Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部夏季講習会 幸福な家庭を築こう

1972.8.20 「池田大作講演集」第4巻

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2  苦悩の友には真心こもる激励
 話は変わるが、女性の苦悩というものは、きわめて深刻であり、大きいといわれる。女性は現実主義者であるために、現実の苦悩の泥沼にはまったら最後、底なし沼のように、落ち込んでいってしまう傾向が強いようだ。
 爾前経のある経文には「所有三千界の男子の諸の煩悩・合集して一人の女人の業障と為る」とある。この経文は法華経以前の経文であるため、女性を視した表現となっているが、社会のあらゆる苦悩というものが、全部、女性に集約されてあらわれる、という意味にとれば、あながち間違っていないと思う。
 この女性の心のなかに幸福の風をそよがせていこう、苦悩の烈風を豊かな香りをもたらす幸福のそよ風に変えていこう、というのが私たちのめざすところであり、私たちの進む道である。
 私はできることなら皆さん一人ひとりとゆっくり相談にものり、一緒に悩んで解決の道を考えてあげたい。しかし、それもできないので、小説「人間革命」の執筆で皆さんと対話しているつもりである。
 どうか幹部の皆さんは、私に代わって一人ひとりの胸のなかに飛び込んで、粘り強く、親身になって指導し、励ましあい、幸福への確かな道を開いてあげてほしい。特に未亡人、働く婦人、問題をかかえて苦しんでいる婦人に対しては、真心をもって激励をしてほしい。
 次に、皆さんにとってもっとも大事な課題である家庭を、どう盤石に築いていくか、ということについて申し上げたい。
 第一にご主人が信心していなかったり、信心が弱いということで悩んでいる人がいるかもしれない。なんとか信心してほしい、なんとかご主人がもっと強盛になってほしい、という願いは、夫の身を思い、家庭の幸福を考えるならば当然の願いであると思う。
 しかし、一家の中心はなんといっても主婦である。どんな荒波が押し寄せようとも、主婦がしっかりしておれば、家庭は微動だもしない。私は少年時代、家が戦災にあって、全焼してしまったことがあったが、母の「また皆でがんばろうね」という一言が、家族全員に新たな勇気を奮い起こさせ、私自身、子供ながらにホッと安心したことを、いまでも鮮明におぼえている。
 したがって信心の面においても、皆さんが純粋な信仰を貫いて、わが家は絶対に盤石だ、主人も子供も必ず守りきって幸せな家庭を建設してみせる、という強い確信に立っていただきたい。また、皆さんがその確信ある信心に立ったときには、たとえ主人が信心していなくても、子供が信心していなくても、一家は盤石である、と申し上げておきたい。
 一念三千の原理からいっても、皆さんの強き信心の一念が反映し、表面的にはどうあれ、ご主人や子供の生命は、本源的には妙法を志向していくのであり、すでに広宣流布を推進する軌道上にあるといってよい。
 ゆえにご主人が信心していないからといっても、卑屈にたってはいけないし、ことあらためて信心のことをいつもいう必要もなければ、まして信心のことでいい争うことは愚かである。
 もちろんご主人に信心させなくともよい、というのではない。このようにいうのは皆さんが賢明な主婦となって、しぜんのうちに信心の偉大さを示していくことが肝要であるということを銘記していただきたいからである。
 富木尼御前御返事の一節に「のはしる事は弓のちから・くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはのちからなり」とある。
 どんなに強力な矢であっても、弓が弱かったり方向性を間違えば、その矢の力は半減してしまう。一方、たとえ少しぐらい弱い矢であったとしても、弓が強力であり正しい方向性を与えることができるならば、矢の力は二倍にも三倍にも発揮される。
 皆さんは一人ひとりが妙法の強靱な弓になって、夫を助け、その力を十分に発揮させていけるような存在になって、見事な家庭を建設していってほしい。
3  よき妻、よき主婦に
 第二に、家庭にあっては、よき妻であり、よき主婦であっていただきたいことである。このことは広宣流布という偉大な事業にとって、また幸福な家庭の建設にとっても、最大の課題となる。なぜなら広宣流布といっても、決して遠いかなたにあるものではない。現実の道を一歩一歩進み、妙法の実践をもって社会に貢献し、周囲の信頼をえていくことが、そのまま広宣流布に通ずる、ということを銘記しなければならない。
