Nichiren・Ikeda
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1 治病大小権実違日にいわく、
結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし
2 結局は仏法は勝負である、ということであります。この御文のすぐ前には「見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり」との個所があり、なぜ大聖人が世間の批判をうけられるのかという根本原因の一端が明かされています。
すなわち、妙法は生命の問題を本源的に解決していく、最高にボルトの高い法であり、折伏によって元品の無明を揺り動かし、そのなかに内在するいちばん強い元品の無明という不幸の本源ともいうべきものを爆発させていくことになります。その爆発が、批判、中傷、怒りとなって現われてくるのです。他の宗教はボルトが低く、元品の無明にはふれることができない。力がないのです。したがって反応もない。
この「元品の無明を起す」ことが、そして、これを打ち破ることが金剛不壊の繁栄を建設する根本義であります。この原理以外に厳しい乱世の末法の社会・人類を救済する道はない。そうした戦いの時代が末法である、と大聖人はおっしやっているのです。現在は末法万年尽未来際の先駆けであり、妙法流布の途上において、幾多の批判や難があるのは当然です。しかし、国家・社会・人類の恒久平和と繁栄は、この妙法を根底にする以外に絶対に築き上げることはできません。したがって、そうした批判や難を乗り越えての広宣流布達成の功徳は偉大であるというのが、大聖人のご指導であります。
大衆を最大限に包容しつつ、ただ誤れる思想。哲学に対しては、妥協することなく破折・論破し、見事な思想戦を展開していっていただきたい。
また、全てにわたって空回りすることなく、常になんらかの楔を打っているという価値ある戦い、聡明な指揮であっていただきたいと念願するものです。