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第1回創価女子中学・創価高等学校入学式… ”健康・良識・希望”の門出に

1973.4.11 「池田大作講演集」第5巻

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1  開校ならびに入学、まことにおめでとうございます。(拍手)
 創価女子中学・高等学校は、今日からなにもかも新しい装いで出発するわけであります。山ふところに抱かれたすがすがしい校舎、それにもましてすがすがしい新入生の皆さん、斬新な教育理念に燃えておられる先生方−−私は、この学園の洋々たる前途を心から祝福するものであります。
 皆さんの希望に満ちた門出を、私も創立に参加した者として見守りたいと思い、東京からやってまいりました。私は創立計画の当初から、この学園には限りない愛情を注いでまいりました。また今後も当然、助力を惜しまぬ決意でございます。
 第一期生となった生徒の皆さん、この学園の師となられた先生方、現代における、もっともはつらつたる学園、人間淘冶のもっとも理想的な学園、得た知識が人生の智恵として生きる学園、――そのような学園を、ともどもにつくりあげたいと思いますけれど、いかがでございましょうか。(大拍手)ご父兄の皆さま方もよろしくお願い申し上げます。
 ただいま門出したこの学園は、感光板のように、まったくの白紙であります。本日から、この感光板に、皆さんはさまざまな影を落とし、学園の映像ができあがっていくことでありましょう。見事な映像にするか、凡俗な映像にするか、醜悪な映像にするか−−−それはすべて皆さんの一挙手一投足にかかっているのであります。それを思いますとき、この記念すべき日に、平常、私が考えておりましたことを、五つの提案として、本日の門出へのはなむけとさせていただきたいと思います。
2  日常行動が伝統生む
 第一は「伝統」ということであります。いま申しましたように、この学園は白紙から出発したところでございます。私は、この愛すべき学園に、良き伝統が樹立することを切に願うものでありますが、伝統というものは生まれるべきものであって、意識してつくることのできないものであります。
 いくら理想を高く掲げても、それだけで見事な伝統ができるものではありません・理想を秘めた皆さんの日常の行動のうえに、見事な伝統が生まれ、花咲き、次の世代へと伝えられていくわけであります。この伝統を生む最初の人が、第一期生である皆さん方であるわけであります。この学園らしい、新しい、はつらつたる伝統を生んでいただきたいということを、切に私はお願いしたいのであります。私も、そのためには相談にものりたいと思っております。
3  平和な学園を建設
 第二に「平和」ということであります。いささか大きな問題とお考えになるかもしれませんが、この学園が、まず徹底的に平和の学園であってほしい、ということが私のお願いであります。
 先ほどの中学生代表、また高校生の代表のはなしをうけたまわって、非常に立派な決意と、また思想を持っておられることに私は驚きました。安心もしました。
 いまもって地球上の最大の問題は、平和の危機であります。なにゆえ平和がおびやかされているかといえば、危機の本質を見極めようとしないからであります。すなわち、その本質は人間自身にあるということであります。いくら社会的な原因を追求しても、民族問題や国際経済の不均衡だ等々といってみても、その人類社会を治めるのは人である。つまり、人の心の波動が、さまざまな善悪の社会現象を生んでいくのであります。
 ここに思いをいたすとき、やがては皆さんもこの学園から巣立ち、一人の女性として、立派な社会人として、社会に影響を与えていくことになるでありましょう。そこで、私がいまから皆さんに望むことは”他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない”という信条をつちかっていただきたいということであります。
 することなすことに、この心をもち、実践していったならば、まれにみるうるわしい平和な学園が実現するでありましょう。それを私は信じたい。願いたい。地球は大きく、この学園は、その地球から見るならば、ケシつぶほどのものであるかもしれない。しかし、未来の平和への道を考えるとき、皆さんのこれからの実践は、やがて地球を覆うにたる力をもつはずである、と私は確信したい。
 なにゆえなら、原理は一つであるからであります。皆さんのささやかな実践は、そのまま人類の平和への軌道に通じないわけはないからであります。かくて、平和の真の戦士の卵が、この学園から陸続と育っていっていただきたい。これこそ女性の生涯を崇高にする唯一の信条であることを、私は信じて疑わないからであります。
4  躾は生活リズム
 第三に「躾」ということであります。いまさら、このような問題を持ち出しますと、何かに束縛されて、窮屈なように思うかもしれません。”躾なんて古くさい、いまは自由の時代ではないか”と反発するかもしれませんが、生活が闊達に、円滑に、楽しく回転するためには、そこに一つのリズムがあります。このリズムを体得することを、私は躾と申し上げたいのであります。
