Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

婦人部全国幹部会 令法久住の母体たれ

1970.8.25 「池田大作講演集」第3巻

前後
1  創価学会も本年で創立満四十年となりました。その間、不当な軍部権力に挑戦し、牧口初代会長、戸田前会長は入獄。そして牧口会長の牢死、戸田会長の学会再建、逝去等々、平和への崇高な戦いの歴史を描きながら、いまや学会は、国内外に確たる地位を占める勢力にまで発展いたしました。
 私も会長に就任して以来満十年――。いよいよ第二の十年、学会創立満五十年をめざして、新しい船出を開始したわけであります。
 ここに、今回の第二十五回夏季講習会を記念して、いくつかの所感を申し述べさせていただきます。
2  学会が真の幸福の団体であることを実証
 第一に、これまでの十年間、もっとも創価学会を守り、実質的に支えてきたものは、婦人部の強盛な信心と真剣な実践でありました。皆さん方のご健闘を心から感謝したい。皆さん方が築いた一切のものは、皆さん方と、皆さん方のお子さん、そしてお孫さんのものであることを確認しておきたい。決して一部の幹部だけのものでも、手柄でもない。等した広宣流布のために戦った皆さん方のものであるということを、自負していっていただきたいのであります。
 次に、男性の力といっても、究極的には女性によって決まってしまうということであります。妻が賢明で、信心の筋金の入った人であれば、男性は安心して家庭を任せていける。そして、職場、社会でも縦横に力を発揮していくことができるものであります。
 世界的な教育学者ペスタロッチの妻について、有名な話がある。ペスタロッチは、近代教育学の基礎を完成した大教育学者であります。彼が大学者に育った背景には、妻の献身的な努力とあたたかい家庭があったからであるといわれている。
 ペスタロッチは、幼いころから学問や勉強では確かに優れた素質をもっていましたが、風采はあがらず、社交性も乏しく、世事にうとかったと評されています。そのため、周囲からは奇人扱いにされることもしばしばであった。
 それに対し、妻は美貌の持ち主で、近所の評判になっていたにもかかわらず、いささかの虚栄心もなく、純粋に人間として生涯を生ききってきた。また、ペスタロッチより八歳も年上でありましたが、夫の性格の長所、短所をも知り尽くし、その長所が発揮されるようあらゆる努力をして、夫を支えてきたということです。しかも、その姿にはわざとらしさがなく、ひじょうにしぜんな振る舞いであったともいわれる。
 この妻の心からの支援により、ペスタロッチは彼の持ち前の才能を生かすことができ、ついに世界を代表する教育学者になったというのであります。もし、ペスタロッチに理解ある妻がいなかったならば、彼の才能は十分に発揮されず、偉大な功績を後世に残すことはできなかったであろうとさえいわれています。
 このことをとおし、広宣流布の戦いも、せんずるところ、女性なかんずく婦人部が聡明で、しっかりしておれば、安泰であるということを申し上げたい。どうか、婦人部の皆さん方は広宣流布の大地であり、令法久住の母体であることを確信し、自身をもち、誇りに燃えて、おのおのの家庭革命、広宣流布に前進していってください。
 日眼女造立釈迦仏供養事には「日本国と申すは女人の国と申す国なり」と説かれている。これは、なにも日本が女性王国であるという意味ではありません。(笑い)さまざまに拝せましょうが、真意は女性がもっとも幸福になっていくべきであり、一切を生み出していく本源の力が女性である、との御金言であります。
 その国が幸福であるか否かは、女性の姿で決まるといっても過言ではない。現在、学会においては女性が人間革命し、幸福を築いてきている。これこそ、学会が真の幸福の団体である実証であると確信しますが、いかがでしょうか。(大拍手)
3  信仰のなかに最高の生命の充実
 次に、学会を実質的に推進している婦人部の皆さん方は、生活との戦い、ならびに日々の活動にお忙しいことと思う。そのこと自体、もっとも尊い人生を生きぬいていることに通ずると確信したい。
