Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

光輝に満ちた妙法の実践  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  撰時抄にいわく、
 道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし
2  釈迦一代の八万法蔵といい、アリストテレス、プラトンの哲学等、世界にはありとあらゆる思想・哲学があります。といっても、全部、南無妙法蓮華経の説明文であり、序分であり、流通分です。南無妙法蓮華経というのは、宇宙それ自体の本源力であります。更に時代が進めば、その説明がつくようになるでしょう。今までの宗教家が、我見で本尊を書いたり、法を説いたりして、自分の勝手気ままにしたために、混乱してしまった。ただひとつ日蓮正宗の三大秘法の仏法のみが、御書のうえからも、経文に照らしてみても、間違いない根本法です。
 三大秘法の御本尊が根本尊崇の対象であり、その御本尊に道心を起こす人、行ずる人、すなわち広宣流布に向かって進みゆく人が「道心あらん人人」であります。正法千年、像法千年の間に民衆の尊敬を集め、偉大といわれた大王よりも無名であったとしても、はるかにこの末法に三大秘法の御本尊を持った人のほうが偉いし、それ自体が喜びであるということなのです。
 仏法は永遠不減の、普遍的な哲学であります。一切の哲学の極理です。しかも力強い実践の哲理であり、永遠の福運を積むこともできる。今世において自由自在の境涯になれる。
 「彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし」――天台宗の本山・延暦寺の長を座主というのです。当時、天台座主といえば仏教界における最高峰ですが、この座主よりも、癩人となって南無妙法蓮華経と唱えるほうがはるかに幸せである。それほどすばらしい題目であると日蓮大聖人は教えているのです。
 どんな偉い人間になるよりも、末法に癩人として生まれて、御本尊を拝めるほうがどれほど幸せなことかわかりません。なぜならば、癩病という一瞬間の出来事に比べたら、永遠に崩れない人生、生命の幸せの種を植えたほうが、いいに決まっています。故に一言でいうならば、大聖人の子供として、弟子として、使徒として、三大秘法の大仏法をたもって、日蓮正宗・創価学会とともに生涯を貫き、実践した人こそ、真実・無名の勇者である。無名であっても、いかなる過去の大王よりも、いかなる文化人、有名人よりも光輝に満ちた、偉大な、最高の人生を歩んでいると確信して、ともどもに力強く進んでまいりましょう。
3  信心を貫き通した人こそ無名の勇者
 私は学会員が大好きです。日蓮大聖人の子供だからです。世の中にはいろいろな組織、団体がありますが、ほとんど、利益と名誉が目的です。ところが私どもは、悪口雑言を全身に浴びながら、令法久住と、末法万年にわたる世界の恒久へ平和実現のために、日夜、仏道修行を重ね、広宣流布目指してひたすら活動に励んでいます。これ以上の誇り高い生き方が他にありましょうか。故に私は、学会員のことであれば、どんなことでも真剣に考え、必死に守っていきます。学会員と聞いただけで、可愛くて可愛くてたまらないくらいです。それだけは、わかってください。これまで私達学会員を批判・中傷してきた評論家等がいますが、そうした人達が「創価学会を見直した」というまで、じっとこらえて待ちましょう。仏法にも「柔和忍辱の鎧」という言葉があるではありませんか。
 このあいだも、日本の最高峰といわれる人に「私には本当に心のきれいな、何十万、何百万人という恋人がいます」といったところ、その人は「それを聞いて学会の本質が、初めてわかりました。心が洗われた思いです」と、しみじみといっていました。
 また、この十年間の創価学会の飛躍を、ある評論家は「一般世間の二百年間に相当する」と評しています。私たちは今、次の十年間を目指して進んでいます。輝かしい未来が私どもを待っています。それまでは、断じて長生きして、人生を楽しんでいく――これが仏法というものです。日蓮大聖人の仏法の本義です。そして、題目をあげぬいて、子孫末代までの福運を積んでいくとともに、生命の尊厳を基調として、人生を最高にエンジョイし、幸せを満喫していきましょう。そのための信仰です。
 十年間というのは、人生にあっても、人類史にとっても一つの大きな節であります。かのアレキサンダー大王が、二十歳のとき即位し、ペルシァに違征して、その大軍を破り、ヨーロッパ、アジア、アフリカにいたる史上空前の大帝国を築き上げたのも十年間。ナポレオンも反革命のトゥローン軍港攻撃の際、初めて軍人としての手腕を認められてから皇帝の位についたのが十一年間。現代史においては、毛沢東が中共政権を樹立したのも、新民主主義論を発表して共産革命を誓ってから、十年後のことです。
 なぜこう申し上げるかというと、皆さん方にとって、これからの十年間は信心を基底にした前進である故に、彼らと比べてもう一歩本源的な、更に日常的な分野での大発展の時であるからです。

1
1