Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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不滅の大福運を享受  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  聖愚問答抄にいわく、
 誠に生死を恐れ涅槃をねがい信心を運び渇仰を至さば遷滅無常せんめつむじょうは昨日の夢・菩提の覚悟は今日のうつつなるべし、只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬさいわいや有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし
2  「誠に生死を恐れを欣い」ということは、永違の生命について、また人生をいかに生きるべきかと真面目に考えている人が、絶対の幸福、永遠の幸福、栄光輝く実像の幸福を願い、そしてその願いを実現すべく、実践に移す場合には、それは信心しかない。故に「信心を運び云云」とあるのです。刹那主義、太平ムード、無責任主義等々に流されている今日、真面目に自己を見つめ、人生を考えている人は、この通り、最後は信心に到達するのです。これが本当の人生の生き方です。生命とは何か、涅槃、すなわち成仏とは何か、本当の生命の本質は、真の幸せは何だろう、とその究明を願う人は、信心を運び、渇仰をいたす、すなわち求道心をもっているということです
 「遷滅無常」とは、諸行無常ということです。現代語でいうならば、虚像、見栄、人気というような、背伸びした、自分の本当の人生でない、見せかけのことです。白粉を塗ったような人生は「昨日の夢」に変わってしまいます。くだらないことだな、とすぐにわかります。
 「菩提の覚悟は」――つまり、一生成仏、人間革命、真実の実像の幸福探求、社会に貢献する庶民としての生き方は、「今日のうつつなるべし」のごとく、それこそ実像の幸福である。それが本当の人間としての幸福であるというのです。
 それには「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば」――すなわち大御本尊に、ただ南無妙法蓮華経と唱えるならば、「滅せぬ罪やあるべき」――どんな罪も全部消えてしまいます。「来らぬ福や有るべき」――どんな願いでもかない、いかなる福運もついてきます。したがって「真実なり親なり是を信受すべし」と仰せなのです。絶対に間違いないのです。日蓮大聖人はうそをつきません。「信受すべし」という信心のうえに立った、大聖人の子供として、弟子としての実践であるが故に、その誇りと名誉をもっていきたい。
 この御書を要約するならば、信心こそ人生の真実のコースです。過去、昨日まで、権威・名声に生きた人は、「昨日の夢」のなかに生きたようなものです。妙法に生き、偉大な価値創造に生きる人は「今日のうつつ」つまり現実を日々たくましく、楽しく進んでいる人であります。
 なお、南無妙法蓮華経こそ不動の実体であり、他のなにものにも動ぜず、そしてまた一切を変えていけるのです。これを確信しなければなりません。自分自身は当然のこと、人も、家庭も、社会も、宇宙まで変えていけるのです。またそれをつくっていく本源力です。また生命自体に不滅の福運の流れを脈々と伝えていける自己の確立、その原動力が大御本尊であり、即私達の信心でなければならない。大聖人はこう仰せでありますから、大空のように広々と、太平洋のような気持ちで、御本尊に願いきって、幸せな、栄光ある人生を築いていってほしいのです。

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