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日蓮大聖人・池田大作

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石に立つ矢のためしあり  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  四条金吾殿御返事にいわく、
 されば能く能く心をきたはせ給うにや、李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき、貴辺も又かくのごとく敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か
2  多方面から深く拝していける御金言ですが、この一節から特に”信心の一念”ということを強調しておきたいと思います。
 「されば能く能く心をきたはせ給うにや」――色心ともに健全なことが幸福の要件であるといえますが、肉体を錬磨すれば強健になると同じく、心も鍛えれば強くなります。現在のように、葛藤と抗争ウズ巻く社会にあっては、人間だれしも自己の心との闘争を余儀なくされる。だが、いかなる苦悩があったとしても、信心によって心を鍛えていけば、いかなる難問題をも堂々と切り開き、解決していけるというのです。
 李広将軍については「石に立つ矢のためしあり」との故事で、よく知られるところでありましょう。そして「貴辺も又かくのごとく敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か」と。――どのような大難があったとしても、妙法のゆかなる実践者は、必ず変毒為薬の原理に基づき、一切の苦悩を消していくことができるのです。結局は、信心をみがききっていくことそれ自体が、全ての勝利の源泉であるとの御金言なのです。
 信心は、ある意味では妙法に直結した執念ともいえましょう。たとえ的が石であっても、弓を射る者の執念があれば矢が立つとの故事が引かれているように、自己の直面する一切のものを勝利に導いていくという、全生命力を投入しきった信心のリズムがあってこそ、全ての責任、作戦、果断、情熱、そしてまた勝ち戦さへの上げ潮ができあがるということを確信して、たくましく伸展していってほしいと念願するものです。

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