Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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仏法流布は時代の趨勢  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  妙密上人御消息にいわく、
 日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる
2  日蓮大聖人の御書は、さまざまな角度から、深く拝していけますが、ここでは”一人立つところに一切の出発がある”という観点から、少しく述べてみたいと思います。
 「日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり」――建長五年四月二十八日に立宗宣言され、大聖人がただ一人、題目を唱え始められた。それは「須弥山の始の一塵大海の始の一露」のようなものであるというのです。「二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二にも及びぬらん」――ところが、現在ではすでに日本国全体にまで題目は流布した。現在は化儀の広宣流布の段階に入りました。
 「今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん」――世間の幸せは、見せかけの、偽りの姿であるといっても過言ではありません。自己の生命、国家の安泰、世界の平和等々を真剣に考えざるをえなくなった場合、必ずや法華経神力品の方程式のごとく、妙法をたもたなくてはならない、と切実に思う時がくるでありましょう。自分自身が、いくら幸福になろうと思っても、社会全体が悪ければ、不幸です。
 「木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる」――妙法が広宣流布するのは、時代の趨勢であり、仏法の大法則であるとの意です。その先駆けとして、あらゆる誹謗にも負けず、私どもは戦っているわけです。崇高な生命哲理にのっとり、生命の奥底を解明し、隣人を根源的に救いきっていく戦いこそ、最高に勇気ある実践ではないでしょうか。
 広宣流布の趨勢、妙法の偉大な功徳は、太陽が赫々と照り輝くように、日一日と力をおびてきています。どうか、そのことを確信し、自信と希望に満ちて、心豊かに題目をあげぬいていってほしいと思います。そして、信心とは、また人生とは、こんなにもすばらしいものか、わが生命のなかに太陽が輝いている、としみじみ実感し、人にもいいきっていける一人一人になっていこうではありませんか。

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