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日蓮大聖人・池田大作

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女子部夏季講習会 地についた結婚観を

1972.8.12 「池田大作講演集」第4巻

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2  適齢期に対する考え方
 次に適齢期をどう考えるかについて話してみたい。
 よく女性は二十三、四歳が適齢期といわれております。そのため一般的に年ごろを過ぎてしまうと自分は“いきそびれてしまった”などと考えて、あせる人がいるかもしれない。私もそうした人の気持ちがわからないでもない。
 しかし、これだけはいっておきたい。適齢期は、決して肉体的な年齢だけで決まるものではないということです。つまり、精神的なものとか、その人の立場、境遇、更には宿命の問題等が総合されて、その人なりの適齢期があるということです。
 したがって、適齢期は一定ではない。人によって個人差があって当然でしょう。二十三、四歳が適齢期の人もいるかもしれないし、また二十七、八歳が適している人もいれば、三十歳を越えて、自分にもっともふさわしい幸せな結婚ができる人もいる。
 ゆえに世間でいわれる適齢期を過ぎたからといって、あせる必要は決してない。個々の人格、個性、境遇を無視した統計上の数字に惑わされることは愚かであるといわざるをえません。
 問題は、いくつで結婚するかではなく、いつ結婚するかである。つまり、他の人と比較して早いとか遅いとかではなく、問題は自分自身にとって幸せな結婚ができるかどうかということです。
 若くして結婚したから幸せかというと、いちがいにいえません。幸せになる人もいるし、かえって不幸になる人もいます。逆に遅く結婚したからといっても不幸であるとは決していえない。事実、三十歳を過ぎて結婚し、幸福な家庭を立派に築き上げている人は、数えきれないほど多い。それらの人は、もし若くして結婚したら、不幸になっていたかもしれないとも考えられるのであります。
 適齢期が他の人より遅い人は、そのあいだに、より自己をみがき、福運を積むことができるのですから、より大きな幸福を結婚生活において獲得できるというくらいに考えてほしいのです。
 ともあれ、女子部の皆さんは、一人残らず幸せになっていただきたい。それが皆さんに対する私のただ一つの願いであります。(大拍手)
 やがて実像の幸福に光り輝く家庭を築くために、女子部の時代にこそ豊かな福運を積んでいただきたい、と強調するわけであります。そして周囲の人々から祝福される結婚をしていただきたいのです。
3  信頼できる先輩に相談
 次に具体的なアドバイスになりますが、そうした問題に関し、皆さんがなんでも相談できる先輩をもっていただきたい。女子部の先輩の場合もあろうし、壮年部の人であってもいい。ともかく一人で悶々と悩んでいてはいけない。広布という偉大な目的に向かって進んでいく、信頼できる先輩によく相談するようにしてほしい。
 それが幸せになれる結婚であれば、必ずや先輩もご両親も心から皆さんを応援してくれるはずです。周囲の女子部の人たちも、いろいろと応援していただきたい。陰であたたかく見守ってあげよう、また応援してあげようという気持ちが大事です。
 特に幹部の人はそうした柔軟性が必要と考えます。そのあたたかさ、思いやりは、結局、自分自身に返ってくるものです。
 現代の女性の考え方のなかには、だれになんといわれようともかまわない、自分には自分の生き方があるという一面がある。それも大事であるが、女性の人生にとって重要な岐路となる結婚の場合はそうもいえない。主観的に、自分たちだけで幸せだと思い込むだけではなく、客観的にも人々から祝福され、だれが見ても美しい、ほほえましいといわれるような結婚であってほしいし、そうした結婚であれば、将来ともにまず間違いないと思う。
 ひとりよがりで、自分たちだけが満足し、陶酔してしまっている場合は、往々にして結果として失敗することが多い。したがって、結婚を決めるときには、やはり両親はもちろん、よき先輩の意見を聞くことを勧めたい。
 もちろん最終的には、そして根本的には自分で判断すべき問題ですが、皆さんをよく知っている先輩の意見は、傾聴すべき価値があるものです。
 また、このなかには、信心していない人と結婚してもいいかどうかで、迷っている人がいるかもしれない。信心していない人と結婚する場合も、当然あると思う。しかし、自分自身のためと、未来の家庭の無事のために、退転してしまったり、信心を見失ってはならないことだけを申し上げておきたい。もちろん、信心のことで夫といさかいを起こしてもいいという意味では絶対にない。
 ただ、いかなる環境にも負けない自分自身を築くには、信仰はどうしても必要だということです。そうでなければ環境に流され、逆境にさいしても夫を助け、励ますこともできずに、ついには家庭を破滅し、自己も敗北してしまう。私はそれを心配するのです。
 信心だけは夫のためにも、自身のためにも、家庭のためにも、実像の幸福をめざして貫き通す、この姿勢をはっきりしておけばいいと思うのであります。最初はよいように思えても、あとになって不幸に泣くようになっては、結局なんにもならない。
 あくまでも絶対の幸福を確立する道は信心以外にない。その確信に立って、妙法への信仰を生涯、貫き通す決意だけは、いまの時代にしっかりと固めておいていただきたいのです。