 現在、一般的傾向として核家族化が進み、夫の出勤、子供の登校後には、主婦が一人で家庭に取り残されてしまうことが多い。余暇をどのように過ごすかが、そうした人々の最大の課題になっているといわれている。暇をもてあそぶことほど、味気ない、無意味な人生はない。人間は、つねに新鮮な活力と、人生の充実を求めて生きているからであります。
 皆さん方は社会の平和、人々の幸福のために活躍するという、最大の生きがいをもっておられる。忙しいようにみえても、それが結局は、限りない人生の喜びと思い出をつくりだしていると思うのです。生命の最高に充実した生活は、信仰のなかにあると、私は訴えたいのであります。
4  平和社会実現の大理想を掲げて
 次に、女性の使命は現実の家庭、そして社会をいかに幸福にし、平和にしていくかということにある。これに対し、男性は現実ももとより大切でありますが、どちらかといえば、未来を志向し、未来の目標に向かって戦っていくところに本領がある。しかし、その男性の未来への建設も、女性の現在の生活との着実な戦いがあってこそ初めて支えられ、生かされるものであると考えられる。
 その意味において、男女は平等であり、学会女性のごとく、自らの信心で模範的な家庭を築くとともに、広く平和社会実現という大理想を掲げて、生涯努力していくことが、もっとも正しく、有意義な婦人の一生であると思いますが、いかがでしょうか。(大拍手)
 阿仏房御書には、次のような一節がある。
 「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」と。
 この私どもの生命が宝塔であり、妙法の当体であるとの御文であります。妙法を受持し、妙法を唱え、妙法に生きぬく人生に、なんで打破せられざる不幸がありましょうか。必ずや幸福に満ちみちた人生を獲得できると確信し、生涯、信心を貫き通していってほしいのであります。
5  男女の特性生かす大聖人の仏法
 次に、社会に根を張れということについて一言しておきたい。男性の場合には、現実に職場があり、そこでの戦いという明確なるかたちをもっている。それに反し、家庭を守る立場の主婦の場合は、不明瞭のように思われるかもしれない。
 しかし、社会に根を張るといっても、家庭から外へ出て社会的に特別な行動、仕事をしなければならないと考える必要はありません。主婦として家庭を守り、幸せを満喫しつつ、子供をすくすくと育てていく――そのこと自体が立派な社会活動であり、社会に根を張る戦いといっても過言ではない。
 換言すると、主婦の日常の生活態度、姿勢そのものが社会の縮図であり、女性にとっての社会活動であると申し上げたい。したがって、日々の生活に潤いを与え、あの人はいつも生きいきとしていると周囲の人々から称賛され、話題にされるような学会婦人になってほしい。そのことが、現代においては折伏に通じ、社会に根を張ることになるからであります。
 信心は即生活である。生活は即家庭である。家庭は即社会の縮図であり、家庭の勝利の実相は隣人、親戚、友人、同志におのずから広がっていくものなのです。
 御義口伝に「現世安穏は求女の徳なり後生善処は求男の徳なり」とあります。現世安穏とは現実生活の安穏です。後生善処とは一往は来世の幸福、再往は未来の開拓を意味する。
 女性は現実生活の幸せを求めるところに特質があり、男性は未来を考え、つねに現在の殻を破り、切り開いていくところに特質がある。この男性と女性の特質がともどもに生かされていくのが理想的な社会、そして家庭のあり方といえる。日蓮大聖人の仏法により、はじめて双方が調和していくことができるのであります。
6  不幸な人、孤独な人の味方に
 次に申し上げておきたいことは、お互いに仲良く激励しあい、いたわりあい、もっとも不幸な人人、孤独な人々の味方になっていただきたいということであります。
 一般に、婦人は団結しにくいというのが定説になっている。しかし、広宣流布は団結が生命であります。異体同心ということが大聖人の御遺命でもある。創価学会のこれまでの強さも、婦人部に団結があったからです。
