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日蓮大聖人・池田大作

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第15回学生部総会 第三の偉大なる蘇生の道を

1974.3.3 「池田大作講演集」第6巻

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1  きょうは、青春の宗教とともに生きゆくわが学生部の第15回総会、まことにおめでとうございました。(大拍手)
 また、ご多忙のなか、わざわざご臨席いただきました多数のご来賓の皆さまに、愛する学生部諸君にかわりまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
2  ファシズムの危機を阻止
 さて、最近、いろいろな機会に、私は、現代の日本ならびに世界が深刻な危機をはらんいることを指摘しました。長期的には公害や資源問題、人口問題、更に人間の精神的空白化等といった人類の運命にかかわる危機が潜在している。これらと関連したかたちで、短期的には、石油ショックによる経済的危機があり、それより少し長い、いわば中期的な展望の危機として、ファシズムへの傾斜という問題があるわけであります。このファシズムの危険性という点については、昨年末の大阪・中之島の中央公会堂での第三十六回本部総会でも訴え、その危機を防ぐ一つの具体的運動として、平和憲法を擁護する戦いが進められている。
 そこで本日は、このファシズム復活の危険性に対処する私どもの基本姿勢、根本的考え方を仏法者としての原点に立って、所感を申し述べておきたいのであります。
 ファシズムとはなんであるかという問題については、さまざまな側面があり、その定義づけについて、多くの議論があるでありましょう。
 そのなかには、特にドイツのナチズムに典型的にみられたように、人種主義があり、一人の政治権力者、一つの党による完全独裁政治があり、思想、言論、集会等の自由に対する抑圧があり、進歩への否定があり、更に武力による対外侵略という問題がある。これらは、いずれも無視できない問題でありますが、それらの根底にあって、こうした種々の特徴的機能を生みだしてきたファシズムの因子はいったい何か。
 それを私は、集団力の崇拝でしり、集団のなかへの個人の埋没、個の圧力的消滅である、と規定できるのではないかと考える。
 そうした集団のなかへの個人の埋没と消滅という点については、エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」という著書のなかで、精神分析の手法を適用することによって、徹底的に解明しているとおりであります。それは、ナチズムの全盛時代に書かれたものでありますが、ドイツの民衆がなぜ一人の政治権力者ヒトラーの独裁体制下に喜んで自ら入っていったか――すなわち、ワイマール憲法という理想的な民主憲法をもちながら、それが、なぜ一転してファシズムに走ったかのかを、明快に示してくれている。
 フロムによると、それはルターやカルヴァンによる・プロテスタンティズム以来、用意されてきた精神的空白と無力感、権威への服従主義から出ている一種の病理現象である。これが一方では、ナチズム、ファシズムとなり、一方においては資本主義社会となった、というのであります。
 しかしながら、集団に帰属することによって、精神的な安定感や充足感を得るということは、人間すべてにある心理といってよい。完全な孤独状態では生存しえないのが、あらゆる生物の必然的原理である。なかんずく、高度に発展した精神機能をもつ人間の宿命ともいえるかもしれない。
3  ここで大事な点は、個人の尊厳が否定されてしまって、全体のなかに部品として組みこまれるか、それとも個人の尊厳観が根本にあって、その個人を守り支えるために全体があるか、ということであります。
