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日蓮大聖人・池田大作

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陰の支え”校閲マン”  

「池田大作講演集」第3巻

前後
1  聖教新聞の、現在の編集長はM君。同志社大出身で、若き名編集長と、記者仲間で人気が高い。彼が語ったことを思い出す。
 それは、小説「人間革命」の連載にあたって、決して忘れられぬ、陰の存在は校閲マン。その中核がK君である、と。K君は昭和三十四年に、一流紙S社より入社したという。実直にして、強信の学会つ子育ち。以来、十二年――校閲学校の校長との愛称を持つ。この学校を通らなければ、一人前の編集記者にはなれない。幾人もの編集長も育て、送り出している。大正十四年生まれというから、当年四十五歳であろう。まさに、男の働き盛り。今では、幾分、頭も薄くなりかけたようだが、活字との戦いをしている時の、その気迫や技術は、年々冴えわたっているようだ。校閲一筋に生きぬいている、尊い、旺盛なる姿は、厳粛にさえ思われる。
 第一巻の連載から、第六巻に至るまで、彼が、眼光鋭く、一字一句の誤りをも見逃すまいと、頑張ってくれたと聞く。感謝に耐えない。恐らく、この”随筆”も、K君の眼を通っているにちがいない。重ねて頭を垂れる。
 私の、小説「人間革命」には、読者の要望もあり、ルビ(ふりがな)を、沢山つけるようにしている。普通の活字は、左右二・八㍉、天地二・二㍉の大きさ。ルビの活字は、もっと小さい。この小さな、小さな活字と、彼は、一日中戦闘。右手に赤鉛筆。左手にルーペ(拡大鏡)。
 そして、遂に第六巻では、活字はもとより、一つの句読点、一つのルビも含めて、誤植なしという、金字塔を打ち建ててくれた。私の拙文の方が、申し訳ない思いの昨今である。
 彼は、よくいう。「活字が笑っている」と。誤植の活字が、校閲マンの眼に映る様を、端的に表現した指導であろう。彼ほどのベテランにもなれば、笑っている活字の発見も、さぞ早いに違いない。いまだ稚拙な、「人間革命」の新聞連載の、陰のこうした涙ぐましい努力の結晶を聞くたびに、この支援者を、私は生涯忘れることができない。
 校閲マンは、紙面を守る最後の砦。取材記者の華々しさは、この舞台には全くない。ただ、活字との対面。否、活字との戦い。それも、輪転機の轟音の響く中である。これ以上に地味な仕事もあるまい。しかし、この校閲マンがいるからこそ、新聞も、連載も、他紙に堂々と伍する品格を、持つことができるわけである。いわば、最後の砦を守る、不撓不屈のナイトである。医師であり、科学者でもある。よく本の奥書に、著者、発行者、発行所が認めてあるが、校閲者の名前も同列したらと、私は、ふと思ったりした。
2  一昨日は、中部の文化祭。名古屋城近くの愛知県体育館が開催場所であった。光と、音と、色彩の民衆文化に、地元のある新聞記者は”美の法律”なりと絶讚。特に、創作劇”信長は行く”は圧巻。本当によかった。勝利、敗北の谷間を、常に攀じ登る、中部の勇気と、団結を見て、本当に嬉しかった。
  辛くとも 冬を忍びて 栄光道
  春は来ぬ 愛知の友の 人間舞

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