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日蓮大聖人・池田大作

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恩師の故郷・厚田村  

「池田大作講演集」第3巻

前後
1  北海道は、戸田先生の故郷。当然のことながら、この地を、こよなく愛しておられた。少年時代を語るときは、談笑風発。懐かしいのか。いつしか、当時の先生の振る舞いは、姿は、と描かれるのであった。
 昭和二十八年八月二十一日。出獄以来、初めて先生は、郷里厚田村に帰られた。父上の法要のためである。
 私が、初めて千歳空港に降りたのは、昭和二十九年八月十日。先生のお供である。ただ二人しての、旅であった。恩師は五十四歳。弟子は二十六歳。機上では、禁酒のため、苦しいな、とニツコリ。考古学のことを、論じていたのを記憶している。
 牧口先生も、北海道に縁が深い。札幌師範のご出身。私の父も、事業隆盛の時、広大な土地を、北海道に持っていたようだ。いくたびか、小学生の頃、馬上の視察の話を聞かされていた。雄大な広野。詩情豊かな、ゆかり深い北海の地は、私も大好きだ。
 厚田村を、私が訪問したのは、昭和二十九年八月中旬。これが初めてである。札幌のM旅館を正午近くに出発。先生と、奥さまと、私が同乗。ハイヤーを一路、故郷に飛ばす。約三時間。現在では、道路も整備され、もっと速いだろう。一直線の山道を疾駆。かつての動脈、石狩川を渡る。更に走って、小漁村が到着地。宿舎のT旅館は、先生の親戚とのこと。早ばやと、荷物を置き、一人、村のあちこちを訪ね、厚田港の岬に立つ。一泊。夜、石狩なべも、ご馳走になった。
 この頃より、私は「人間革命」の構想を、少しずつ、考えざるを得なくなっていた。恩師の故郷へ、誰よりも早く、連れてきてた、理由をみしめながら。
2  帰京して、間もなく作った、拙い詩である。
  北海凍る 厚田村
  吹雪果てなく 貧しくも
  海辺に銀の 家ありき
  これぞ栄ある わが古城
  
  春夏詩情の 厚田川
  鰊の波は 日本海
  松前藩主の 拓けしか
  断崖屏風と 漁村庭
  
  少年動かず 月明かり
  伝記と歴史の 書を読みて
  紅顔可憐に 涙あり
  正義の心の 鼓動楽
  
  痛まし針の 白髪に
  不正に勝てと アツシ織る
  母の祈りにも 鳳雛も
  虹を求めて 天子舞
  
  暖炉に語りし 父もまた
  綱をつくろい 笑顔皺
  権威の風に 丈夫は
  征けと一言 父子の譜
  
  厚田の故郷 忘れじと
  北風つつみて 美少年
  無名の地より 世のために
  長途の旅や 馬上行
 帰りの車中、先生は――北海道は、未来の新天地だ。多くの友を作ろう。青年は、この広野の中を、まっしぐらに進むのだ。雪の日も、嵐の日も。舞台を大きくもつことだ。正義のため、不幸の人々のために。青年期のとは、やがて、悔いなき財宝に変わろう、と。
3  今年の二月二十五、六、七日は、札幌で″雪の文化祭”。昨年は、体調悪く、一度も、指導に行けなかった。恐縮。自己の意気地なさよ。本年は、元気で出席したい。初の祭典の、大成功を祈るのみ。友の健在を願うのみ。
  雪祭り 庶民の文化の 凱歌かな

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