 過去においても、偉大な業績を残した女性は、同時によき主婦であったことが多い。その一例として、キュリー夫人がある。このことに関連するが、キュリー夫人の住んでいたところは、フランスのパリ市の近郊、ソーという町であった。夫人の家から二、三分のところに、現在フランス日蓮正宗のパリ本部がある。さきの欧州訪問のさい、私は夫人の家を見てきました。
 さてキュリー夫人は、ラジウムを発見し、科学界に大きく貢献した女性科学者である。彼女は、被圧迫民族であるポーランド人であった。ポーランドという国は、ロシア人にいろいろ虐待された国であり、彼女も学校では、ロシア皇帝に忠誠を誓うことばかり教えられたという。
 しかし、彼女は、心ひそかにいつか祖国ポーランドを宣揚したいと誓った。そして、学問で身を立てることを考え、単身、パリへ出て、パリ(ソルボンヌ)大学で物理学を学んだ。
 まずフランス語を学ぶことから始めなければならない。勉強につぐ勉強の毎日のうえ、極度の貧乏であった。栄養失調で倒れることもしばしばであった。やがて彼女は、同じ物理学を専門とするフランス人のピエール・キュリーという学者と結婚した。この結婚は当時、ポーランドではまれであった国際結婚である。しかし風俗、習慣の違いは、同じ目的に進む二人には問題にならなかったようである。
 彼女は、独身時代には学問に没頭していたため、家事はまったくといってよいほどできなかった。しかし、結婚してからは、人知れず友人から料理の手ほどきをうけたり、料理法の本を何度も読んだり、それを克明にノートしては一つひとつ習得していったという。早朝は市場に行き、夕方は大学の帰りに食料品店に寄るのが日課であった。昼間は専門の科学の研究に全魂をそそいだうえで、なおかつ家事もきちんと行い、更に夜には家計簿もつけた。そしてそれがすむと再び研究に没頭し、夜中の二時、三時になってようやく寝るというのが毎日のスケジュールになっていたようである。こうして、スープ一つつくれなかった女性が、学問の道を歩みつつ、賢明な主婦となっていった。
 子供ができると、夫人の忙しさは倍加した。しかし育児にあたる一方で研究も進め、最初の子供を産んでから三か月以内で重要な論文を見事に完成させるほどの努力家である。
 物理や数学の学士試験、教員選抜試験を最優秀の成績で通過した夫人は、やがて博士論文にとりかかった。研究は放射能に関するものであり、夫のピエール・キュリーも自らの学問を一時中止して、夫人の画期的な研究を応援し、二人で困難な研究に取り組んだ。
 二人の研究は、当時では、まだ重要視されていない分野であった。大学からの援助はまったくといってよいほどない。粗末な物置き小屋を実験室とし、年中湿気に悩まされ、冬は寒さに震えながら二人は黙々と研究を続けていった。
 いかに困難な道であろうとも、夫婦の共同作業で一つのものを創造していくことほど、有意義で楽しいものはない。夫人は、当時の心境をある本で「寒くなると暖炉のそばで飲む一杯の熱いお茶が我々を力づけてくれた。我々は夢見心地で、ただ一つの関心事のなかに生きていた」という内容のことを述べている。
 といっても、二人の生活はただ研究に没頭するだけという余裕のないものではなかった。休暇もとって二人で地方へ自転車旅行に出かけていったという。ささやかではあるが、楽しさも満喫している。そうしたなかで何トン、何十トンもの鉱石の精錬作業を続け、苦心に苦心を重ね、ついに夫人はラジウムを取り出すことに成功している。
 一部の伝記では、ある日偶然に発見された、となっているが、事実はそうではなかったようだ。地道な、なんの派手さもない実験の積み重ねの結果、達成された業績である。しかも、二人はこの功績をなんら世間に誇示しようとするのでもなく、名誉をうけたいとも思わなかった。後年、ノーベル賞を与えられたときも、その賞金の額さえも知らなかったという。
 ラジウムは周知のとおり放射線治療には欠かせない貴重なものである。彼女は後に夫に先立たれ、一時は極度に落胆したものの、やがて自分の発見したラジウムを平和に役立てようと決心する。
 ちょうど第一次世界大戦が起こったが、そのさいのキュリー夫人は自分で放射線治療車をつくって、その治療部長として前線で負傷者の治療にあたった。彼女はまた、死のまぎわまで、後輩の指導、育成に力を尽くした。もちろん子供も立派に育て、長女がノーベル賞を獲得している。そして、もう思い残すことはないと、満足しきった境涯で世を去っている。
 キュリー夫人の例をあげたのは、家庭を守り、子供を育てるということが、女性の人生にとって特に重要なこととして位置づけられることを認識していただきたいがゆえである。
 私たちの人生の道標は仏法哲学の体得であり、広宣流布である。一家の幸福と社会の繁栄のために、その究極の理想に生涯をかけながら、家庭にあってはよき妻、よき主婦として現実の家庭をしっかり築いていく。そうしたひたむきな、しかも余裕のある人生を歩んでいただきたい。(拍手)
