Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ペンネームの由来  

「池田大作講演集」第3巻

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1  妙悟空。これは、戸田先生のペンネーム。仏法東漸の玄奘三条(西遊記)で有名な、孫悟空をもじったものといえる。この支那の物語の主人公の、”孫”とは、小さいという意味。
 仏法に説く、”空”を孫(小さく、わずか)に悟った、ということらしい。すると、妙悟空は、牢獄の中で仏法の真髄である、”妙”ともいうべき、空観を、悟達した意義、といえまいか。
 妙悟空が、新聞連載を開始したのは、昭和二十六年四月二十日である。月三回。やがて四回。その回数、百二十回。昭和二十九年八月まで続いた。単行本となったのは、昭和三十二年七月三日。約十万冊。当時のベストセラーである。
 強い、近視眼での執筆は、困難な作業であったに違いない。度の強い眼鏡を、はめたり、はずしたり。よく、列車の中でも書いておられた。まことに、書きづらそうであった。最初の原稿を、「出来たよ、これ見給え」と、見せて戴いたのは、私である。光栄。
 ともあれ、妙悟空は、その孤高の師、牧口常三郎を、主軸として宣揚し、ご自身は、”厳さん”と呼んでいた。多分に、小説風なところを見せている。しかし、急所は、鋭く構成され、正確である。厳しき体験が横溢。
 よく、先生はいわれた。「小説を書く時は、必ず、時代背景と、思想とを忘れるな。この両者の欠けているものは、浅い書だ」と。
 法悟空。これは、私のペンネーム。理由は簡単。仏法では、妙は仏界。法は九界。妙は本質。法は現象。妙は法性(悟り)、法は無明(迷い)。その原理からいえば、当然、妙は師。法は弟子となる。私の師は、戸田城聖である。故に、弟子の私が、法悟空と命名。軽率であれば、お詫びするまで。ご存知の通り、単純な私には、深い理由などはない。
 今、法悟空は、妙悟空を書き続けている。もっと叱られ、もっと教えを、乞うべきであったと、胸を痛めながら、報恩のため、頭張っている。ある時は″文は、意を尽くさず”と、なきながら。ある時は、不肖の弟子と、申し訳なく、泣きながら。ある時は、師に誓いながら――。惑い多き、法悟空の心境である。
 法悟空は、今夜も、資料を、少しずつ見ながら、思索に入った。
 妻がかけてくれた、宮城道雄の″さくら変奏曲”が、静かに、室を流れている。
  妙と法 師弟の不二に 恐れなし
 いつぞやの日の一句である。

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