 人類文化の歴史をみるとき、いわゆる古代においては「個の自立」ということは、ほとんど意識されなかったといってよい。個人は集団のなかに一体化してしかありえず、そこから離れて生きる術はなかった。それは、物質的かつ技術的にやむをえないことであったし、意識的にも集団のなかに埋没し、ある特定の権威をもつ個人――すなわち帝王に服従することを、なんら異としない精神構造に形成されていた。それが古代における英雄神の神話が果たした役割であったのであります。
 それに対して、仏教をはじめ、キリスト教、イスラム教などの高等宗教が果たした役割は、なによりも個人の尊厳を浮かび上がらせたことにあった。それは「永遠不変の法」や「永遠なる神」なりを打ち立てて、それと個人とを直結させることにより、有為転変の現実に左右されない永久的な救いの道を説いたのであります。このことが、必然的に個人個人の尊厳性を裏づける結果となったといってよい。
 なかんずく、仏法においては、小乗、権大乗を経て、法華経にいたって「仏の生命」即「永遠不変の法」が、すべての生命の内奥に実在することが明かされ、個人の尊厳観に不動の基盤が確立されたのであります。この点は「神は人々の心のなかにある」と説きながらも、超越的な唯一絶対神という考え方を強調することをやめなかったキリスト教や、更にそれを徹底したイスラム教では、あいまいさを残していたところであります。
 それはともかく、こうした高等宗教がめざし、あるいは結果としてもたらした「個人の尊厳」という思想は、ファシズムにとっては、重大な障壁となる。ファシズムにとって、都合のよい宗教とは、集団力を神格化した古代宗教であり、その神的力が、ある特定の個人の内に体現されるとする“英雄崇拝”“カリスマ信仰”なのであります。
 ゆえに、ナチズムがドイツ国民の意識を深層部から動かし、支配するために利用したのは、キリスト教以前のゲルマン古代宗教への郷愁だったのであります。特に、リヒァルト・ワグナーの「ニーベルンゲンの指輪」は、ゲルマン古代の民族的英雄ジークフリートの悲劇の運命を歌ったもので、その壮麗な調べは、第一次大戦の敗戦国ドイツのイメージと重なって、深く民族の血をわきたたせたといわれる。
 日本においては、同じく高等宗教である仏教を飛び越えて、古代の神道が国家神道として復活し、この神格の体現者である天皇のもとに、日本民族という集団力のなかに、個人の埋没と犠牲がうながされたのであります。
 同様にして、イタリア・ファシズムの場合は、キリスト教以前のローマ帝国の民族的栄光と、ローマの神々への憧憬が、人々の心を集団力への服従に導く手段として用いられたことが、看取されるのであります。
 こうした歴史的事実の教訓は、一面の裏づけにすぎない。ファシズムの因子が何であるか。それに対して高等宗教、そのなかでももっとも完成され、最高峰をいく仏法の教えの根本義が何であるか。それらを、正しく、鋭く見きわめるならば、ファシズムの危機に対して、もっとも強力な抵抗をなす力をもち、また抵抗すべき責任を担っている者こそ、最高の仏法の極理を受持し、実践している諸君たちであることは、もはや明白であると、私は信じますが、いかがでしょうか。(大拍手)
 いな、諸君たちは、たんにファシズムの危険を防ぎ、人間の尊厳を守るという消極的役目のみに終わるのであってはならない。かつてファシズムに走ったドイツ、日本、イタリア等の民衆の、そうした心理的メカニズムを生み出したものは、結局は自らの無力感であり、精神的空虚さであったのであります。
 したがって、一人ひとりの心のなかに、ふつふつと内より湧きいずる充実感と生命力と英知を、みなぎらせていく仏法流布の労作業こそ、ファシズムの毒草を根から断ち切り、もはや再び芽を出すことのできないようにする積極的な戦いであることを、ここで諸君とともに確認しあっておきたいのであります。
4  “土俗性”と“普遍性”を止揚
