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日蓮大聖人・池田大作

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第136回3月度本部部会 大言論運動の展開を

1971.3.22 「池田大作講演集」第3巻

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1  最初にご報告しておきたいことは、正本堂建立記念のフクサのことです。すでに聖教新聞でも発表されているとおり、現在、順調に制作が進んでおり、完成すれば正本堂建立の全御供養者に贈呈することになります。
 フクサには「饒益」「正本堂建立記念昭和四十七年十月十二日日達(花押)」との日達上人猊下の揮毫をいただいており、完成したものは、まず沖縄や海外の方々から優先的に配布するようにしていきたい。国内については、今年の秋ごろから配布できるよう準備を進めているところであります。
 御供養した人のなかには、残念ながらすでに退転した人がいるかもしれないが、そうした方々にも、皆さん方のご協力を願い、お渡ししていただきたいと思っております。
 「おかげさまで正本堂も着々と建立の運びになっています。完成した時には、ぜひともご覧になってください」との趣旨を申し述べ、丁重に礼を尽くしていただければ幸甚です。
2  現代の万葉集の結集
 来年はご承知のとおり、正本堂落慶の年である。末法万年の基礎がこの正本堂建立により完璧になるわけであり、「完成の年」ともいえましょう。
 その意義にちなみ“大言動運動”ともいうべき運動を起こし、皆さんがた一人ひとりの体験、あるいは家庭、ブロックなどの真実の戦いの歴史をつづり、後世に残していってはどうかと思いますが、いかがでしょうか。(大拍手)
 テーマ、原稿量とも自分の自由でけっこうです。決して重荷に感ずる必要はない。たとえば、“折伏の歴史”でも“わが法戦の郷土史”でもけっこうであるし、“わが家の信仰の歴史”“わが信仰記”“わが文化祭”“わが華道展”“私の理想”“私の講習会記”等々、あらゆる角度から論ずることができると思う。広宣流布につながるあらゆる歴史の記録を、細微にわたって、後世の歴史家と人類のためにに書き残しておきたいのであります。
 これらを、かりに各大ブロックで一冊の本にまとめても、一度に数万冊の広宣流布の膨大な記録が完成するわけである。後世の歴史家がひもとけば必ずや驚嘆するであろう、偉大な実像の記録である。
 この勇敢な活躍、正義の敢闘、栄光の法戦の記録を残すために、やがて将来は仮称「不二図書館」または「広布図書館」ともいうべき意義ある図書館を建設し、収めておきたいというのが、私の現在の心境であります。
 春の夜、または秋の夜、原稿用紙に自分自身の法戦の記録や真実の人生の記録をしたためている老人の姿――これほど崇高で尊いものはなかろう。壮年、婦人、青年の方々にとっては、かけがえのない貴重な勉強にもなるであろう。ともあれ、これらの尊い記録をつづる姿は、まさしく一幅の名画を見るような思いが私にはいたします。
 また、数百万人にものぼる多数の民衆が、体験、生きがい論等々に等しく筆をとったことは、世界に例を聞かない。民衆の最大の英知の発露、結晶であり、世界で初の真の大文化運動であると、私は主張したい。大御本尊に照らされた、これほど尊い言論運動、文化運動はないといっても過言ではないでしょう。
 更に、もう一面からこれを論ずるならば“現代の万葉集”ともいうべき、民衆文化の集大成の記録である。ごぞんじのとおり、千数百年前の万葉集は現代に立派に生きている。当時の“読み人知らず”すなわち無名の庶民が詩って残したものが現代に生き、歴史の潮流、真相を物語ってくれる。それと同じように、私どもがこれから残そうとする記録は、末法万年をめざしての、二十世紀の偉大なる“万葉集”の結集に通ずると確信したい。(大拍手)
 これまた、邪悪な権力に対する見事なる折伏戦であるともつけ加えておきたいのです。
 御書があるゆえに、今日の大聖人の仏法の大発展がある。大聖人はたび重なる法難のなかで、末法の衆生のために御書を残されたのである。私ども弟子は、大聖人の仏法証明のために、一人ひとりの真実の人間革命の歴史、信心と団結で戦いぬいた生活革命の勝利、汗と涙の崇高なる庶民の金文字を、つづり残してまいろうではありませんか。(大拍手)
 私は皆さん方の代表として、より一層社会に根を張り、社会との接点をつくるため、言論戦の先駆を切ってきたつもりです。これからもその決意は変わらないが、幹部諸兄が私を乗り越えて見事な戦いができるよう、更に一歩も二歩も成長、前進されんことを期待してやみません。
