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日蓮大聖人・池田大作

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嵐を呼び起こし勝利の実証を  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  上野殿御返事にいわく、
 うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいはうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわかず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候
2  「虎うそぶけば大風ふく・電ぎんずれば雲をこる」というのは、虎が吼えれば風が吹き、竜が鳴けば雲が湧いてくるという。これは中国の『淮南子』にある有名な故事です。それに対して、野ウサギがいくら声を立てても、どうということはない。また驢馬がいくらないても、風も吹かないし、雲も起こりはしない。
 戦後、創価学会が出現して、いまや日本の第三勢力を築いたことは、未聞の戦いであります。他にそのような団体はないでありましょう。
 あらゆる迫害のなかで、まさに厳然たるキャスチングボートを握らんとするところまでこぎつけた。皆さん方の力であり、日蓮大聖人のご予言通りです。私どもの実践活動は、風を起こし、波を立て、雲を呼んでいます。これだけの活動を行なえば、いろいろな批判や中傷は当然起こりましょう。大聖人は「其の外の大難・風の前の塵なるべし」とも仰せであり、必ず広宣流布は達成されるとのことです。大風が吹いてあらゆる塵埃を払いのければ、あとには澄み渡った青空が輝いている。広宣流布も同じことであります。
 これまで日本の伝統的な既成の基盤の上に、嵐を巻き起こして勝利の証明をしたのは私達しかありません。
 「愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわがず事もをこらず」――「愚者が法華経をよみ」というのは、自分の利益だけで信心している人です。広宣流布を考えない、社会革命、文化革命を考えない人をいうのです。
 「賢者が義を談ずる」というのは、理論だけを追っている学者です。または御書は偉大であるといって、観念的に御書だけを勉強して実践をしない人をいいます。評論家等の人達が、仮に法華経を読んだとしても、実践がともないません。このように名聞・名利のために法華経を読み、また観念的に法華経を読んだとしても、実践がなければ、少しも国中は騒がない。空転であり、虚像だからです。また難も起きなければ、批判も起きず、動執生疑もありません。
 「聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時」――聖人とは日蓮大聖人であり、今日では創価学会といっても過言ではないでしょう。現在は、広宣流布、王仏冥合という大文化革命を遂行している時と拝せます。
 「一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候」――大聖人ご在世においては想像を絶する大難の連続でありました。今では大難といっても大聖人当時とは異なり、悪口をいわれるぐらいのものです。それは七百五十万世帯という地涌の菩薩が団結しているからであります。私達は、悠々と大聖人の御金言通り、雲をおこし、嵐を呼ぶたくましい戦いを展開してまいろうではありませんか。全部それは自分自身の宿命転換に通じるのです。
 御本尊を根本とした活動・実践は立派な仏道修行であり、一つとしてむだがありません。一切が自分のためになります。戦った人は、後で必ず心から満足するでありましょう。あとになれば、あとになるほど勝利の実感をおぼえるでしょう。反対に要領のいい人は、あとで苦しむ。だれが見ていても、見ていなくても、御本尊だけは見ています。また自分自身の良心は、仏法でいう倶生神は、すべて見ているし、守ってくれています。

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