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日蓮大聖人・池田大作

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戸田前会長十三回忌大法要 思師に棒ぐ

1970.4.2 「池田大作講演集」第2巻

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1  私どもの畏敬する恩師戸田城聖先生に捧げます。
 先生が昭和三十三年四月二日、霊山還られて、ここに、はや十三回忌を迎えるにいたりました。先生の膝下にあって、親もおよばぬ慈悲に浴し、薫陶を給わること十年。私には、つい昨日のように、懐かしくも鮮やかに思い出されてなりません。
 今ここには、お元気な奥さまも、そしてまた、立派に成長されたお子さまもおられます。お孫さま達も、すくすくと成長しております。
 思うに、昭和三十三年春、先生が逝かれた時、ただ茫然自失、なすすべも知らぬ暗愚な私どもでありました。しかし、先生はご自身なきあとの一切のご指南を、ここに残してくださいました。ご生前、先生よりたまわった教えを脳裏に思い浮かべ、一つ一つその通りに実践していった時、私どもは、先生のご構想、また慈悲のいかに偉大で深かったことか、今さらのごとく驚いた不肖の弟子でありました。
 大聖人の御金言に「身は軽く法は重し」と。日興上人のいわく「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」と。愚昧の私どもが、不肖私を代表として、ただ勇猛精進、今日まで七百五十万世帯を越える広宣流布の法戦を、進めてまいることができました。
 これもひとえに、恩師戸田先生のご遺徳のしからしむるところであると申し上げる以外ありません。
 先生の跡を継いで会長職を汚すこと十年。あまりにもいたらぬ私ではありましたが、大御本尊の偉大なるお力により、また多くの同志の支援によって、先生の仰せられたご構想は、ことごとく実現することができたと思っております。
 しかも、私どもにとって、最大の依処とし、喜びとするところは、日達上人猊下がますますお元気であられることであります。現在の日蓮正宗の隆昌、創価学会の発展は、遠く御本仏日蓮大聖人に淵源を発することは当然でありますが、近くはただただ日達上人猊下の毎自作是念の祈りこそ、広宣流布の大業をおこし、事の三大秘法を成就する根源にほかなりません。
 今、正本堂が、清浄なる富士の裾野に、その雄姿を現わさんとしております。そして昭和四十七年十月十二日、完成の暁には、この正本堂に一閻浮提総与の大御本尊のお出ましを、いただくことになっております。私どもは、牧口先生、そして恩師戸田先生のお写真とともに、堂々とこの儀式に参列いたします。
 加えて、大御本尊の御威光は、遠く海を越え、南北アメリカにも、東南アジアにも、そしてヨーロッパ、アフリカにまでも輝く渡り、幾十万の先生の弟子の活躍を見るにまでいたっております。正本堂落慶の式典には、これら世界の各地から、あらゆる人種に属する地涌の菩達がこの聖域に来集し、先生の申されていた「地球民族」の、壮大な絵巻きを繰り広げることでありましょう。
2  再び前進し七つの鐘を乱打
 鳴呼、八葉の大日蓮華山はあくまで気高く、妙法の涼風は四海万邦を薫ず。治乱興亡の時代の変遷。久遠元初の霊山の寂光土――今ここに新しき世紀の潮流は始まる。 
 報恩抄にいわく「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏は・あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや」云云と。
 仏法の真髄に立つならば、七百年前は全く今日。今日は全く七百年前にして、ともに元初の太陽は輝いております。
 「末法の一時」とは、まさしくこの時、この瞬時であるといえましょう。されば、久遠の縁深くして、この一瞬に生きる同志は、正像二千年の弘通に超過し、瞬時を永劫に開きゆく人であることも明瞭であります。
 先生、広宣流布の流れは、遂に渓流より大河の流れとなりました。必ずや、やがて洋々たる大海に注ぐ日も眼前でありましょう。妙法の光に金波はおどり、水平線の彼方には、生命の賛歌が湧き起こっております。
 御本仏日蓮大聖人の広大な慈悲、そして末法折伏の総師・恩師戸田城聖先生のご構想は、末法の一切衆生をは、大白法の功徳に浴さしめ、一生成仏の幸福境涯と、常寂光土の平和社会を具現することにあると確信いたします。
 先生が教えてくださった七つの鐘のうち、六つの鐘が今、鳴り終わろうとしております。今この場所に先生の愛弟子三千名が、全世界の代表として参列しております。この三千名の幹部諸兄は、必ずやまた各地の法戦に馳せ参じ、七つの鐘を乱打していくものと、私は信じております。そして、信心即生活、信心即社会の原理に立って、一人一人がそれぞれの使命の庭に、勝利の記念碑を打ち立てることが、すなわち広宣流布なりと、勇んで指揮をとってくれることも信じております。
 そのために、いかに嵐が叫ぶとも、怒濤が猛り狂うとも、御仏の、師子王の子らしく、また戸田門下生の誇りをもち、必ず最後の仕上げまで戦い切っていくことでありましょう。
 先生がいまわのきわに仰せられた「一歩を退くな」とのお言葉を、私ども弟子一同は、強く、強く胸に刻んで仲良く生き抜いてまいります。
 どうかご安心ください。力なき私どもではありますが、広宣流布の一歩前進は、日達上人猊下のもと、私ども弟子の手で、必ず戦い抜きます。この十三回忌を新たなる出陣の庭として、障魔と戦い、勇気凛々、再び前進してまいります。
 最後に、本日はもったいなくも日達上人猊下の御導師をいただき、かくも厳粛・荘厳なる法要を営むことができましたことを、戸田門下生を代表して、深く感謝申し上げる次第であります。とともに、猊下がいつまでも、いつまでも、お元気であられんことをお祈り申し上げ、かつまた、猊下に一層の忠誠を尽くすことを、全信徒を代表し、全信徒とともにお誓い申し上げるものであります。
 なお、多数の御僧侶の方々の唱題・読経、また、ご来賓、学会幹部の方々に深く御礼申し上げまして、私のあいさつといたします。

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