Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第27回関西幹部会 生命の世紀の先駆を

1970.9.1 「池田大作講演集」第3巻

前後
5  掲げよ生命の復権
 現在、社会ではさまざまな問題が起こっている。すでに今年の交通事故死傷者数は一万人をはるかに超え、このままでいくと新記録になるのは必至である。また、華々しい脚光を浴びた一昨年の心臓移植手術についても、道義的な問題から疑問が発し、論争の的になっている。更に、沖縄やベトナムではBC兵器(生物化学兵器)をめぐって、激しい論戦が交わされています。
 一方、公害は、連日マスコミに取り上げられ、その深刻さは今後、日を追うごとに、目をおおうばかりになっていくことでありましょう。
 これらの問題は、一見、起こった背景や原因がまったく別のように思われる。しかし、その根本は、すべて生命の問題から発している。生命軽視の風潮と文明――これに対する痛烈な反省がようやくなされてきたのが現代であります。
 ここにして、七〇年代は、はからずも生命の問題に焦点があてられてきた。私はかねてから二十一世紀は生命の世紀でなければならないと述べてまいりましたが、時代の推移は着実にその方向をめざしているといっておきたい。
 現在、人類が脅かされているこの“生命の危機”“生存の危機”を乗り越え、これを打ち破ったときに初めてすべての人々が平和と幸福を築き、生命の世紀が訪れると申し上げたい。私どもの雄叫びが必ずや証明されることは間違いないでありましょう。
 この、人間生命の危機を乗り越え、解決していけるのはだれか。それは生命の究極を解き明かした仏法をたもち、実践している創価学会以外には断じてありません。未来いつの日か、人類から感謝される日が到来することを、私は強く確信しております。
 私ども学会員は、まさにその歴史的転換の最先端に立っているわけであります。先駆には嵐はつきものである。その嵐を誇りとしていただきたい。おのおのが、自らのおかれた立場で使命を大きく感じ、人間の勝利、人間生命の復権を掲げて、きょうから再び勇敢に前進していっていただきたいのであります。(大拍手)
 日女御前御返事にいわく「聖人をあだめば総罰一国にわたる又四天下・又六欲・四禅にわたる、賢人をあだめば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉をいだけば草木かれず国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人はわきまへざるか」と。
 仏法にそむけば一国のみならず全世界に総罰があるとの仰せである。罰とは仏法用語であり、現代的にいえば、生命の破壊、人生・社会のリズムの破壊のことであります。仏法にそむくとは生命の本源に迷い、その尊厳を破壊することである。したがって、仏法にそむけば日本全体が荒廃していくのは、道理からして当然である。
 「山は玉をいだけば草木かれず――」というのは、一応は当時の人々に通ずるように説話的にいわれたのであると思いますが、この場合の“玉”は、今日では生命と約すべきである。山川草木といえどもすべて生命体であると説くのが仏法である。この自然観なくして、真実の人間のすがたを把握することはできない。その生命の根本の迷いを解決できるのが大聖人の仏法であり、その解決以外に、人類の真実の安泰というものはありえない。そのため、私どもはいかなる試練があろうと、妙法を高く掲げて戦わなければならないのです。
 「聖人」とは、いうまでもなく大聖人のことである。その大聖人の仰せをそのまま如来の使いとして実践しているのが創価学会である。
 詮ずるところ学会を磐石にすることが、平和建設の根本的な要因となるのであります。その使命を双肩に担っているのが私どもであるという自覚に立って、前進してまいろうではありませんか。(大拍手)
 最後に、関西の皆さん方のご健康と、ご一家の繁栄を心より祈りつつ、
   生命の 世紀の白馬 今日も征け
 との一句を贈りまして、私の話を終わります。

1
5