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日蓮大聖人・池田大作

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第21回男子部総会 大願へ久遠の友の連帯強く

1973.2.18 「池田大作講演集」第5巻

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1  本日は学会精神の横した第二十一回男子部総会、まことにおめでとうございます。(拍手)
 この総会の姿を拝見して、私は本当にうれしい。戸田前会長がおられたならば、どんなにか喜ぶことでありましょう。諸君がそれぞれの立場で「青年の年」を第一歩として、広宣流布に再び立ち上がってくだされば、私は世界第一の幸福者と実感するものであります。(大拍手)
 今日は講演というよりも、諸君の基本的人生の姿勢ともいうべきものを、仏法のうえから、少々お話しして、指導にかえさせていただきたい。
 どうか、この清純なる団結と、わが奥底に流れて燃えてやまない久遠の友と友との情熱の連帯によって、社会を凝視し、人生を直視し、若き地涌の心意気と強靱なる実践力を存分に発揮して、この世に広宣流布という人類唯一の作業と建設を、更に展開しぬいていただきたいことを、まず切望してやみません。もって、末法万年の救世主日蓮大聖人より、賛嘆を賜る身になってもらいたいことを、心より念願するものでございます。
 諸君の心身には久遠刧初以来の尊い血脈と使命とがある。どうか勇んで第二章、すなわち、いわゆる本門の、ひのき舞台ともいうべき二十一世紀への妙法寂光の世界を、見事に構築していただきたい。そして、根源的に夢に見てきた世界平和と人類の繁栄とを”忍耐”の二字をもって切り開き、洋の東西を問わず、主義主張を超克しながら、人間謳歌の喜びの声を、この現実の地上に絢爛と満たしきっていただきたいのであります。そこにこそ、皆さんがこの世に生をうけた真実なる人生の勝利があることを、私は信ずるものであります。
 ゆえに、次の五項目を提案申し上げ、成長の糧としていただければ、望外の喜びとするところであります。
2  信心は一切の原点
 第一に「信心」。信心は一切の原点であるということであります。人間すなわち凡夫は、一生涯、愚と賢とのあいだを振動していくものであります。社会もまたそうであるように思えてなりません。
 なればこそ、哲理、宗教、そして思想の正と不正、信心の正か否かがもっとも大切になるのであります。わが心を心王真如の都において、一切の活動を九界における事象、感覚の表に励む人生こそが本物である、と私は確信したい。
 ゆえに常寂光土を目指し、化儀の広宣流布という社会の立体構築が、どうしても必須要件となるのであります。
 ともかく、私がお願いしたいことは、生涯、信心は謙虚にして、本因の姿勢で貫き通していただきたいということであります。唱題に唱題を重ねて、日々、月々、年々に生命力を逞しくしていっていだきたいのであります。
 詮ずるところ、時代は力ある正義と智恵のジェントルマンを要請しております。ともに、世界は男性的な哲理と文明とを模索しているのであります。諸君はいつ、いずこにあろうとも、だれからも信頼される人になっていただきたい。これが私の最高の願いであります。私は皆さんの信心を、全面的に信頼しております。
3  見識は自由人の基本条件
 第二に「見識」。見識は独立せる自由人の基本条件であります。私どもはそれを仏法に求めました。そればかりではありません。見識はこの社会の複雑な機構のなかを生き抜いていく、責任遂行上の負担能力の基礎でもあります。それは、他人の利害とも大きくかかわっていく必然性をもつものであります。
 ことさら堅苦しく、難しく考える必要も有りませんが、未来の時代に生き、未来の社会にこれから進む諸君は、自分なりに堂々とした見識を養っていただきたいのであります。
 信心の見識は深く、職業の見識は独特に、社交の見識は広く、学識は正確に、余技の取得は心豊かにと心得ていくならば、まずまず堅実ではなかろうか、と考えるものであります。自分の個性にマッチした方向と仕方で、存分に見識を伸ばしてください。
 だれが見ても非常識と良識の差は歴然たるものがあります。環境の混乱に引き込まれて埋没し去るか、また環境のみを恨み批判して苦しむか。その反対に環境と前向きに調和して自分を建設していくか。学会健児はのこらず後者であっていただきたい、と私は諸君の見識を祈るものであります。