 躾という言葉は、元来、ご承知のように和裁の言葉で、美しく縫い上げるための予備工作として、重ねた布が動かないように、あらかじめ仮に躾糸で縫うことであります。本番の人生は、取り返しのきかぬものである。そのために、若いうちから躾けられるということが、生活のリズムを体得するために必要なのであります。
 躾は、理屈で理解させて、のみこませるというのではなく、まず、その行動を実行することから自然になれて、頭ではなく、体自体で体得していく教育法の一種とも申せましょう。たとえば、交通道徳一つ守るにしても、交通規則をいくら暗記しても、どうにもならない。交通の躾を体で実際に反復することによって、はじめて交通のリズムというべき交通道徳を体得するにいたるのであります。
 道を歩くにも、このとおりでありますから、人生全般についても、じつは多くの躾を必要とすることは明らかなのであります。それにもかかわらず、これを単なる束縛であるとしたり、押しつけであるなどと考える風潮が社会の通念になってきてしまっているようですが、これは有効な一つの教育方法を軽視するものだと、私は残念に思っております。
 皆さんは、私が未来をかけた誇りある女性であります。若き女性を淘冶する学園の生徒として、日常、反復して訓練されるであろうさまざまな躾をきらわないことを私は望みます。どうか、皆さんの身に、よい躾糸がかかりますように、そして本番の人生の縫い上げが立派で、見事でありますことを心より願うものであります。
5  教養を身につけよう
 第四には「教養」ということであります。若い皆さんは、好奇心が強い。したが、知識欲も旺盛である。これは、尊重すべきことでありますが、現代は、いつのまにか恐るべき情報化社会となってしまいました。次から次へと、新しい情報のもたらす知識を追いかけているだけでは、それだけで息が切れて、なんの知識も身につかないという、わびしい結果になりやすい。
 教養というものは、身についた知識でなければ、その人格を輝かせていくことはできません。現代は、このような教養を積むことには、まことに不都合な時代となりました。早い話が本屋へ行ってみれば連日、新刊書籍の山である。選ぶだけですでに迷ってしまう。
 そこで、私が申し上げたいのは、特に中学生の皆さんは、すべてにわたる科目を、まず、”こなしていく”努力が必要でありましょう。やがて高学年に進むにつれまして、そのなかから、自分の身に合った知識を求めるようにしたらどうかと思います。そして、得た知識を今度は深く追求していっていただきたいと思うのであります。
 学問の道では、身に合ったものを深く追求するとき、はじめて教養となり、知識を生活の智恵と化することができるのではないか。そしてまた、他の多くの知識をも理解する応用力をもつにいたるでありましょう。私は、皆さんが好奇心のままに、現代のはんらんする情報に、いたずらに流されることがないように、たとえ小さなことでもよいから深く心がけて、真に教養ある奥ゆかしい女性として巣立っていかれますことを望んでやみません。
6  青春の活力確信して
 第五には、皆さんが当面している「青春」というこであります。だれでも、青春時代というものは、長い人生のながもっとも華やかで楽しい時代だと思いがちでありますが、実際はそれほど楽天的になれるものでもなければ、無条件に楽しいというものではないことを、私はよく知っております。
 むしろ、無限の可能性を前にして、非常に不安定で落ち着きがなく、鋭敏な神経がつねに働いているといったほうが、近いかもしれない、否、実情であろうと思います。未来にかけた夢が大きければ大きいほど、心労も大きいのが青春であるといつてよいと思います。そして、この青春時代をいかに送るかによって、後の人生が決定されるという重要さを秘めている。
 ここで私の申し上げたいことは、若い皆さんは傷つきやすく、弱いように見えますが、決してそんなものではないということであります。だれでも、どんな困難をも乗り越えていける活力、生命力が身に具わっているということに自身をもっていただきたいのであります。
 感情の振幅の激しさから、ときには絶望に陥ることもあるかもしれない。しかし皆さんの生命の底には、それをはねとばして克服するだけの力がちゃんと具わっているということを知っていただきたい。負けてはいけない。これが青春というものの本体であると私は叫びたい。それは壮年・老年時代にはないところのもので、青春の特権というものがそこにあるといことを忘れないでいただきたい。人が老いていくと青春時代を懐かしむというのは、まさにこの青春の活力というものを懐古しておるということを知っていただきたい。苦悩や困難を決して避けるようなことをしてはなりません。堂々とそれに挑戦して、立派に克服する皆さんであることを、私は心から期待してやみません。
 ともかく、青春は無限の歓喜とともに、また必ず心労がある、悩みがある。これは表裏一体であることを忘れてはならない。それを知って戦っていくところに輝かしい青春時代がある。また青春時代を送っていくことができる。さっそうたる創価女子中学・高等学校の第一期生の皆さん、どうか本日を”健康”と”良識”と”希望”という、生涯にわたり輝ける生命の財宝を築く第一歩の門出としていってください。心から皆さん方の栄光をお祈り申し上げます。(大拍手)

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