 信心の異体同心が、初めて女性の団結を可能にしたのであります。いまや世界第一の、尊い婦人の団結の姿が、わが創価学会婦人部の姿であると、私は声を大にして申し上げたい。
 特に、未亡人の人を大切にしてあげてほしい。自分自身が同じような境遇になったときのことを考え、その人をあたたかく抱きかかえて進んでいっていただきたいのです。
 戸田前会長は、
   妙法の 広布の旅は 遠けれど
     共に励まし 共々に征かなむ
 と詠われた。これが学会精神であり、信心の基本であるということを強調しておきたい。
7  子弟を俊逸に育成
 次に、子弟の教育に無関心であることが信心強盛なのではないということです。
 学生部、高等部、中等部、少年部は学会の未来、そして日本、世界の行く手を担う群像である。彼らをいつくしみ、育てるのは母親である婦人部の皆さん方の最大の使命と心得てほしい。
 子供ともっとも長時間接することができるのは母親である。そのため責任も重い。大脳生理学者等も、家庭での教育、才能開発の巧拙が、子供の成長のもっとも大きな要素であると述べている。賢明な母親のもとに俊逸が育っていくという方程式を忘れてはならない。といっても、俗にいう“教育ママ”のようになる必要もないし、なるべきでもありません。親のエゴを中心にした。名聞名利のための教育であっては本末転倒である。子供の主体性を尊び、英知と情操豊かな、かつ広宣流布への大情熱を堅持した若者に育てることが、本人のためであることはもちろん、全人類の幸福、平和建設への直道であることを確信してほしい。
 加えて、子供のいない人であっても、令法久住を願い、未来建設のために戦うことが、もっとも尊い母親の仕事をしていることになるということを忘れないでいただききたい。子供にそそぐかわりに、その情熱を広宣流布にそそいでいくことが、仏の子をたくさんつくっているのであると心得てください。
8  生涯、勉強しぬき幅広い人格形成
 次に申し上げたいことは、おおいに勉強し、幅広い知識を身につけてほしいということであります。主婦だからといって、夫のみに頼り、家庭に閉じこもっておればそれでよいという時代ではない。子弟を立派に育てるためにも、教育と真剣に取り組み、賢明な母でなくてはならないのです。
 また、時事問題にも通暁していっていただきたい。それが真実の女性解放に進む者の実相であり、不可欠の要件であるからです。阿仏房の妻であり千日尼は、相当な高齢であったにもかかわらず、日蓮大聖人に法門のことをたびたび質問している。そして大聖人から称賛されています。生涯、勉強しぬく人が前進の人であり、そのことがまた、幅広い人格を形成していく一因でありということを知ってほしい。
9  妙法で“生命の危機”を克服
 次に、男子部、女子部の方々にも申し上げましたが、婦人部の皆さん方に訴えておきたいことは公害の問題です。
 今後、公害でもっとも苦しむのは婦人であると思う。なぜなら、公害は小さな子供の生命を痛める。そして更に、母親の胎内を通じて子孫に影響を残していくからであります。それだけに、公害は人類全体の問題であり、かつ日常生活に密着しているものであります。
 たとえば、あの四日市ゼンソクが問題になりましたが、そのとき、意外と忘れられていたものに、その地域における新生児の異常なほどの死亡率の高さがある。成人の死亡はマスコミからも注目されましたが、それ以上に、小さな、いたいけな生命をむしばんでいたのです。
 現在の公害は遺伝にも関係し、奇形児の数も最近はかなり増えていると聞く。いわば現代の生命の危機の時代である。その意味で、時代も社会も、あらゆる面で重要な分岐点を迎えているように思えてならない。
 この生命の危機を克服する道は、究極的には偉大な宗教による以外に断じてない。生命力を強くし、変毒為薬していく根源力も、また生命の尊厳を守りぬく人間の英知も、妙法によるしかないことは明白であると、私は断ずるものであります。
 この偉大な仏法の哲理にめざめた妙法のウーマンパワーこそ、時代を変革する底流であり、母なる大地であると、深く自覚していただきたいことを願うものであります。
10  いかなる苦難にも消えぬ福運の灯
 王日女殿御返事にいわく、