 これに関連して、私の敬愛する一人の学者も語っていたことであります、日本における明治以降の歴史を俯瞰すると、世界的な“普遍性”を基調とした時代と、日本的“土俗性”に埋没した時代という二つの道を、周期的に、振り子のように振動を繰り返しながら、進んできていることに注目したい。
 具体的に申し上げれば、まずはじめに、徳川時代の長い鎖国の掟を打破して、明治の初めの二十年ぐらいは、ある意味で世界的な普遍性を模索、追求した時代であったといえます。政府においても、思いきった文明開化の方向を採り、国民のあいだでも、かの自由民権運動に象徴されるような民主主義的な要求が、広汎なかたちで展開されていったのであります。主権在民、普通選挙、一院制国会を主張し、なかには君主国家ではなく、共和政体を求める声さえもあったといわれております。
 しかし、まもなく権力側がこれらの運動に危険を感じ、運動を弾圧するようになた。運動の指導者たちが、まず権力の圧迫と懐柔に妥協し、これらの運動は急速に挫折していった。その敗北の原因は多々ありましょうが、結局は運動そのものが、下からの庶民レベルからの盛り上がりではなかったことに、重大な要因があったようであります。
 これらは一部の知識階級によって指揮されたものであり、その指導者たちでさえ、観念的にしか運動をとらえられず、自身に深く(インカネーション)した思想でなかったことが、指摘されているのであります。
 明治二十二年の帝国憲法は、こうした民主主義的な運動の破産のなかに確立されたものであります。これによって、天皇制国家が確実な基礎を得ることになり、その精神的バックボーンとして、神道が主役を担ったわけであります。更に、これを永く全国民に徹底させるために、教育の力を重視し、儒教保守主義の「教育勅語」を発布しました。
 こうして普遍性謳歌の時代は急転直下し、固有の土俗性が、神道と結びついたかたちで、一国の精神的風土を形成ていくのであります。土俗性というのは、ひじょうに力を発揮するものであり、それが、かつては幾多の民間信仰を生み、土の香りの文化を形成してきたのでありますが、明治以降においては、それがいとも簡単に神道に結合していったのであります。
 普遍性が崩壊したあと、なぜ人々の心は神道へと糾合していったか。民主主義という高尚な理念とはまったく対照的なものへと人間の心が熱狂的に動いていくところに、日本人の独特の心理風景がみられるのであります。
 それはともかくとして、上から下まで一本の線で結ばれた精神的な力は、日清、日露の二回の対外戦争に勝利を得て、一見華々しい時代を築いていくのであります。
 また、明治から大正に入って、一つの転換期が現れます。これはロシア革命の影響、世界的なデモクラシーの支配などのさまざまな要因が、日本に波動を与えたと考えられるのであります。
 政治においては、政党の力が強まり、更に社会主義運動とか労働運動が徐々に展開されるようになる。いわゆる“大正デモクラシー”と呼ばれる時代世相をみせはじめました。“文化”という言葉がはやったのはこの時期であります。文化住宅、文化生活、文化講演会、はては文化ナベ、文化ブケツにいたるまで、ともかく“文化”がもてはやされた時期であります。
 それは、まだ皮相的な動きであったとしても、普遍性へと傾斜する時流が存在したことは疑いない。しかし、この時代の無力感、虚無感というものも、なかなか深かった。そこで、この普遍への方向性も、軍部の強力な台頭によってファシズムの方向に急転回を始めていくのであります。
 犬養首相が暗殺された昭和七年の五・一五事件、および昭和十一年の二・二六事件等の一連出来事は、それを象徴したものであったといえましょう。
 日本が疾風のごとく満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争へとなだれこんでいったことは、周知のとおりであります。この軍国日本を肯定する精神、思想としては、更にいちだんと徹底したかたちで、神道が植えつけられていったのであります。小学校、いな、幼少期から「教育勅語」によって、民衆の心は独占されてしまった感が深い。
