Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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信心の一念が大切  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  千日尼御前御返事にいわく、
 佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん、たとえば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土えどに候へども心は霊山に住べし、御かおを見てはなにかせん心こそ大切に候へ、いつか早晩いつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん
2  「佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に」――当時、日蓮大聖人は甲斐の国・身延におられました。佐渡の国から、その身延までの道のりは千里にもおよび、交通機関のない当時にしてみれば、山や海を隔て、非常に遠かった。
 「女人の御身として法華経を志しましますによりて年年にを御使として御訪いあり」――千日尼が夫の阿仏房を遠い身延にまで、はるばる行かせたことは立派である。現在でいえば、登山会であり、布教、折伏に通じます。
 「定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん」――「法華経釈迦多宝」というのは、御本仏日蓮大聖人のことであります。広宣流布のため、信心純粋に活躍していることは、たとえだれが見ていなくても、全て御本尊が見通していらっしやる。因果の理法により、証拠は明確であるということであります。
 「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」――月ははるか遠いかなたにあるけれども、大地の池には瞬時に影が映る。また、雷は遼いところで鳴っても、その雷鳴はすぐに伝わってくる。
 「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり」――千日尼、あなたは遠い佐渡の国にいるけれども、あなたの心・一念は、もう甲斐の国・身延の大聖人のところにきたのと同じである、というのです。
 「仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に候へ」――いかなる辺地であっても仏になる道は同じである。南無妙法蓮華経と唱えた以上、もう霊鷲山にいるのと同じである。現在住んでいるところは、本有常住・常寂光土となり、因果倶時の理法によって、どんどん繁栄していくという原理です。
 「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」――表面上の姿・行動だけが大切なのではない。あくまでも、その人の信心の一念が大切であるという指導です。
 「いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん」――したがって、遠いところで、なかなか思うように活動できずにいるけれども、必ず成仏することは間違いないとの日蓮大聖人のお言葉であります。どうかこれらの御金言を自分のものにしていっていただきたい。そして、信心を全うし、有意義な、悔いのない、所願満足の人生を送っていかれんことを、心からお願いするものであります。

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