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日蓮大聖人・池田大作

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高等部全国部員会 強い後継の自覚を

1970.8.4 「池田大作講演集」第3巻

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1  本日は、高等部諸君の元気いっぱいの姿を見て、心より喜んでいます。若干、懇談的に所感を述べ、激励にかえたいと思います。
 私が創価学会の第三代会長に就任し、早くも本年五月三日をもって、満十年を迎えることができました。この間、諸君のご両親やお兄さん、お姉さん方の想像を絶するばかりの戦いにより、創価学会は、日本最大の教団に発展いたしました。深く感謝するとともに、更に広宣流布への決意を新たにしているしだいです。(大拍手)
              
 人材育成が一切の眼目                       
 ところで、十年前の諸君は、まだ小学校に入学する前後であったと思います。これから十年後には、こんど現在の少年部員や幼年期にある人が、諸君と同じように高等部員に育ち、立派に活躍するようになるわけです。このように学会の前進、人材の世界に断絶というものがまったくありません。
 創価学会には、大聖人の仏法を末法万年尽未来際まで伝えていくべき、令法久住の使命、責任があります。そのために、私はこれまで、次の時代を高等部に託し、ただひたすらその成長に期待を寄せてきました。
 そして今では、高等部を出身した諸君の先輩は、すでに社会に雄飛し、あるいはまた学生部に入って頑張っています。やがてそれらの人々が、内外にわたって幅広く活躍していくのも間近でありましょう。
 しかし、そうした諸君の先輩の次の段階において、広宣流布を推進し、総仕上げをはかっていくのは、現在の高等部の諸君以外にありません。幾多の試験をうけようとも、私は、令法久住の人材、学会の後継者である諸君がいれば、最高に誇り高い人生であるし、幸福者であると思っています。
 この十年間の戦いにより、学会は広宣流布の基盤を築き上げてきました。いわば大きな城を構築したようなものです。しかし、いくら立派な城が完成しても、そこで指揮をとる優秀な人材がいなかったならば、まったく意味がないというのは自明の理です。
 したがって新しい十年においては、一切の眼目を人材の育成におかなければなりません。
 「人間はたくさんいる。一番多いのも人間である。一番少ないのも人間である」という古人の言葉がありますが、この人材育成に全魂をかたむけていきたいというのが、現在の私の心境であるし、これからの決心でもあります。
 乙御前御消息には次のような一節があります。
 すなわち「いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさ凄冷まじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり、木は火にやかるれども栴檀の木は、やけず、火は水にさるれども仏の涅槃の火はきえず、華は風にちれども浄居の華は・しぼまず・水は大旱魃かんばつに失れども黄河に入りぬれば失せず」と。
 この御文は、現在の諸君の立場に。よくあてはめて拝すことのできる御金言であると思います。レジャーを楽しみ、放縦のみを追い求めている多くの高校生のなかにあって、諸君は崇高な使命感に燃え、求道心をたぎらせて、このように夏季講習会につどっている。そして真剣に唱題に励み、仏法哲理の研鑽を深めている――そのこと自体、御金言にある「強盛の御志」に通ずるといえましょう。
 どのような学問・学説によったとしても、それだけでは、人生最大の課題である宿命の転換も、福運を築くこともできないというのが現実です。信心を強く、純粋に貫いていってこそ「他人よりも色まさり利生もある」のであり、最高に価値ある、充実した人生を生きていくことができるのです。また、同じように信心していても、自覚・決意のいかんにより、おのずと結果が大きく異なってくるとのご指導です。自覚が深ければ、それだけ功徳を感得し、英知の輝きも増すというのが妙法の法理であることを知ってほしい。
 諸君の青春は、強盛な信心を全うしていけば、ますます香り高く、光輝につつまれたものになっていくことは間違いない。どのような苦難があろうとも、青春の花はしぼむことなく、大河のごとく未来に向かって、滔々と流れていくであろうことを、私は確信したい。
 どうか、この御文の原理のとおり、学会の後継者として立派に私どもを乗り越え、大成長していっていただきたい。そして、不幸な人々の最大の味方である創価学会の正法正義を広く世界に実証していってほしいというのが、きょう申し上げたい最初のお願いです。
2  正本堂建設に吉瑞 
 次にお伝えしておきたいことは、すでに聖教新聞等でご存知のとおり、正本堂の完成をまえにして、その建設現場の裏手にあたる小高い丘の上から、約四千年前のものと推定される縄文時代の遺跡が発掘されたということです。
