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日蓮大聖人・池田大作

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真実を描く難しさ  

「池田大作講演集」第3巻

前後
1  心内が揺れ動いた。近頃、上梓された小説「人間革命」の第六巻を再読しながら、七年前を思い出したのである。
 この長い伝記小説の執筆にあたって、一番悩んだことは、戸田先生の存在を、どう扱っていけばよいか、ということであった。力量のない私は、独り苦しんだ。
 過去の人々を追憶する伝記は、毎年夥しい数にのぼっている。事実を手際よく記述して一巻をなしているものもあるし、その人の生涯の主だった転機をつかんで、デッサン風にまとめているものもある。あるいはまた、虚実をとりまぜて面白お力しく、その生涯を彩って書き上げたものもある。
 先生の生涯をどのように描いてもよいわけだが――この特異な、独創的な人物をいざ書かねばならぬとなると、これまでの数多い伝記小説を真似していたのでは、先生を通俗化し、月並な指導者にしてしまう危惧が十分あった。
 先生の生涯というものは、世間に理解されないままになっている部分があまりにも多過ぎる。むしろ、誤解に包まれたままになっている、といった方が適切であろう。それは、途方に暮れるような厚さがあるからだといってもよい。執筆に先立つこの壁の厚さの意識は、胸臆を刻む思いであった。あとはこれへの挑戦。勇気を湧かすだけである。
2  伝記文学というのは、その人の出生から始まり、臨終にいたるまでの生涯の事実を積み重ねて、一人の人物がこの世に生きた足跡を、読者に強く印象づけることが賢明であるかも知れない。
 しかし、戸田先生の生涯の事実を調べ、いくらそれを積み重ねたとしても、果たして戸田城聖という人物が鮮明に浮かぶものかどうか、私には疑問に思えたのだ。生涯の事実そのものが誤解に包まれているとしたら、単なる事実の記述は、やはり誤解のままで終わるにきまっているからである。
 私は、戸田先生の真実の一端を知つているものの一人として、事実の背後に横たわる真実を、いかに表現すべきかを模索した。戸田先生の真実が生むスタイルの設定、これが人知れぬ大問題であったのである。
 戸田先生の生涯をつぶさに辿っていくと、先生の運命というものは、根本のところで日本社会の運命を左右するところにあったことを知った。この二つの運命は、表面ははなはだ離れているように見えるが、実は深いかかわりあいをもち、時に激突し、時に反発し、時に交流し、流れの方向に影響を与えつつ、同じ運命の大河の中にあることを知らねばならなかった。
 してみると、戸田城聖の人間関係は、日本社会の運命を背景とした時、初めて鮮明に蘇ると悟ったのである。
 故に、出生から書き始めることをやめて、彼の生涯の最大の転機である出獄を、敗戦の色濃い、日本の運命の背景をもとに書き始めたのである。
3  中国の″万葉の昇華”の文化祭も、九州の″火の国賛歌”の文化祭も成功裏に終了した。まさしく、人間の祭典であった。私は、民衆文化の夜明けであると信じたい。牧口先生や戸田先生がおられたら、どんなにか喜ばれたであろう、と思わずにはいられなかった。再び学会つ子は、あらゆる広野で戦い、勝ち進んでいるのである。
  師は妙と 法は無限に 花薫る

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