 今後の言論戦の第一歩としては、恩師戸田前会長の命日である四月二日より、小説「人間革命」第七巻の連載を、聖教新聞に開始する予定です。全力をあげて執筆にあたる決心です。あとは、どうか皆さん方が各部署でしっかりと学会を守り、見事な法戦を展開していっていただきたいのです。
 また、これまで「大阪新聞」に半年間にわたって随想を書いてきましたが、それも三月で終わり、そのあとは「北海タイムス」に随想を寄せていく予定です。地方の方々を激励してあげたいというのが私の気持ちであり、皆さん方もよろしく応援してほしいと思います。
3  完璧な個人の構築へ
 一人の人間の構築、すなわち一人の人間の革命、完成ということがもっとも大切な時代に入った。社会的にも、家庭的にも立派な、信心強盛な学会員がいることは、千人、万人に通ずるのです。
 たとえば、一本のサクラの大木があれば、万人が見にきて楽しむことができる。また、完全に整備された飛行機は、何百人、何千人もの人を乗せることができる。逆に、整備されてない飛行機なら、墜落した場合、多くの死傷者を出して迷惑をかけてしまう。
 と同じように、一人ひとりの会員が立派になっていけば、十人、二十人、三十人としぜんに輪を広げていけるのである。このように一人ひとりが完璧な構築をしていけば、それが何百人、何千人に通ずるということを決して忘れてはなりません。
 反対に、不完全で、社会に迷惑をかける人が一人でもいれば、学会全体、社会全体に悪影響をおよぼしてしまう。いまはこれほど厳しい時代にあり、円熟した段階に入っているということを忘れてはなりません。
 この連帯の輪の方程式を銘記して、悠々と、個人としても、後輩に対しても、また家庭、事業に対しても実践していく。広野のごとく広がっていく方程式を自覚して、この総仕上げを深く静かに行っていっていただきたいと念願いたします。
4  社会の人たちとさらに交流を
 友人をつくっていくことは、ひじょうに大切な活動である。私たちはこの社会のなかで決して一人では生きられない。したがって、一人ひとりが親戚、友人、また仕事上の関係者等で信仰をたもっていない人と、完全に友だちになり、お互いに理解者になり、いろいろな点で交流していくことは、ますます大事になってくるでしょう。
 また、皆さんが功徳をうけ、社会の人たちから更に尊敬され、慕われるようになっていくことが、広布の水かさを増していく大きな戦いになっていくのです。
 もう土台は完璧にできている。あとは、一人ひとりがどう応用し、どう社会に進出していくかにかかっている。それができて、はじめて次の段階にいくということを知ってほしいと思います。
5  本部勤行会の実施
 次に本部勤行会についてご相談申し上げたい。広布勤行会は毎月、着実に充実した行事として実施されているが、それとは違った次元で、本部勤行会も必要ではないかということを提案したい。
 まず信濃町の創価文化会館等を利用して東京、関東、神奈川、山梨の地域の人たちから参加するようになると思う。そのさい、昼は婦人部、夜と土・日曜日は、男女青年部、壮年部等、皆さん方の活動状況等をよく考慮しながら進めていきたい。参加者は一般会員を対象として、七、八百人ぐらいになる予定です。
 学会員でありながら、学会本部を知らない人がいれば、私はわびしいと思う。会員として“ああ、本部へ一度行ってみたいな”“本部で遊んでみたいな”“本部で皆と勤行したいな”というぐらいに、本部になじみをもっていく。だれもが本部をあくまでも“懐かしく、自分の一つの依処としていきたい”――というようになっていく。そういう意味からも“我々の本部だ”という気持ちできていただきたいのです。
 本部勤行会では、三座の勤行をきちんとして、題目を思うぞんぶん唱える。そのあと、担当の幹部が激励の話をする。それで、また、元気で第一線に進んでいく。ちょっとした心づかいで、信心が大きく伸びる場合があるが、そのきっかけにしていっていただきたい。このように提案したいのですが、どうでしょうか。(大拍手)
 それでは、委員会をつくって、さっそく実施の方向で体制を整えていきたいと思います。
6  学会は庶民の味方
 いうまでもないが、学会は庶民の味方である。この伝統は、創立以来、今日まで魂として守り続けてきた。また、未来もそうでなくてはならない。一部の選ばれた人たちの味方ではなく、あくまでも、不幸な人の味方です。名もない庶民を支えるのが学会であり、仏法であることを改めて確認しておきたい。
 学会を今日まで築いてきたのは、悪口雑言のなか、忍耐強く、それこそ汗と涙と足で戦いぬいてくださった皆さん方の力であり、名もない庶民の力である。こんどはその学会っ子たちに報いる創価学会でなければならない。それが創価学会の精神であり、私の気持ちであります。
 草創期に、折伏、地道な家庭指導等を実践して、今日の学会建設の原動力となった方々は、いま、どのような立場、境遇にあろうとも、冥の照寛を確信していただきたい。どうか、いかなる時代がきても、一切を信心根幹に見定め、自己の金剛不壊の黄金の人生を満喫しきっていくと確信して、戦っていっていただきたい。