 いま、関係者のあいだで、更に綿密な調査、研究が進められていますが、おそらくは、日本有数の集落地が存在し、原始宗教のようなかたちで。富士山を崇拝していたのではないかと考えられています。古く歴史をさかのぼっても、富士のこの地には、常に民衆と文化の生きいきとした鼓動があったことが証明されてきたわけで、まことに不思議な祝うべき吉瑞であるといえましょう。
 待望の正本堂の建設進むなか、このような喜ばしいことがあったということは、この地が新しい第三文明発祥の地であることを意義づけるとともに、諸君の未来を祝福する記念碑であると考えたい。
3  あらゆる立場で勝利の実証を
 第三に申し上げたいことは、私の願うところの人材は、広宣流布という大目的に向かって、おのおのの立場で自己の全生命を燃やし続けて戦っていく人である、ということです。
 所詮、なにが大切かといっても、広宣流布ほど大切なものはありません。広宣流布を成し遂げることがてぎなかったならば、真実の平和も幸福もありえませんし、正法の破壊にもつながってしまう。
 また、信心は距離の遠近、立場、境遇等の違いによって決定づけられるものではありません。いかなる立場、境遇にあろうとも、そこで人間として勝利者になることが、妙法の人間革命の姿を実証することになるし、広宣流布を実質的に推進することに通ずるのです。したがって、その人こそ「本有常住」という仏法の原理からして、真の妙法流布の人材であると、私は定義づけておきたい。
 千日尼御前御返事のなかに「たとえば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」という一節であります。
 地球から月までの距離は、諸君がよく知っているとおり、きわめて膨大な単位になる。しかし、地球上の池には瞬間的にその影を映します。また、中国・浙江省の会稽城にある雷門の太鼓は、遠く離れた当時の都・洛陽にまで、たちまち音が聞こえたといわれています。
 これと同じように、たとえ現在、どのような立場、境遇にあろうとも、また遠く離れていようとも、信心の心は私と一つになって、御本尊と直結、帰命していくことができるのです。そのことを確信し、青春を生ききっていただきたいとお願いするしだいです。
 そのためにも、仏法哲理を深く学び、信心に対する確信を勝ちえていってほしい。世界には多くの思想・哲学があり、一見、深く、広い内容をもっているようであるが、妙法には比較すべきすべもないと、大聖人は喝破されています。
 この大海のごとく広大深遠な妙法の哲理を、諸君は信心を錬磨しつつ、だれよりも深く会得していっていただきたいのです。そして、全員が教学部教授の実力を身につけて妙法を流布し、高貴なる妙法の革命児として、この人生を誇り高く、堂々と歩んでいってください。(大拍手)
4  広く書を読んで幅広い教養と知性を
 第四にお願いしたいことは、広く書を読んで幅広い教養と知性を養い、あらゆる文化遺産を貪欲に吸収していってほしいということです。
 読書によって人類の文化遺産を吸収していこうとする強い欲求心、学問に対するあくことなき求道心をたもち続けていくことが、二十一世紀にふさわしい指導者に成長するためには要請されます。そして、その教養、知識が信心によって生命をえたとき、第三文明の花が絢爛と咲き誇るわけであります。
 曾谷入道等許御書には「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏しょうじょを習学すべし」との御金言があります。
 「此の大法」とは大聖人の仏法であり、「一代の聖教」ならびに「八宗の章疏」とは、当時の一切の学問を指します。この短い御文からも、さまざまなことが拝せましょうが、広宣流布という目的観の画竜点晴によって、一切の勉強が必ず生かされてくるということを知ってほしいのであります。
5  全員が語学を習得
 第五には、つねづね申し上げていることですが、全員が一か国語でもよいから必ず外国語を身につけていただきたい。世界は近年、急速に狭くなり、政治、経済、文学等々、いかなる分野においても、一国内に閉じこもっていることはできなくなってきています。時代は、世界の民族が互いに手を結び、連帯を含め合っていく段階に入っているのです。
 世界に雄飛しようとするからには、語学を習得していなければ観念論であるといっても過言ではありません。
 また「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」との仏記を実証するのは、諸君たちであります。そのためにも、語学がなければ十分な活躍をすることは不可能であり、なんらかの方法を講じ。努力して、語学を身につけていってほしい。
6  諸君の年代に人生の基盤が築かれる
 第六には、一般に諸君の年代は多感で、情緒が不安定な時期であるということです。さまざまな悩みがあるであろうことは、私自身、よく理解しているつもりであります。しかし、どのような悩みがあったとしても、決してそれらに負けてはなりません。