4  母親の人格は子供に投影
 第三に、以上の話と関連しますが、よき母となり、わが子を見事に育てきっていただきたい。子供はなんといっても両親、なかんずく母親の影響を強くうけて成長するものであり、子供の教育に占める母親の役割は重要といわなければならない。
 この母親の子におよぼす影響ということで、ネコは本能的にネズミをとるのかどうか、という面白い実験があった。つまり生まれたばかりのネコを二組に分け、一方は、ネズミとともに育て、もう一方はネコだけで生活をさせた。更に何匹かは親がネズミをとるところを見せながら育てた。何週間かたってそれぞれのネコのなかにネズミを入れたところ、ネズミと一緒に育ったネコは約二十匹のうち、ネズミに襲いかかったのは、たった一匹であったという。それに対してネコだけで育ったほうは、約半数がネズミに襲いかかった。しかも、親がネズミをとるとことを見せながら育てたネコは、ほとんど一〇〇パーセント、ネズミに襲いかかったというのである。
 皆さんのお子さんをネコにたとえているのでは決してありませんが、(笑い)この実験から子に与える母の影響については、人間の場合にもそう違わずにあてはまるのではないか、といえると思う。つまり、生まれつきの才能、性質等の違いはあるとしても、その子供の一生を決定するものの大部分は、もっとも身近な母親のふだんの態度、行動、姿勢によって大きく左右される、ということである。
 また学校教育は、おもに知識を教えるのであって、しつけなど人間性そのものに関すること、更に人間としていかに生きるかという問題については、家庭での教育に負うところが、きわめて大きいと考える。
 したがってこれらの問題は、結局、皆さん自身に課せられた重要な問題となる。信仰は人間としての完成をめざすためにあり、信仰は確かなる人間完成への根本である。ゆえに皆さんはどこまでも清らかな、奥底には鋼のような強さを秘めた信心を貫いて、自らの尊く生きる姿勢をもって、お子さんに接していただきたい。
 しかし、だからといって信心さえしていれば子供は立派に育つ、と安易に考えてはならない。高等部、中等部、少年部に入っているからと、それだけで安心するようなことがあってもいけない。
 子供の教育に関心をもつ皆さんが、より一層子供の成長のために力を尽くすことが、第一義の問題となってくるのである。といっても、教育ママにというのではもちろんない。むしろ自由に伸びのびと育ててほしい。
 つまり平凡であっても、ほんとうに母親らしい母親であれば、母親の尊い人生を生きようとする姿勢が、子供に投影されていくものである。
 なお、昼間働いていて思うように子供の面倒をみることができない人がいるかもしれない。その場合も、母の子に対する愛情というものは、決して時間で決まるというものではない。
 ともあれ、教育ママのように大人のエゴを子供に押しつけるのは誤りである。あくまで子供たちの側に立って、子供の友人としてぞんぶんに子供の個性を生かしてあげることが、もっとも大切である。
 一例になるが、十九世紀初頭のドイツの優れた教育者として有名なフレーベルは、村の人たちから“ばかじいさん”と呼ばれながらも、野原で子供とともに歌い、ともにたわむれた。彼は決して高いところから子供を見おろすようなことはしなかった。子供と同じ次元にまでおりて、子供の弱さをわが弱さと知り、子供の未完成をわが未完成とし、子供の旺盛な活動力をわが活動力としていった。有名な「いざや我らが子らに生きようではないか」との名句のなかに、彼の面目躍如たるものがあると思う。
 どうか母親である皆さんは本能としての盲目の愛情に生きるのではなく、そこに信仰の光りをあて、自身を高めながら、心豊かに広々とした世界に、わが子を育てていただきたい。(拍手)
 なおいろいろな事情があるとは思うが、特に男子のお子さんをもつ方は、本人も希望するならば、できれば大学へ進学できるように皆さんも努力していったらと思う。
 最後にいままでの話を総括して、きょう集まった皆さんに一つの提案をしたい。それは“家庭を盤石にする運動”ともいうべき実践を展開していったらどうか、ということである。(大拍手)
 盤石な家庭の建設があってこそ、ご主人もぞんぶんに力を発揮することができるし、子供も未来へスクスクと成長できるのである。皆さんは家事、育児、隣人との付き合いなどで多忙であろうし、職業をもっている人もいよう。だが、学会を支え、広布を推進している皆さんが、もっとも大事な基盤である家庭を、地域の人々から信頼される見事な家庭にしていくことこそ、広布の多大な推進になることを銘記したい。
 皆さんのご自愛とご一家の限りない繁栄を心から祈り、私の話を終わります。(大拍手)

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