4  大切な内面の美しさ
 次に、幸福な結婚にとって、なによりも大切なことは、なんといっても生命の内面から発する光、人間としての輝きであり、それをいまの青春時代につちかっておくことである。
 女性は男性をみる目がないとよくいわれる。とともに、男性はまた、女性をみる目がないといわれております。それは私も事実であると思う。そこに人生の味もあるし、またそのことがさまざまな人生の悲劇を生む原因ともなっている。
 しかし、男性は決して女性の表面だけをみているのではない。容姿のみにとらわれているように思えるかもしれないが、実際は違います。真面目に結婚の相手として女性をみるときには、外形、外観よりも、むしろ気立てのよさ、やさしさ、思いやり、誠実さといった、その人の内面を重視している。ところで、そうした内面の美しさは、まさしく、真実の信仰を基盤にしてこそ、もっとも鮮やかにみがきぬかれると強調しておきたい。
 皆さんが今回の講習会で観心本尊抄をとおして学んだように「観心」とは自分自身をありのままにみつめ、そこから人間としての完成に向かって、生命の奥底から変革していくことである。その観心の御本尊を、私どもはすでに持っている。あとは、どうか、信心だけはあくまでも純粋に励み、教学を身につけることはもちろん、自己をみがくための勉強を不断にしていただきたい。そこにこそ「無上宝聚不求自得」で、おのずから最高の宝、すなわち、かぐわしい緑したたる人間の輝きがつちかわれてくるのであります。
 更に、御書にもあるように、男性の力は、妻である女性によって、大きく影響をうけるものです。たとえば一〇〇の力をもっている男性でも、妻が嫉妬深く、見栄っぱりで、愚かというように、妻の力がゼロであれば、その男性の力は五〇か六〇ぐらいしか発揮できなくなってしまう。
 逆に、五〇または六〇しか男性の力がなくとも、女性が聡明であり、一〇〇の力があれば、男性は八〇にも九〇にも一〇〇にも力を発揮していくことができる。このことはよく戸田先生も話されていた。
 いまの女子部の時代には、自己の人間としての成長がもっとも大切であると申し上げておきます。そのためにも一生崩れぬ幸福の源泉として、どうしても正しい信仰が必要となることを重ねて強調しておきたい。
5  「大白蓮華」読む運動を展開
 最後に、話は変わりますが、ここで一つの提案をしたい。皆さんは昭和四十九年に再び講習会につどうわけですが、それまでの向こう二年間「大白華」をしっかり読み、マスターしていったらどうかと提案したいが、いかがでしょうか。(拍手)
 現在まで「大白華」には「仏教対話」を掲載してまいりましたが、一時休載して、かわって今秋から、てい談「生命論」を掲載していく予定です。今回の講習会でも観心本尊抄を教材に仏法の生命哲学を学びましたが、今後はますます生命論が重要になってくる。
 思想界も哲学界も、生命の問題をめぐって試行錯誤を繰り返している。生命とはいかなるものか、その解明は人類の最大の課題であるといっていい。私たちはすでに二十一世紀は、“生命の世紀”であると達観し、そうならなければならないと叫んでまいりました。時代、そして社会も私たちの主張した方向に動いているし、今後も創価学会は更に深く、そして静かなる生命哲学運動を展開していかなければならない使命を担っている。
 その一つの楔、先駆けとして、生命論の対話を行って仏教の真髄である生命論を後世に残していきたい。何十年先、また何百年先に、本格的な哲学究明者がこれをひもとき、そこから多くの示唆を得、生命に関する人類への指標ともなっていくべきものにしたいと思う。
 そこでは、生命に関してさまざまな角度から問題を提起し、それをうけて仏法の立場からどう考え、洞察していくかを論じていきたい。
 具体的なテーマについては、たとえば桜など植物のつぎ木をしたり、心臓や脳の移植などを行った場合、それは別個の生命体になってしまうのか、個性はどうなるのか。また植物と動物とでは生命はどのように違うのか。宇宙にはたくさんの天体がある。それらの無数の星には人間のような知的な生物が存在するのかどうか。そして人間の死後の問題、死んだあとはどういう状態で、どういう過程で、どういう状況のもとにまた生まれてくるのか。同じ“死”にしても殺された場合などはどう違うのか、その間の時間の長短はなど、さまざまな角度から論じていきたい。
 そこで、そのてい談「生命論」を含めて、向こう二年間「大白華」を毎号毎号、すみからすみまで確実に読んでいく運動を展開していったらどうかと、提案したいのです。(大拍手)「大白華」の内容については全部知っているといえるように、また皆さんがた女子部の人たちに聞けばすべてわかる、このようにいわれるようになってほしい。
 一つのものを完全にマスターすることはすべてに通じていきます。「大白華」をとおして最高の生命哲学、仏法を学んでいただきたい。これを二年間持続していけば、それは“人間の最高学府”を卒業したといえるだろう。また思想教育、人間教育、哲学教育、情操教育、社会教育に通じていくと思う。自分自身のために、また広布の、人間革命の懐かしい思い出をつくるためにも、以上のことを提案するわけです。(大拍手)このことをとおして、どうか自分自身の血肉とし、信仰を深めていく源泉にしていただきたい。(拍手)

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