4  本格派の努力で自体を顕照
 第三に「努力」についてであります。御書に「日蓮はわかきより今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり」とございます。「日蓮は少より今生のいのりなし」−−−栄誉栄達、利害等々ではない。つまり永遠の幸福、永遠不滅の哲理を志向していることになると思いますが、努力の精髄とはまさにかくのごときものである、と私は考える。
 はるかに本果という目標を望みつつ、名字本因に位置して各自の大願に立てば、おのずから勇猛精進の努力はわきでてくるものと思うのであります。私はこれを”本格派の努力”とでも申し上げておきたい。自身の究極の目標に向かって一念億刧の努力を重ねていくこと、これこそ菩提涅槃の母体であると思うからであります。つまり、自分自身の使命感に立脚した努力と目的観が明瞭である努力だけが豊かな価値を生む、と私は思う。
 集団で生きていく人類であるがゆえに、努力にも自転あり、公転ありであります。猪突猛進のみではエネルギーの浪費ともなる場合が多い。もう一つ大事な努力は、社会の管理圧力に負けないで、自己の特徴を輝かせていくということであります。人生、自体顕照の成果なくして、なんの生きがいがあるでありましょうか。在野の闘士諸君の、自利、利他の満足を祈るものであります。
5  人を慈しみ、人に好かれよ
 第四に「人情」についてであります。人情こそ人の人たる資格であります。慈愛も残酷さも、その両極的あらわれであると考えられる。人情は他人のためというより、自分のための人間能力といえる、と私は思う。
 かのカントは定言的命令と称して「他人を手段とせず、唯目的として扱え」また「唯己の心の格率に従え」といっております。この理が示す目的の体こそ妙法の慈悲であり、また、己心の格率の体とは、無作本有虚空不動の大戒以外に究極はないのであります。いっさいの温かい人間性と包容力は、ここからしか生じないのであります。
 人情とは決して柔弱なものではない。私は皆さんに対し「人を慈しみ、人に好かれよ」と申し上げたい。これなくして人間の連帯もなにもありません。永遠に戦争も絶滅することはできない。怨嫉、人種差別、エリート意識、搾取、階級、憎悪等々、これらは、どう理論づけようと、結局は人を慈しめないための所産であり、世界平和と平等互恵への敵であり、増上慢とエゴの産物であります。
 相手を慈しめない人が、なんでその人を理解できようか、それは決してできるものではない。相手に好かれずして、その人への指導力や善意が届くものでもありません。この点を、諸君は深く心すべきである、と申し上げておきたいのであります。
6  共通の目的を堅持して前進
 第五に「目標」について申し上げたい。あなたにはあなたの目標がある。私には私の目標がある。それはそれでよい。しかし、あなたと私の共同目標、いや御本仏日蓮大聖人との共同目標がある。そしてまた人類全員との共同目標がある。あとの二つは自覚の問題であり、強制されて納得できる問題ではありません。
 この大きな共同目標、それは真の自由意思にもとづいたところの各人個々の自受用身の判断権行使上にのみ輝いているのであります。人間相互の純然たる「規則(ルール)承認の約束事(エンゲージメント)」の自主的実践のうえに実現していく崇高なるものであります。
 ゆえに、目標なくして価値ある人生の展開はありません。目的なき流転から一生仏は実現いたしません。目標を展望せずして、男子の仕事は成り立ちません。あくまでも目標あっての使命である、と心得ていただきたい。
 人生の目的は、自発して建てた目標によってのみ決まるものであります。後輩の養成も大事な目標であります。お互い同士の尊重も大事な目標であります。能動の人間革命、新文明の建設は、更に大事な目標であります。
 親愛なる同士諸君、みんな仲良く共通の広宣流布という大目標を堅持して、いかなる批判にも耐え、開き、午前八時の太陽のごとく、雄々しく進んでまいろうではありませんか。(大拍手)
 最後に青年部の諸君に代わって、ご多忙のところわざわざご出席くださいましたご来賓の皆さまに、心から厚く御礼申し上げ、私の話を終わります。(大拍手)

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