求めて、アメリカの大地にやってきた。そこには苦難の検路があった。歴史をひもとくならば、先人の血と汗の幾多の労苦が、そこに刻まれている。
 一七七六年のアメリカ合衆国の独立は、単なる政治革命ではなかった。人間の平等と天賦の浸しがたい生存の権利と、自由を求めての戦いであり、絶対主義、封建主義に決定的な打撃を与えて、やがてフランス革命に重大な影響を与え、新しい世界史をつくりあげた革命であったというべきでありましょう。
 現代のアメリカには、リースマンのいう“豊かさの中の貧困”の言葉に象徴される、さまざまな深刻な苦悩のあることも、私は聞きおよんでおります。しかし、アメリカの市民の底流には、この尊い自由なる独立の精神があることもまちがいない。
 仏法は、この“自由なる魂”への絶えざるエネルギーの供給源であると知っていただきたい。多くの悩める青年たちが、生き生きと蘇生していったのも、精神の砂漠にエネルギーの補給を得たからでありましょう。
 日蓮大聖人の仏法は、日本という国のみの仏法ではない。いな、アメリカとかイギリスとかフランスなど特定の国の仏法でもない。皆さんの仏法であり、あえていえば一人ひとりの内なる生命の宝であり、一人ひとりの市民の仏法である、と申し上げておきたい。その仏法をたもった人々が、その国、その社会に、それぞれの立場で貢献していくのは、当然のことであります。
 特に、アメリカはあらゆる民族の人々が集いきたって形成している国であり、このアメリカの大地に、まず世界宗教を根底にした二十一世紀につながる自由、平等、そして幸福を追求する権利の見事なる実証を示していただきたい。そのことが、私の念願なのであります。
 ともかく世界広宣流布というものが、絶対に日本人による世界侵略などというものでは決してない、という生きた証を、私はアメリカの天地で堂々と現出していただきたいのであります。
 私は、かつての日本の大東亜共栄圏などという思想を心から憎みます。それは日本人のエゴであり、一国のエゴにほかならない。真実の偉大な宗教は、たとえいかなる国の人であれ、いかなる民族の人であれ、一個の悩める人間の真実の味方であります。
 日蓮大聖人の御書に「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」という一節があります。全人類の一人ひとりは、皆、人間として平等なのであります。アメリカ民主主義には、この仏法の精神に合致する息吹が感じられます。その意味で大聖人の仏法の一つの特徴は、東洋的であるとともに、それ以上に欧米的といえるかもしれない。
 どうか、アメリカの同志の皆さん、再び“妙法のフロンティア精神”を発揮して、自由なる独立人として、仲良く連帯を深め、人々のために、世界のために、平和のために戦ってください。
 最後に、アメリカ市民の一人であるジョージ・M・ウィリアムス理事長の十数年間の功労を心からたたえ、またNSAの皆さんのご健康と、ご健闘を心よりお祈りし、私のお祝いの言葉とさせていただきます。

1
1