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日蓮大聖人・池田大作

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賢人とは指導者  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  四条金吾殿御返事にいわく、
 賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり
2  これは四条金吾殿が苦境にあったときに、日蓮大聖人が竜樹普薩の大智度論の一節を引いて、指導された御文です。
 賢人とは、一般論は別として、私達信心している立ち場でいえば大信者のことです。また、立派な指導者と訳すこともできましょう。更に、一般的には人格者を意味しているとも考えられます。この賢人は八風におかされることがない。すなわち八つの風におかされない人を賢人というのであります。
 八風とは、まず「うるおい」です。この風におかされるとは、信心の世界でいえば、目先の金銭的な利欲にとらわれて、信心をおろそかにしていく姿などです。一般社会でいうならば、たとえば資本家や金融業者が人々を犠牲にして大もうけし、しかも社会になにも貢献しないならば、それらが「利」に負けた姿と思います。
 次は「おとろえ」です。老人になっても若々しい一念で、信心を生涯、貫き通していく、また、商売が少しぐらい大変であっても、信心を源泉として、雄々しく信心即生活の戦いをしきっていく。このようなことが、この風におかされぬ姿といえましょう。
 「やぶれ」と「ほまれ」に打ち勝つとは、毀誉褒貶にとらわれないということ。また「たたえ」に負けるとは、たいしたものだと人にいわれたり、また新聞やテレビなどでほめたたえられたりして、いい気になり、増上慢になっていくことです。
 「そしり」におかされぬとは、どんなに批判されても、厳然と自分の信念の道をまっしぐらに進んでいくことです。少しばかり、マスコミが学会批判をしたからといって、それで退転するような意気地のないことでは、立派な指導者になれるわけがありません。
 それから「苦」も「楽」も八風の一つです。苦しくても楽しくても、決して卑屈にならず、油断せず、信心に励み、大聖人の弟子として、誇りをもって生きていく。そして人々をどのうに救っていくか、社会にどのように貢献していくか等、真剣に考え実践していく――こうした一念を強くもって、高邁な志を失わずに前進していく人に、初めて諸天の加護があるというのです。
 したがって、幹部になって威張ったり、後輩を私事に使うようなことがあれば、それは信心利用であり、八風におかされた姿です。そのような人には諸天の守りがないというのです。
 組織を利用し、権威を振り回していくような人は、一時はよさそうにみえても、生涯、また子孫末代という長い面から厳しくみるならば、諸天善神の加護を必ず失っていくのです。大聖人はそのことを戒めております。

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