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日蓮大聖人・池田大作

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妙法の実践者は世雄  

「池田大作講演集」第2巻

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1  四条金吾殿御返事にいわく
 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり、中にも天竺をば月氏という我国をば日本と申す一閻浮提・八万の国の中に大なる国は天竺・小なる国は日本なり、名のめでたきは印度第二・扶桑第一なり、仏法は月の国より始めて日の国にとどまるべし、月は西より出で東に向ひ日は東より西へ行く事天然のことはり、磁石と鉄と雷と象華とのごとし、誰か此のことはりを・やぶらん
2  「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」――勝負といっても、これは、あくまでも、正義、最極善、最高の哲学を裏づけとしたうえの勝負になります。その社会、生活、境遇、あらゆるところで勝たねばならないというのです。そして、勝つための原動力が妙法の実践なのです。自身の繁栄と幸福の姿を示し、なるほどと内外ともに認めざるをえない実証を示すことが仏法です。
 「王法と申すは賞罰を本とせり」――王法とは一般社会のことです。社会では文化勲章を出して功労をたたえるとか、法を犯した者を罰するとか、賞罰が基になっている。したがって、仏法のほうが次元が高く、より本源的なものです。仏法の理念を根本として、王法があれば理想的なのです。
 「故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」――「世雄」とは、全社会の英雄、すなわち、あらゆる面で最高の力ある人をいうのです。「王」とは権力者であり、自在に権力を駆使することができる。故に民衆から遊離した悪い権力者は断じて排斥していかなければなりません。
 「中にも天竺をば月氏という我国をば日本と申す一閻浮提・八万の国の中に大なる国は天竺・小なる国は日本なり」――インドの国名は月氏、我が国は日本という。そして、当時、幾多の国々があったが、いちばん文化的な大国はインドであり、弱小国は日本であった。
 だが「名のめでたきは印度第二・扶桑第一なり」とあるように、国の名称の意義の深さは、インドより日本のほうが上であるとの日蓮大聖人のご確信といえます。
 「仏法は月の国より始めて日の国にとどまるべし」――仏法はインドに端を発し、東方に伝わって日本にひろまった。
 「月は西より出で東に向ひ日は東より西へ行く事天然のことはり」――同じく、日蓮大聖人の太陽の仏法が西方に渡って、全世界を照らすのは、自然の理ある。
 「磁石と鉄と雷と象華とのごとし、誰か此のことはりを・やぶらん」――磁石と鉄はくっつき、雷が鳴るとインドの象華草という花が、ぐんぐん成育するというたとえのことである。この大法則は、誰人も破ることはできないというのです。
 これと同じく、私どもが力を合わせて進む以外に、社会の改革、日本の安泰、そしてまた世界の平和もありえないという方程式なのです。第一にも第二にも団結し、強い確信をもって、題目をあげぬいていくことが大切です。

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