 大多数の庶民は、これが日本国民に流れる美しい“大和精神”であると信じこみ、民族のパッションは、ここに沸騰点に達したともいえるのであります。
 しかし“神州不滅”であったはずの日本国の敗戦は、巨大な精神支柱を決定的に壊滅させてしまったのであります。かつてのいかなる時代の振幅も問題にならない、百八十度の方向転換が行われたといってよい。
 民主主義(デモクラシー)という文明国の原則が、またたくまに日本人の共通語となり、日本国憲法は世界に比類なき平和的な憲法として樹立されたのであります。
 教育においても、制度においても、この民主主義という世界語の翻訳が徹底されつつ、今日にいたったといっても過言ではない。しかし、どこまでこの普遍的原則が、一人ひとりの心のなかに実像を結んでいるかといえば、はなはだ疑問なのであります。
 民主主義という言葉には、どこかむなしい響きさえ谺している昨今であります。生命の尊貴、個人の尊厳、ヒューマニズム、自由、平等といった言葉の洪水のなかに、実際には憲法の精神は骨ぬきにされようとし、あるいは、スモッグが空を覆い、あるいは悪徳業者がまかり通っている現状であります。
 あのつくられたいくつかのパニック現象、あるいは占いなどが盛んになっているのも人々の心の不安を裏書きし、人々の心の底に、またしてもあの無力感、虚無感が巣を張っていることを、私はみざるをえないのであります。
 この不信と不安とが尖鋭化していったときに、どのような振幅が生じ、いかなる事態を招来することでありましょうか。いまなお日本人が、精神の鎖国状態にあることは、前にも指摘したとおりであります。
 私は、再び土俗的な民族主義が、ゆがめられたかたちで、なんらかの“大和心”をかきたてるような感情中心の無内容な思想と結びつき、狂乱のへと向かいゆくのではないかと、深く憂慮するのであります。
 これを回避する道は、いったい、あるのか。私は、自身をもってその道はある、と申し上げておきたい。それは、さきにも述べたごとく、土俗性をも吸収しながら普遍性をもった思想、宗教である仏法しかなかい、ということを、確信をもって申し残したい。
 というのも、普遍性というものは、それのみではどしても観念的にならざるをえない性格をもっている。したがって、普遍性を真に生かし、価値あらしめるためには、個の特殊性であるところの土俗性を、包含するにたるものでなければならない。
 この土俗性とは、現実の生活実感に密着した精神という意味での土俗性――つまり、更に社会的にいえば、庶民性であります。現実の庶民の生活は、決して普遍的なものではない。そこには、歴史的に蓄積された独特の習慣、風俗というものが息づいている。
 そうした土俗性、土着性を無視した普遍性は、結局、根無し草のごとく定着しないものであります。ゆえに、普遍性と土俗性を融合し、止揚(アウフヘーベン)した方向こそ、確かな行き方といわざるをえない。
 ここに、日本が宿命的に普遍性と土俗性のあいだを往来しつつ、再び模索の時代に入った今日、第三の偉大なる“蘇生の道”のあることを、私は提唱したい。
 すなわち、東洋人の心のなかを悠久に流れきたり、かつ庶民生活に息づき、歴史の風雪に耐えぬいてきた仏法――しかも、個人の「真我」の確立をかくまで徹底して説き、人類普遍の道を開いた仏法――また、現代人の心の奥に巣くう虚無感からの脱出を確実に導きうるところの仏法――ここにこそ、日本の新しき確実なる活路を見いだすべきであると、私は心を尽くして訴えるものでありますが、諸君いかがでしょうか。(大拍手)
5  自我の拡大と九識
 次に、私どもの伝持する日蓮大聖哲の人間観のうえから「自我の拡大」という問題について、若干ふれておきたい。それは、一つには「心王」と「心数」の関係性であります。「心王」とは、端的にいえば生命の王ということであり、わが生命活動の主軸であり、胸中の王座の謂であります。
 「心数」とは、その活動、働きの側面であり、心王の回転軸があって、生命の作用たる「心数」も、もっともダイナミックな力強い多彩な人間図を展開していけると説いているのであります。
