Nichiren・Ikeda
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強盛な信心にこそ諸天の加護
「池田大作講演集」第2巻
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1 四条金吾殿御返事にいわく、
摩訶止観第八に云く弘決第八に云く「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれども・つかう人によりて物をきり候か
2 「心の固きに仮つて神の守り強し」――「心」とは信心です。心が固い、すなわち信心の強い人こそ諸天善神の強い加護があるとの御文です。しかし、御本尊を受持したから、必ず守られるだろう、という安易な考え方は戒めなくてはならないのです。
信心が強いとは、すなわち勇敢なる実践があることです。広宣流布、王仏冥合という御本尊に直結した活躍があって初めて、信心が強いといえるし、実践力があるといえましょう。
「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」――すなわち、諸天の加護も、信心が強くなければ現われない。因果の理法です。
仏法は、常に申し上げている通り、仏と魔との戦いであります。魔を打ち破っていけば、諸天の守りがあるのです。功徳が輝いてくる。
逆に、御本尊をいただいても魔に負ければ、罰をうけます。厳しいといえば、これほど厳しい法理はないでしょう。
しかし、長い目でみれば少しぐらい魔があったほうが、いいともいえます。罪が早く消えるし、それだけ功徳も早くうけられる。山地と平地での訓練の効果に差異があるように、また大自然のなかで体を鍛えた人と冷暖房完備の部屋のなかで育った人との差があるように、魔の出来は、その人の信心を強めるための仏の慈悲ともいえます。このように魔とは、自分自身の宿命を大きく転換させてくれる修行の因なのだと確信し、一つ一つ鋭く見破って戦い、勝ち抜いてください。