 「仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子はいさごもちいを仏に供養し奉りて阿育大王あそかだいおうと生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず、されば此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔を忉利とうり天にくみあげたらんにも・すぐるべし」と。
 「仏は真に尊くして物によらず」とは、仏を供養するのにもっとも大切なことは物のたぐい等の形式ではなく、誠意、真心であるとの意味であります。
 私どもは全身全霊を込めて、大御本尊そしてまた日達上人猊下にご奉公の誠意を尽くしてきました。私もこの十年間、皆さん方の代表として、総本山に言語に絶するほどのご奉公をしてまいりました。十年前と現在とを見比べるならば、総本山の姿には天地雲泥の差がある。その功徳は皆さん方が思うぞんぶんに満喫していっていただきたいのであります。
 「昔の得勝童子――」の故事は、あまりにも有名である。仏に土のもちを供養して、偉大な王になる福運をえたとの教えであります。皆さん方の真心の戦いは、これに百千万億倍にすぐれた福運を積んでいるわけであります。
 「貧女の我がかしらをおろして――」とは、“貧女の一灯”として、同じくよく知られている話である。貧女が仏に供養するものをなに一つもっていなかったため、自分の髪を切って売り、それを油にかえて灯明とした。その灯は須弥山を吹き抜ける強風をもってしても消すことができなかったというのです。
 すなわち、信心によって生命に点じられた福運の灯は、人生のいかなる苦難の強風もこれを消すことは断じてできない。更にこれを開いていうならば、皆さん方がこの社会に点じた偉大な妙法の灯も、末法万年尽未来際まで消えることがないであろう、と明言しておきたいのであります。
 「されば此の二三の鵞目は――」とは、王日女が大聖人に二百文、三百文と御供養したお金であります。これは金額にすればわずかでありますが、日本国に統治する人が国家をあげて無量の財宝を供養するよりも、はるかにすぐる功徳があるとの仰せであります。
 現代でいえば、国家権力によってどのようにすばらしい建物、財宝を供養するよりも、貧しい私ども庶民が信心の真心で大御本尊に御供養するほうが、百千万億倍尊いということである。正本堂はその真心の御供養によって建立されている、尊極の大御本尊のお住まいであります。
 この十年間における総本山の見事な変容ぶりは、さきほど申し上げたごとく、想像をはかるに超えた立派なものとなっています。すべて私ども信者の汗と涙で御供養し、荘厳した結果であります。この私どもの真心の御供養は、いかなるものよりも尊いということを、確信と誇りをもって、後世に伝えきっていただきたい。
 更にこの御金言を生活に約していえば、世間の指導者が、いかにすぐれた業績を残したとしても、妙法流布の戦いのほうが、人類および社会に偉大な貢献を果たしているとの御文であります。
 皆さん方は、現在のいかなる人々よりも崇高な大偉業を遂行していると自覚し、スクラムを組んで、誇らかに広宣流布をめざして進んでいってほしいことを、心から念願するものであります。(大拍手)
 現在、俗衆増上慢、道門増上慢、そして僣聖増上慢が見事に出現しました。私どもの修行、実践が日蓮大聖人の御金言といささかも違っていなかった証拠であるということを確信していただきたいのであります。私ども以外に、大聖人の御金言を実践した者はいずこにもなかったと申し上げておきたい。
11  座談会の牙城を完璧に
 最後に、あらゆる機会をとおしてお話ししてきていることでありますが、創価学会前進の最大のポイントは座談会以外にない。座談会の法城が完璧になっているならば、学会は永久に安泰であります。その座談会のうえに広宣流布の大業は進み、完遂することもできる。どうかこの座談会に、皆さんがた婦人部のいちだんの奮起をお願いするものであります。
   人間の 勝利で飾りし 講習会
 との一句を、皆さん方にお贈り申し上げて、私の話を終わります。

1
1