 まず、仏法の視点は、この究極の生命の王座である「心王」の追究に向けられていった。これが有名な天台の「九識論」であります。
 しかし、日蓮大聖人は、端的に「心王の座」をば、わが内なる妙法という実在にあることを明かし、それを「九識心王真如の都」とされ、それは御本尊を信受する胸中の肉団にあると展開されているのであります。
 これが、よくごぞんじの日女御前御返事の一節であります。すなわち「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」と。
 このことを理解するために、しばらく、古来、哲学界最大の難問とされている「我」という問題と「九識論」に言及しておきたい。
 よく世間で「あの人は我が強い」とか「あの人は我を張る」といって「我」という言葉には、あまりよくない意味の響きがある。しかし、仏法では、以上のような意味の「我」を「小我」ととらて、この「小我」を乗り越えて自らの胸底に果てしなく広がる生命の心海があることを教え、この究極の実在を「大我」もしくは「真我」と呼んでいるのであります。
 人間の「我」という問題に即して考究すれば、仏法の生命論の視座は「小我」の牢獄にとらわれた自我を、いかにして打破し、拡大し「真我」に到達させるかの一点にあるといっても過言ではありません。
 このために展開された一つの哲理が仏法の「九識論」であります。「九識論」は唯識論の流れの精華ともみるべきではありますが、日蓮大聖人の法理、すなわち絶待妙のうえからは、生命の全体像をとらえる一つの哲理として、見事に復活してくるのであります。
 ところで、釈尊をはじめとする仏法の先達が発見した真理の一つは、人間の「我」を表層部の身体から、内面の“心の森林”に分け入り、そのなかでも更に意識から無意識の深層へと、いわば“たて”に降りていくのにしたがって「我」の占める“生命空間”が、しだいに“よこ”に拡大していくということであります。「九識論」も、その真理のうえに展開された精密な人間論であるといってよいと、私は思う。
 まず私たちの色心の表面では、眼、耳、鼻、舌、身の五官にともなう心が働いております。つまり、感覚的意識であり、仏法ではこれを五識と表現しております。
 現代の物質文明は、主として人々の生命の表面に働く本能的な五官の楽しみを刺激しつつ、その王国を築き上げたとみることもできるのであります。これを十界論でいえば、むなしく六道輪廻の人生を徘徊する「我」でもあり、生命空間はかなり狭く、かつ浅くてもろいものといわねばなりません。
 しかし、人間の生命には物事を判断し、推量し、種々に検討する精神活動がそなわっている。一般には、知性、理性にもとづく判断力、推進力、内省力などといわれるものであります。仏法ではこのような心の働きを第六識、すなわち意識といっております。
 人間はこの第六識によって、六道輪廻の境涯から新しい人生、つまりより大きな自我へと跳躍していくことが可能となるのであります。いちだんと上の境涯、すなわち二乗の境涯を望む方向に半歩進むわけであります。
 しかしながら、この努力も六識の奥から突風のごとく吹き上げてくる種々の衝動、情念、欲望、宿命の嵐によって、たやすく崩壊してしまうのがつねであるといってよいでありましょう。
 この六識にとどまるあさはかな「我」は、五識の「我」に比べてその空間は多少拡大しておりますが、しかし、もっと広い六識の奥にある無意識の衝動や情念をもつつみこんだ「我」に比べれば、「小我」にすぎない。
 更に、第六識の奥に分け入り、無意識の領域に進み、そこに見いだしたのが第七識、仏法では末那識と呼びます。これは、思量識ともいい、深い思慮をともなうものであります。世の無常変転のなかに、法則を発見しようとする声聞や縁覚界の人々の自我は、この第七識であるといってよい。
 近代以降の学問や芸術を創り上げた先覚者の仕事は、この第七識のめざめによったと私は考える。すなわち、七識から発動する知性が、真摯な探究心となって社会と歴史と自然界の法則に肉薄していったのであります。
