Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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旺盛な求道心で大成長を  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  日興遺誡置文にいわく、
 一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事
 一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事
 一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事
 一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事
 一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事
2  「一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事」――信・行・学がなくして、名聞名利のみを考える信者は、日蓮大聖人、日興上人の末流ではない。
 「一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――「身命を捨て」との一節は、信心の厳しさを教えています。しかし、私どもは、やはり広宣流布に向かって戦っていくことが、いちばん幸せだと思います。人生においては、惰性に陥ったり、小利益に甘んじて終わったり、有意義な仕事がなくなれば、さびしく、不幸です。
 日蓮大聖人の弟子として、広宣流布のために一緒に戦いましょう。お互いに進もう。そして学会を守り、更に発展させましょう。
 「一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」――「身軽法重の行者」とは、日蓮大聖人の仏法を流布している行者、すなわち、真剣に学会活動に励んでいる人です。そういう人は、どのような身分の人、貧しい人であっても、最高に大事にし「当に仏の如く敬うべし」との道理にしたがって、信じ敬っていかなければならないとの仰せであります。
 更に「一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事」とあります。自分よりも役職が下であろうとも、社会的に地位が下であっても、折伏を実践する人、広布へ戦う人は「老僧」つまり、立派な人格者、大信者として、尊敬し、守っていきなさいというのです。
 同様に「一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」と。自分よりも、教学力があり、信心の強い人に対しては、どのような立ち場の人であっても、師匠とし、相談し、指導をうけていく求道心、謙虚さがなくてはならないと申されているのです。役職の上下を問わず、この日興上人の遺誡置文を、全員が再確認し、助け合い、励ましあって、一歩、二歩と成長していきたいと思います。

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