7  中堅の幹部を包容し守ろう
 特に幹部は、大ブロック長、ブロック長など中堅の幹部を大切にしていただきたい。中堅幹部には、上からはさまざまな伝達、指示がある。後輩の方は思うように動いてくれない。ちょうど、サンドイッチの中身のような存在である。(笑い)そうした中堅幹部の方々を、心から理解し、相談に応じ、安心して活動できるように包容し、守っていくことを忘れてはならない。
 かりにも、何々君などと自分の部下をアゴで使うように扱ってはならないし、まただれにもそう呼べる資格はない。心から尊敬する、大事にする。そういう接し方をしていっていただきたいと念願するものです。
 広宣流布の活動も、ひじょうに多様化を極めてきている。社会もまた、いちだんと複雑多岐になり、激動を重ねている。しかし、学会は御書にも「但南無妙法蓮華経」とあるとおり、堂々とわが道を進もう。私たちは右にも左にも偏せず、高次元の末法万年という全人類の、広宣流布のための礎を築き、道をつくっていくのだ。信心と団結で、この尊い和合僧を開き、守りぬいていきましょう。
 個人にあっても、企業にあっても、これからの激動の時代は安穏と過ごしてはおれないだろう。しょせんは信仰をたもった者が、最後の勝利者となることを強調しておきたい。これこそ実像の勝利です。長い坂、春の坂、栄光の坂を、冥益を絶対に確信して着実に前進していただきたいのです。
 光日房御書に「法華経を信ずる人はかまへて・かまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし、かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」との一節がある。
 さまざまな観点から拝せる御文であるが、内容の解釈をするまでもなく、戦いに臨んでの厳しい心構えを指摘されたものです。いかなる姿、形をしていようと、相手が悪知識であるかぎり、その本性を見失って縁に紛動されては、真実の人間革命、広宣流布の前進もありえない。用心も絶対に怠ってはならない。目的を忘れず、鋭い批判の姿勢を堅持して進むよう、指導された御金言といえましょう。
8  学会の前進は御金言どおり
 また松野殿後家尼御前御返事には、次のような御文があります。
 「但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間・昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱うる事は一人なり、念仏申す人は千万なり、予は無縁の者なり念仏の方人は有縁なり高貴なり、然れども師子の声には一切の獣・声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし、法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども南無妙法蓮華経の声・出来しては師子と犬と日輪と星との光くらべのごとし、たとえば鷹と雉との・ひとしからざるがごとし、故に四衆とりどりにそねみ上下同くにくむ讒人国に充満して奸人土に多し故に劣を取りて勝をにくむ、たとえば犬は勝れたり師子をば劣れり星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し・然る間邪見の悪名世上に流布し・ややもすれば讒訴し或は罵詈せられ或は刀杖の難をかふる或は度度流罪にあたる、五の巻の経文にすこしもたがはず、さればなむだ左右の眼にうかび悦び一身にあまれり」と。
 ここに述べられているように、不幸な人生を歩む人、邪悪な行動をする人はじつに多勢であり、正法正義を唱えられたのは、大聖人お一人であられた。しかも、大聖人は社会的にも認められておらず、権力となんらの結びつきももっておられなかった。それに対し「念仏の方人は有縁なり、高貴なり」とあるとおり、妙法の敵対勢力と結託し、世間からも尊敬される存在であったというのです。
 しかし、ひとたび使命にめざめた妙法の実践者がいるかぎり「師子と犬」「日輪と星」「鷹と雉」のごとく、その境涯、真実の力には歴然とした差があるとの御金言です。
 ゆえに「四衆とりどりにそねみ、上下同くにくむ」云云――まさしく学会の前進は御書どおりであることを確認し、「さればなむだ左右の眼にうかび、悦び一身にあまれり」とあるように、信心のことに関しては、いかなる苦しみをも恐れず、喜々として進んでいっていただきたい。
 最後に、四月二十八日は立宗の日である。この意義ある立宗の月がおのおのにとっても、“自分自身の立宗”を宣言した一歩前進、成長の月であられんことを念願し、私の話を終わります。

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