 しかしながら、この七識に位置する二乗の「我」も、エゴに染められた生命内奥の衝動や宿命からは、決して自由ではない。いな、むしろ自己満足という自我の落とし穴の深みにはまりやすい。そして、より大なる自我の拡大から遠のき、かえって無明の闇につつまれて灰身滅智し、自他の生命破壊へと突き進んでいくのがつねなのであります。
 この生命の奥なる宿命やエゴの衝動を克服すべく探究した仏法の直観智は、七識をも貫いて、更に生命奥底への世界を浮かび上がらせていくのであります。
 次の第八識、阿頼耶識は、万物の根源をなす生命に接近し、無限の過去から未来へと生死の流転を織りなしている自我に到達している。そこには、ありとあらゆる生命的存在を支える、強力な内省的求道と慈悲のエネルギーがたたえられている。いわゆる菩薩界の自我であります。しかし、第八識は染浄の二法を含むと仏法では説いている。すなわち、浄法としての慈悲のエネルギーとともに、染法としての生命破壊へのエゴの衝動とが、真正面から拮抗し、それを止揚する術を知らず、念々の内における二者の激闘は、とどまるところをしらない。ゆえに、第八識も確たる生命の「心王の座」ではない。
 仏法の光線は、ついに宇宙の本源の力を融合し、律動する極限の「自我」の大海、すなわち第九識――根本浄識にいたり、これを「心王」と名づけたのであります。
 天台は、この「心王」の存在を内観によって究明していった。それに対し、日蓮大聖人は元初の「心王」をば、わが自在の胸中に悟達し、その境地を万人に開くための確実なる実践法を残されたのであります。これが我らの信仰なのであります。
 しかも、求心的に「心王」に迫ろうとした正法、像法二千年の仏法の営為に対して、「心王」の太陽をわが生命の都にすえて、厳しき現実の怒濤の荒波へと、再び身を投入せしめていく青年の宗教、革命の哲理、世紀の社会運動の思想の原点が、大聖人の仏法なのであります。
 ともあれ「心王」への道は、いまなお迹門の理上の法門であり、「心王」から現実への道程こそ、本門事行の法門なのであります。御義口伝に「心王」を迹門、「心数」を本門に配されているのは、この理由からであります。
 また上野殿後家尼御返事の「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」との御金言も、この意味であります。
 すなわち「心地を九識にもち」とは、我々の立場でいうならば、日々の勤行、唱題であります。「修行をば六識にせよ」とは、現実に荒れ狂う六道の苦海のなかで、すすんで自らを鍛練せよ、人をも救え、そこを仏道修行の場としていかねばならない、との仰せであります。
 現実の世界は本能やエゴの濁流が渦巻く波浪であるかもしれない。しかし、我々は夢みる精神の徘徊者であってはならない。九織と六識の絶えざる往復作業のなかにのみ、我らの“人間革命”という明晰なる軌道があるであります。
 ゆえに、朝な夕な“宝鏡”の前にわが「心王の都」を映しだし、あえて現実の激浪のなかにわが青春をささげていただきたいのであります。そして、師子王の宗教を自らの根拠としつつ不撓の意志を貫き、あらゆる分野に自在に乱舞していかれることのみが、私の心からの祈りなのであります。
6  創価学会のプラトンたれ
 次に、皆さん方こそ、わが学会の後継者であるという意味から、ひとことソクラテスとプラトンについてお話ししたい。
 いうまでもなく、ソクラテスは人類史にひときわ高くそびえ立つ、“思想の巨人”である。だが、その思想の巨岩を盤石にし、人類の血液のなかにとどめたのは、その弟子プラトンであった。ソクラテスとプラトンの出会いは、プラトン十八歳ないし二十歳のころであったといわれております。ちょうど諸君の年齢であったわけであります。
 青年プラトンは自ら誇りに燃えてつくりあげた劇詩をもって、詩の競演の会合に出かける途中であった。偶然、ある劇場の前でソクラテスに出会い、彼の話を聞き、巨人の射放つ思想の矢を浴びて、おのれを恥じ、翻然として自作の詩を焼き捨て、弟子となったといわれている。
