Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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信心と団結こそ勝利の源泉  

「池田大作講演集」第2巻

前後
1  四条金吾御書にいわく、
 雙六は二ある石はかけられず、鳥の一の羽にてとぶことなし、将門さだたふ貞任がやうなりし・いふしやう勇将も一人は叶わず、されば舎弟等を子とも郎等とも・うちたのみて・をはせば、もしや法華経もひろまらせ給いて世にもあらせ給わば一方のかたうど方人たるべし
2  「雙六は二ある石はかけられず」――これは昔の雙六です。昔の雙六というのは、さいころが二つなければ、できません。
 「鳥は一の羽にてとぶことなし」――これは当然のことです。
 「将門さだたふがやうなりし・いふしやうも一人は叶わず」――将門や貞任のような勇将、今でいえば大政治家、指導者ですが、そうした力があるとされている人も、一人ではなにもできない。「舎弟等」とは、四条金吾の舎弟ですけれども、今でいえば世間の人々であり、後輩です。後輩を大事にする、世間を大事にする――こうしたことが、なにかのときに、みんな味方になって守ってくれるのです。また支えてくれるのです。それを普段なにもしないで、後輩にはおこってばかりいて、面倒をみない。そういう人であっては、いざという時になにもできません。
 ですから「舎弟等』――どんな人でも、広宣流布のためには必ず使命があるのだ、そしてなんらかの仕事をする人なんだ、といつも考えていてください。後輩の人達、また友達が、必ずなんらかのかたちで広宣流布のために、力を発揮すると思って大事にしていきなさい。なんでも一人でできると思ったら大きな間違いです。信心と団結が最も大事なのです。創価学会が、今まで想像もつかない大発展をしてきたのも、信心と団結以外のなにものでもない。他にも、さまざまな要素が考えられますが、根本は信心と団結です。これから長い長い広宣流布実現の道においても、同じく信心と団結ということが、根本でなくてはなりません。広宣流布は大文化活動を展開していくもので、社会・文化全般にわたり、多角的な活動になっていくでしょうし、花やかな動きもあるでしょう。しかし、根本を忘れてはいけない。
 なぜ信心が大事か。というのは、権力というものは、必ず魔が入るのです。「悪鬼入其身」と経文にありますが、なんでも自由にできるのが権力です。そこに、いちばん魔が入りやすく、それがいちばん大きい魔です。
 そこで、魔というものを、打ち破るただ一つの道は何かといえば、それは仏の力しかないからです。第六天の魔王が恐れるものは仏であります。したがって、仏と魔との闘争が仏法の一切なのです。幸福になるか、不幸になるか、この決戦が人生の全てなのです。ですから、今までの既成権力というものを打ち破っていくには、私達の才能とか、技術とかいうものだけでは楔が打てるわけはないのです。仏力・法力の源泉である題目しかないのです。私どもが想像外に躍進できたことは、妙法の力以外のなにものでもありません。実践面でいえば、信心と団結だったのです。
 日蓮大聖人の場合には、法体の広宣流布であり、御一人しかいなかった。私達の場合には、化儀の広宣流布であり、私達凡夫が団結して、大聖人と同じ力を出していく原理になるのです。そうした意味から信心が根本であり、大事なのです。非常に地道ではあるけれど、題目を声高らかに唱えているたくさんの人の団結があれば、それで一切に勝っていける。この方程式を忘れないでください。

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