Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

発展示す四国文化  

「池田大作講演集」第3巻

前後
1  「人間革命」第七巻の原稿も、少しずつ用意ができる。いよいよ戸田城聖が、学会の高揚期に向かって、勇然として指揮を取り始めた。伸一青年も、凛々しく第一線に進もうとしている。多くの幹部も、広宣流布の出陣に、意気漲っている。皆、生き生きとしている。、逞しい、誇りある使命感に燃えている。胸が躍る。
 私は書きながら思った。″生涯、求道”を座右の銘とした頃の、再確認を厳しくせねばと……。
2  昭和三十年一月二十二日。戸田城聖は、初めての四国指導のため高知に飛んでいる。これが、四国の広布の先駆の日。戸田城聖の征くところ、陰には必ず伸一青年がいた。
 その朝、大阪の伊空港より八時四十分発の飛行機に乗る。一面、野原のような高知飛行場に着陸したのは、午前九時五十五分。総勢七名。戦時中、海軍の飛行基地であったようだ。特に、当時の常在寺住職、細井尊
 師(現猊下)がご一緒であった。僧俗一致の前進なくんば、宗門の隆昌も、慈折広布も決してありえないとの、尊い姿と拝する。
3  午後一時三十分より、土佐女子高校において高知地区総会。集まる数、数百名であった。先生の四国での第一声は、ルソーの民約論を思想とした板垣退助、中江兆民の政治革命の実態と新しい時代の平和革命は、日蓮大聖人の仏法による思想と実践による以外に、その方途は最早ないと強調。約三十分ほどの講演であったと思う。
 伸一青年も、渉外部長として、高知の広宣流布は、仲良く皆さんの手で実現してほしいと話す。S園にて休息。夜七時より四国全土の御僧侶と、学会の幹部と懇談。当時の四国の学会員は、約八百世帯。現在は、十数万世帯。戸田城聖一行は、その夜、十一時三十分発の夜行にて、高知駅を出発、大阪に向かう。関西の総会のためである。師も多忙であり、弟子も常に多忙であった。
 わが四国は着実に発展した。盤石である。その証明の展開として、昨日(二月六、七日)の文化祭は、実に美事であった。居並ぶ多くの来賓(知事をはじめ百数十名)も、惜しみなく拍手を送っていた。
4  いよいよ社会と融合した平和運動、文化運動が定着した証左でもあろう。私も本当に感動した。只々、ご苦労さまと申し上げたい。
 ある著名なジャーナリストは、学会にはいかなる非難があっても、決して、やましいものがないから、あれだけの純粋美の躍動が思いきりできるのであろうと、もらしていたと聞く。
 また、ある来賓は文化祭を見て、学会に対する偏見を恥ずかしく思ったという。真実を理解され嬉しい。
5  今、私は高松の四国文化会館の四階で、原稿を書いている。多くの男女青年が、疲れも、眠さも吹き払い、おそくまで一階、二階、三階で、文化祭の片付けをしているようだ。学会の尊い姿。四国の友よ、再びご苦労さまと、熱援を送ろう。四国は、未来の広布の堅塁に育っていくことと信ずる。
6  東京では味わえない中華ソバのチャルメラが、私の部屋に聞こえてくる。静寂。ここに昔がある。夜は更けて、十二時に近い。
  睛ればれと 四国の友の 黄金舞

1
1