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日蓮大聖人・池田大作

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第1回中等部総会 忘るな正義と信念

1970.8.17 「池田大作講演集」第3巻

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1  第一回の中等部総会、まことにおめでとうございます。           
 総本山では、日達上人猊下のおんもとで、たくさんの鳳雛が未来の宗門を担うため、真剣に仏道修行に励んでいます。いま、その総本山を外護し奉る創価学会においても、中等部の諸君がすくすくと成長していることは、私にとってこれ以上の喜びはない。未来の宗門は、そしてまた広宣流布は、更に盤石な構えとなったことを、強く確信するものであります。
2  中等部・少年部に最大の尽力
 最初に申し上げたいことは、私はこれまで、はじめに学生部、次に高等部に力を入れてまいりました。今度はいよいよ中等部、少年部の諸君に最大の力をそそいで、未来の創価学会を完璧にしていく決心であります。
 諸君のお兄さん、お姉さんにあたる男女青年部の方々にも、そのために、限りない応援をしていただくつもりであります。どうか、どのようなことでもお兄さん、お姉さん方によく相談し、吸収すべきものはすべて吸収して、人間として立派な人に成長していっていただきたいと思います。
 次に、責任ある人に育ってほしいということであります。自分でやらなければならないことは、どこまでも責任を果たしていく――そうすることが、諸君が大きく育ち、重要な立場に立ったときに、どれほど社会の信頼を得ていく力になるか測り知れない。
 諸君の世代、年代にひとたび身につけた人生の態度というものは、一生を貫いていくものです。たとえささいなことであっても、それをいいかげんにしていってはならない。そこに、その人の人生の縮図があるからであります。
3  主体性ある正義の人に
 次に申し上げておきたいことは、諸君は主体性のある正義の人であってほしいということです。なかんずく、信心に関しては、絶対にその模範でなくてはならない。
 イギリスの有名な政治家グラッドストンの中学生時代に、次のようなエピソードがある。グラッドストンは後に首相になること四回、文字どおり、大政治家として世界的に高く評価されていますが、中学生時代から人一倍、信念、正義感が強かったといわれております。
 彼が中学に入ってまもないころ、学校で生徒たちが一人の教師を憎んで、ストライキを起こそうとしたことがあった。少人数の中心者が巧みに扇動し、初めはストライキに反対であった生徒たちも遂に巻き込まれて、ほとんど全員が賛成にまわったという。
 そのなかで、グラッドストンだけは反対した。教師に対する悪感情だけを理由に、ストライキをすることは正しくない。正しくないことを付和雷同して行うことは、自分にはできない、といいきったそうであります。
 彼はどのように先輩から説得されても、その主体的信念を曲げなかった。そのため、先輩からは新入生のくせに生意気だとなじられ、あるときは中間から乱暴さえ加えられた。しかし、それでも彼は正しくないことはできないと、一歩もひかなかった。このグラッドストンの厳格な信念のまえに、ついに全員が屈服し、ストライキはできなくなってしまったという話であります。
 だれになんといわれようが、また、周囲の全員が一つの波のなかに巻き込まれようが、自分が正しくないと思うことは断じて行わない――この強い主体性のある信念と正義感を生涯たもちつづけていける人が、私は最大の偉人であると思います。
 グラッドストンは、この正義感を八十九歳の高齢で世を去るまで貫き通した。そしてイギリスの議会政治き黄金時代を築いたのです。
 どうか、諸君は妙法のグラッドストンとして、どのような批判、中傷があろうとも、また、たとえ周囲の人々が白眼視しようとも、信心は生涯、貫き通していくという強い主体性、信念をもって、人生を生ききっていっていただきたいのであります。
4  “反戦”を生涯堅持
 次に、戦争の問題について一言しておきたい。諸君のなかにはテレビや映画などをとおし、兵士の戦う姿を見て、あるときは格好いいように思うことがあるかもしれない。また、戦争反対ということに対し、実感がわかないこともあるであろう。しかし、実際の戦争というものは、非常にむごたらしく、悲惨、残酷なものである。
 これは私ども、ならびに諸君の両親が膚身で感じ取っていることであります。戦争だけは断じて避けたい。また諸君たち、前途有望な青少年に、二度と戦争の悲劇だけは経験させたくない。私はいま、この決意で平和の舞台を切り開いているつもりであります。その意味で、諸君も妙法の平和の勇士として、心のなかに“戦争は絶対に起こしてはならない”との叫びだけは、生涯堅持していってほしいのであります。
5  新世紀へ友情のスクラムを