 それから約十年間、徹底してソクラテスに師事していくのであります。ソクラテスが青年と対話し、歩むところ、つねにその陰にプラトンがあった。その後、ソクラテスが権力の弾圧を受け、苦境に陥ったときも、決してソクラテスから離れることはなかった。裁判の日も、その場所に駆けつけ、自ら罰金刑の保証人になることを申し出たともいわれる。
 ある学者は、こう評価している。
 「プラトンは、ソクラテスの死に至るまで、変わらない弟子であり、親しい友であり、そして彼の死後も、ソクラテスの姿を常に瞼に描きつつ、彼の言行を数多くの対話に記録して後世に伝えたのであった」と。
 ソクラテスは自ら毒をあおいで正義を守り、歴史の最先端に立った。ソクラテスの死は弟子プラトンの壮絶な哲学思索の旅立ちとなったわけであります。プラトンは各地を駆けめぐった。つねにソクラテスの沈黙の声がわが心音と響いてくる。やがて彼は、ソクラテスの思想をまとめ、発展させ、膨大なる哲学体系の山脈を築き上げていくのであります。
 ともあれ、ソクラテスは青年との対話に終始し、その著作は残さなかった。その弟子プラトンが、その思想を後世に伝えたのであります。もし、ソクラテスなくばプラトンはなかったことはいうまでもない。だが、ひるがえって、プラトンなくばソクラテスの存在は、決して時代の血脈とはならなかったであろうことも、明白なのであります。
 この原理は、いかなるい思想流布の場合も共通しております。キリストにパウロ等の弟子が続き、東洋においても、釈迦に十大弟子があり、天台に章安あり、伝教に義真あり、そして末法御本仏日蓮大聖人に日興上人があらわれた。
 すべて後継者のいかんで思潮の興廃は決まるといてよい。諸君は創価学会のプラトンであっていただきたいのであります。妙法という霊妙なる生命の音律によって、触発された新緑の若芽である諸君が大樹と育つのであろうその日こそ――東洋仏法の真髄というべき偉大な思想山脈が、全人類の渇仰の眼前にそびえ立つことを、私は期待したいのであります。
 私は、今月の七日に日本をたって、諸君の代表である原田学生部長らとともに、南米、そして北米の各地に行ってまいります。留守中、国内のことはよろしくお願いいたします。(大拍手)
 世界は、いまや真に人間を究めた無限の光芒を放つ大宗教を求めております。それは、ただたんに、日蓮正宗のメンバーばかりではなく、私の会話した世界的識見の人々も、皆一致して新しき世紀に躍るであろう宗教の必然性を力説しておりました。
 浅学の私が、あえて全世界を駆けめぐるのも、ひとえに学識と英知あふるる皆さんが、必ずや私の意志を継いで、世界を舞台に平和陳列をしいてくれるものと、信ずればこそなのであります。
 ゆえに、諸君は哲理をいだいた“地涌の正統派”として自己をみがきにみがいて、満天の人材のキラ星と光っていただきたいのであります。人類の文化遺産は諸君の胸中に流れていくことでありましょう。そして諸君の胸中の一念から新しい生々たる緑の素膚が広がっていくことも信じたい。
 たとえいまが、寒風にこごえる秋霜の日々であったとしても、尊き珠玉の人間修練の道程と心得て、雀躍として英邁と正義の大地に生きぬいていただきたい。
 この憔悴の時代にあって、やがて心ある人々は二十一世紀の確たる“文化走者”である諸君の存在の大きさを認識し、評価することは決定的であります。
 私も走る。たとえ、それが無償にして犠牲の人間の旅であったとしても、そのために死力を尽くして走りつづけます。
 未来世紀の総体を照らす新たなる光源を、いま私は諸君のまぶしいばかりの歓喜の表情に見いだしている一人でもあります。
 最後に、諸君のご健康と諸君をはぐくんでくださる関係者の方々のご繁栄をお祈りしまして、私の話を終わります。(大拍手)

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