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日蓮大聖人・池田大作

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第5回NSA学生部総会――メッセージ 全人類の平和へ共戦の旗を掲げて

1973.10.9 「池田大作講演集」第6巻

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1  日本の自然が、もっとも豊かな装いをなす、実りの秋にあたって、第五回NSA(アメリカ日蓮正宗)学生部総会が開催されましたことを、心からお祝い申し上げます。まことにおめでとうございます。
 この総会は、ただたんに、日本とアメリカの学生の集いであるというだけでなく、妙法という世界最高の英知をもち、人類の未来を志向する人々の、国境、民族を越えた連合としての意義を含み、それを象徴したものであります。このような、若き仏教学徒の連合は、三千年の仏教教史においても、未曾有の大偉業といえるでありましょう。その意味で、私は本日ここに参加されたすべての方々に、心から敬意を表するとともに、世界と人類の未来への希望を託するものであります。
 これは、何度か申し上げてきたことでありますが、本日の会合の意義にかんがみ、皆さん方の未来の、また生涯の指標として、重ねて確認しておきたい。それは、二十一世紀はいかなる世紀であるべきか、いな、いかなる世紀にしていかねばならないかということであります。私は、二十一世紀は“生命の世紀”と呼ばれる時代とならねばならないと訴えるものであります。
 “生命の世紀”とは、一切の思考の原点に、生命の哲理をおき、この生命哲理のうえから人間を内より変革し、人間の尊厳を、あらゆる分野にわたって具現化した世紀ということであります。人類の英知は、必ずや、この生命の世界を、人類の究極の拠り所として、求めるでありましょう。いな、それを求めずには、人類の存続自体が危ぶまれる、まして、新たなる発展はないということを、心ある人々は、すでに気づきはじめています。
 二十世紀の世界は、共産主義と資本主義との対決、抗争によって支配されてきたといえましょう。これらは、経済的・社会的側面から構築した理念であり、人間観であります。この部分的イデオロギーにとらわれた偏見と憎悪とが、現代の文明を、人間不在、自然破壊の文明たらしめ、破綻をもたらしていることは、周知のとおりであります。いまや時代は共産主義と資本主義といった次元を超越した、より深く、より高い、人間の精神的拠り所を求めております。この要請に応えうるものこそ、生命哲学を基盤として構築した思想である、と私は確信するものであります。
 ここにこそ、私が、日蓮大聖人の生命哲学によって立った諸君を、二十一世紀のパイオニアとして、たたえるゆえんがあります。諸君が、それぞれの専門分野において、生命たつがくを基盤にした、新しき理念構築の第一人者として活躍されんことを、心から期待してやみません。
 学問は、元来、人類が、生活の知恵として発見してきたさまざまな知識を、長い年月にわたって蓄積し、それらの知識のなかから、一定の法則を見いだし、それぞれの分野における、一つの体系として、構築してきたものであります。そうした意味で、本来の学問は、人間にがっしりと根をおろし、生活のなかに枝葉を張ったものでありました。すなわち、それは単なる知識ではなく、そのまま知恵と呼ばれるべきものであった。
 しかるに、近代から現代にかけて、産業社会の爆発的な進展とあいまって、学問のあらゆる分野において、細分化、専門化が推進され、人間学、知恵の学としての使命を失い、知識のための学問と化しているのが、現代の学問の状況でありましょう。今日、核兵器の脅威、環境問題、人間精神の退廃といった、文明のゆがみに、学問は、なんらなすすべもなく立ちすくんでおります。いな、こうした文明の病弊を生み出したものこそ、ほかならぬ知識のための学問であったのであります。
 ここで、学問は、再び本来の使命にめざめなければならない、と私は訴えたいのであります。かつてルソーは、いみじくも述べております。「あらゆる人間の知識のなかでもっとも有用でありながら、もっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように思われる」(「人間不平等起源論」)と。
 この言葉は、現代こそ、適用されるべきであります。この人間に関する徹底的な解明を行ったものこそ仏法であり、この仏法の英知に触発されて、学問が本来の知恵の学問に戻ることこそ、現代学問の迷路を救う唯一の道であると訴えたい。そしてそれこそが、二十一世紀の生命の世紀を主導しうる学問ではないか、と思うのであります。
 更に私は、この学問の再構築ということとともに、学問の成果を普及させる過程であると同時に、学問を支える基盤である教育について、一つの提案をしておきたい。それは、教育に関する国際的な連合組織をつくって、世界平和への精神的砦を人々の心に築く電源地たらしめてほしいということであります。
 私はかつて、立法、司法、行政の三権に、教育権を加え、その四権を独立させるべきであると主張いたしました。教育は一個の人間をつくりあげる重要な作業であり、生命の絶対尊厳を教えていくのも教育の使命であります。それには政治的権力によって左右されるものであってはならない。教育や科学、文化における国際協力を推進する機関としては、ユネスコがあり、平和構築をその理想として掲げてはいるが、既存の国家的力によってつくられたものであるため、国連と同様、政治的な影響をうけざるをえない状況にあります。
 したがって私は、教育権の独立を、全世界的次元で具体化し、いかなる権力にも左右されない、平和教育機関をつくることが先決であると考えるのであります。それには、教育の現場にたずさわる教師、また家庭教育の責任者である父兄、更には、教育を受ける立場にあり、また先輩の立場にもある諸君たち学生、それに学識経験者も加えて、仮称「教育国連」をつくり、それをもって真実の世界平和を実現し、国際間のあらゆる平和協力の実を上げるようにしていってはどうか、そしてそれには、日本の学生部の諸君が含まれるのは当然でありますが、なかんずく、米国の学生諸君が先駆けとなって前駆してはどうか、と訴えたいのであります。
 豊富な知識と、純粋な感覚、若々しい情熱を兼ね備えた学生諸君こそ、平和構築の旗手とならなければならない。そういった意味から、本日の学生部総会こそ、この提案にもっともふさわしい場ではないかと考え、諸君に訴えたしだいであります。
 どうか、本日集まった日米両国の学生諸君が、英知で戦争を撲滅し、英知で暴力を排する平和の使者として、新しい世紀建設への意義ある第一歩をしるされんことを、満腔の期待をもって心よりお願いし、お祝いの言葉とさせていただきます。

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