 次に申し上げておきたいことは、諸君たちのなかには、勉強の苦手な人もいるであろうし、きらいな人もいるかもしれない。しかし、皆、中学時代から信心をした同志であり、仲間である。
 学校にもたくさんの友だちがいるであろうが、仏法のうえから、また生命のうえからみて、これほどの深い友だちはない。したがって、今後それぞれ進む分野は違うかもしれないが、どこまでも自分たちは創価学会中等部の出身者であるという誇りと自覚をもち、ともどもに励ましあい、助けあって、生涯、最高に美しい友情に結ばれて成長していっていただきたいのであります。
 むずかしい表現になりますが、立ち返るべき原点と故郷をもった人は強い。諸君たちにとって、最高の故郷は清らかな信心の世界であり、また信心の仲間の友達である。
 それをもっている人は、たとえ一時的に社会の荒波にくじけそうになることがあっても、必ず立ち上がることができる。
 ここにいる諸君は生涯、崩れぬ友情と深い同志愛をもち、スクラムを組んで新しい世紀の到来をめざし、仲良く堅い団結でがんばっていってほしい。
6  今の努力が一生の決め手
 次に申し上げたことは、ある学者が、中学三年間で学ぶ事柄を徹底的に勉強しておけば、実社会にでてもなんら恥じない立派な社会人になることができるといっている。また、そういう人は、なまじ大学や高校を遊び半分で卒業した人よりも、強い基礎が築かれているということを論じていました。
 中学時代の勉強は人生の基礎をつくる。そこで学んだことはすべて自分の将来の財産となって忘れることがない。したがって、たとえ苦手な科目があったとしても、自分の輝かしい未来を築くための勉強、財産だと思って、真剣に取り組んでいくことが大切であります。
7  学ぼう日興上人の精神
 次に、信心のもっとも大事なことをお話ししておきたい。それは、日興上人のことであります。
 日興上人は、現在の山梨県の鰍沢というところで生まれました。そのゆかりの地に、今度、新しい寺院を建立することが、正本堂建設委員会で決定しています。
 ご存知のように、日興上人は幼くして父を失い、母も、そのために他に嫁いでいった。そして日興上人は、祖父の河合入道という人に引き取られたのであります。
 六歳のころ富士川のほとりにある四十九院という寺院にのぼり、そこで学問を学び、歌道や書道を勉強された。そのころの日興上人は伯耆公といっていました。
 六歳というのは、いまでいえば、ちょうど小学校一年にあたる年齢です。当時の寺院は一種の学校のようなものでありました。日興上人はそこで真剣に勉強し、そのとき学んだものが血となり肉となって、将来の大きな基礎を築いたのであります。
 たとえば、日興上人はひじょうに字が上手である。それは、このとき、書道でつちかった力が基礎となっている。そして十二歳のころ、ちょうど中等部の諸君の年齢でありますが、四十九院の川向こうの岩本実相寺というところで、日蓮大聖人とお会いしたのです。
 そのとき、大聖人は「立正安国論」の草案のため、岩本実相寺にこもっておられた。この実相寺と四十九院は、兄弟のような関係であったと思われる。四十九院のほうは現存しませんが、実相寺は現在でもそのままあります。
 当時、大聖人は国中の人から悪口をいわれ、批判と中傷の真っただ中におられた。そのことはすでに日興上人の耳にも当然はいっていた。
 しかし、日興上人は当時の腐敗堕落した宗教界の実態を日常生活のなかでいやというほど感じとっておられた。そして、純粋な日興上人は、大聖人が悪口をいわれればいわれるほど、なにか心に刻みつけられるものがあり、大聖人にお会いしたいと念願していたのです。
 そうしたとき、たまたま稚児として、実相寺に行って給仕することになった。そのとき、実相寺の住職から命じられて大聖人にお仕えすることになり、ここで決定的な深い師弟の契りが結ばれたのであります。
 日興上人は、大聖人が「立正安国論」の草稿に全魂をかたむけて取り組む、その峻厳にして尊貴な姿に打たれ、そこで大聖人のお弟子になり、名を伯耆房と改められたのです。
 日興上人の一生を決定する重大な第一歩は、まったく諸君と同じ年齢にしるされたということであります。この大聖人という師以外に自分のついていく師はない――日興上人の若い胸には、そうした決意が、すでに動かないものになっていた。
 それから大聖人は鎌倉に行かれて「立正安国論」を鎌倉幕府に提出するわけでありますが、その間、日興上人は仏法の本格的な研鑽に入っていく。やがて大聖人が鎌倉幕府の迫害によって、伊豆の伊東に流罪されると、日興上人は、真っ先に流罪地の伊東へはせ参じるのであります。
 それが十五歳のころでありますから、ちょうど高等部の年齢にあたる。伊東では大聖人にひたすら常随給仕するとともに、付近の折伏にあたられた。真言宗の金剛院行満という僧も、日興上人に完全に破折され、正法に帰伏した。そして、日興上人を開山として仰いだといわれます。
 この金剛院の行満という僧は、いまでいうならば最高学府を出た、評論家または学者等の立場の人にあたります。その有名な学者が、わずか十五、六歳の日興上人に折伏され、弟子になったというわけであります。