 悩みが競い起こるということは、結局、諸君たちの年代に人生の基盤が築かれるということを意味するのです。この時期に学び、悩んで克服していったものが、一生を決定する土台になるということを知っていただきたい。したがって、端的にいえば、現在の諸君たちにとってもっとも大切なことは、信心と日々の勉学に励んでいくことであります。
 生死一大事血脈抄には「金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺あに真金に非ずや・法華経の金を持つ故か」とあります。
 この御金言をとおし、妙法をたもった人は、同じ生徒、同じ青春であっても、そうでない人とは、根本的な人生の違いがあるということを確信してほしい。妙法をたもった諸君は、不滅の金を生命の大地から堀り当てたようなものであります。その確固たる基盤は、諸君の成長とともにますます輝きを増してくるでありましょう。どのように苦しく、つらいことがあっても、信心だけは生涯、貫いていってください。
7  各分野で特性を発揮
 次に申し上げたいことは、高等部はこれまで“勉強第一”を合言葉に進んでまいりました。これは今後とも変わらぬ指針のではありますが、もとより、得手・不得手の個人差があるのは当然であります。したがって、なんらかの点で自分は一番であるというようになっていただきたい。すべての人が勉学の面で一番にならなければならないというようなことはありません。
 英国の首相であったチャーチルもノーベルも、また尾崎咢堂も、少年期に学業成績がふるわなかったことで有名です。だからといって、これらの人々のまねをする必要はありませんが、(笑い)成績が悪いからという理由で萎縮する必要も全くないということです。
 信心をして価値ある青春を謳歌する。そして、おのおのの持ち味を生かし、なんらかの分野で第一人者に育っていく――そのようになっていただきたいのす。
 千日尼御前御返事には「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」とあります。
 羊千匹よりも師子王一匹のほうがはるかに強く、その存在のほうが価値があります。何千人が攻めてこようと、大理論家、大雄弁家が一人いれば、なにものも恐れることがないようなものだ。その反対に、たとえ信心をしているからといっても、羊が千匹集まったような弱々しい姿であっては、それは烏合の衆であり、時代を転換する力とはなりえない。見事に発展したこの高等部のなかから、各分野においてダイヤモンドのごとき存在の、一流の人材が輩出すべき時代になってきたのであります。
 たとえ小人数であっても、そういう各界の第一人者が陸続と育っていくことにより、広宣流布は大きく推進され、多くの同志が守られていくことになるのです。どうか、ひとだひ妙法の徒として生ききっていくからには、草原を走る師子王のごとく、また空飛ぶ王たる鷲のごとく、力ある、悠々たる指導者に成長していってほしいと、念願するものであります。
8  色心とも健全な“全人間”に
 次の申し上げておきたいことは、若くして妙法をたもった諸君は、それ自体、最高に福運ある人々であるということです。福運を確信して進むとき、福運はますます積み重なってくるでありましょう。それが妙法の功力であり、一念三千の理法であります。
 しかし、福運があるからといって温室育ちになり、社会の厳しい実相、懊悩に対して盲目になってはなりません。したがって、つねに目を社会に開き、人々のなかにとけこみ、苦悩解決のため戦うという、正義感にあふれた真実の革命児に育ってほしい。
 経文には「如蓮華在水」とあります。これは地涌の菩薩を賛嘆した文でありますが、これには“出水の義”と“華開の義”とがあります。すなわち、蓮華は泥沼に生ずるが決して泥沼に没するのではなく、必ず水より出でて、大きく清らかな花を咲かせることをいうのです。
 地涌の菩薩とは、妙法の革命児の異名であります。諸君もまた、民衆のなかに生き、社会の泥沼のなかに入って泥沼のなかから育ってくる。そして、そこに花が咲かせていくという方程式を忘れないでいただきたい。
 最後に諸君に要望したいことは、高等部時代に頑強な身体をつくってほしいということであります。どのように優秀な頭脳をもっていても、病弱であれば、広宣流布という激烈な戦いを生きぬくことは不可能である。色心ともに成長する“全人間”であることが大切です。
 四条金吾御返事に「きたはぬ・かねは・さかんなる火に入るればけ候、冰をに入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり」とあるとおりであります。いかなる精神的、肉体的苦悩にも打ち勝っていく、また疲れない頑健さをもたなくてはなりません。
 諸君が強靱な身体を築き上げることができるよう、大御本尊に祈りつつ、私の話を終わらせていただきます。

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