 大聖人が赦免になると、日興上人は、また、大聖人とともに鎌倉に戻られる。そこで、やはり大聖人のおそばで給仕し、種々の書き物の代筆もされる。また、ゆかりの深い富士方面の折伏の第一歩をしるされておられる。ちょうど、それが学生部や男子部の年代のころであります。
 文永八年十月、佐渡流罪になられた大聖人のお供をして足かけ四年、苦難をともにし、そこでも折伏戦を展開して、浄土宗の印性房等を破折された。この間、日興上人は二十五歳から二十八歳の青年僧であられた。
 佐渡での大聖人は、食糧がないため雪を召し上がっておられた。それほどの苦難の四年間であった。
 また、浄土宗の印性房といえば、いまの一流大学の教授や学者のような人です。それを日興上人が折伏したのです。
 その後の活躍については、諸君のよく知るところでありますが、大聖人が身延にこもられたあと、大聖人門下の柱として、富士方面の弘教等々、縦横無尽の戦いをなさっておられる。
 富士方面一帯に強信な人々が数多くあらわれたのも、すべて日興上人の戦いがあったからであります。
 南条時光等も日興上人のもとで戦ったわけです。あの有名な熱原の法難のときも、一切の指揮をとられたのは日興上人であり、大聖人は影におられたという方程式を知ってほしい。
 そして、ついに日蓮大聖人の一切の付嘱をうけ、日蓮正宗の第二祖として、大聖人滅後、更に仏法の偉大な光を輝かせたのである。
 きょう諸君に日興上人の青少年時代の話をしたのは、日興上人の一生を決定したその重要な時期が、ちょうど諸君たち中等部と同じ年齢であったということを知っていただきたかったからであります。
 これは決して偶然ではない。これ自体、人生のもっとも決定的な瞬間が、諸君の年代であることを示すなによりの証拠である。
 どうか、中等部の時代こそ、一生の決め手であるということを自覚して、未来をめざし、希望に燃え、学会員の誇りも高く進んでいっていただきたい。
8  ひるまず苦難に挑戦
 次に、御書の一節を拝読しておきたい。
 上野殿御返事に「子を思ふ故にや・をやつぎの木の弓をもつて学文せざりし子にをしへたり、然る間・此の子うたてかりしは父・にくかりしは・つぎの木の弓、されども終には修学増進して自身得脱をきわめ・又人を利益する身となり、立ち還つて見れば・つぎの木をもつて我をうちし故なり、此の子そとば率塔婆に此の木をつくり父の供養のためにててむけりと見へたり、日蓮も又かくの如くあるべきか、日蓮仏果をむにいかでせうばう少輔房が恩をすつべきや、何にいわんや法華経の御恩の杖をや、かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし」とあります。
 この御文をとおし、種々のことを論ずることができましょうが、要約すると、学問のきらいな子を立派にしたのは、やさしい言葉でも、甘やかしでもない、槻の木の弓であった。厳しさであった。また、大聖人が末法の御本仏であることを証明したのは、少輔房等の謗法者であったとの仰せです。日蓮正宗創価学会も幾多の試練を経てきていますが、心眼を開いて見るならば、そうした苦難があるために、発展、成長、成仏もできるとの方程式であります。
 諸君も将来、必ずや苦難に直面することがあるであろう。しかし、それらは、未来に大成し、社会に有為な人材に育つための試練であると心得てほしい。しょせん、さまざまな苦難にぶつかったときは、それに挑戦していくか、あるいはまた、避けるかによって信心の偉大さもわかるし、その人の価値が決定されるということを、私は申し上げておきたい。
9  妙法の大空を悠々と乱舞
 また新池御書には「鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰か・なすとも・なけれども觜よ目よと厳り出来て虚空にかけるが如し、我等も無明の卵にして・あさましき身なれども南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられ・まいらせて三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の虚空にかけるべし」とあります。
 諸君は妙法を唱えることにより、大聖人に暖かくはぐくまれ、完全なる人格を形成して、この地球上を遊戯していくことができるようになる――こう拝せる御金言であると思います。
 諸君の年代は学問においても、人格の形成の面においても、基礎づくりの段階である。このときに大聖人の仏法をたもった諸君は、未来に大鵬と育つことは間違いない。諸君が不動の信心を貫いて、妙法の大空を悠々と舞う日がくることを、私は確信したいのであります。
 諸君の健全なる成長を心よりお祈りするとともに、その成長を見守ることを、私の人生の唯一の楽しみとさせていただきたいことをお願いし、話を終わります。

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