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日蓮大聖人・池田大作

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第13回11月度壮年部幹部会 担え広布の全責任

1969.11.10 「池田大作講演集」第2巻

前後
1  最初に申し上げたいことは、人生はいわばマラソン競争のようなもので最後の数年間が勝負であるということであります。その途中の人生は、どのような苦しいこと、つらいことがあっても、それは全て、夢だと思って間違いない。
 その最後の勝利のために、人生は福運を積んでいかねばならない。福運の根本の源泉は、末法においては、正しい妙法の信仰以外に絶対にありえない。故に信心は、日々、月々、強盛に、そして純粋に貫き通していってほしい。なぜかならば、その実践が自分自身の一生の勝利、一家一族の繁栄に通ずるからであります。 
 顕立正意抄に「我弟子等の中にも信心薄淡うすき者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず等云云」と。また千日尼御返事のなかには「人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛の如しやわらかなる事兜羅緜とろめんの如し」と申されております。
 世間には、仏法のなんたるかも知らず、増上慢に批判している人があまりにも多い。思い上がって“有名”の二字にとらわれ、謙虚さを忘れ、誹謗・謗法をしている人の人生の最後の姿が、因果の理法に照らして、いかに哀れでであるかということを知るのは、私一人ではないでありましょう。 
 妙法尼御前御返事にいわく、 
 「法華経に云く「如是相乃至本末究竟等」云云、大論に云く「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」等云云、守護経に云く「地獄に堕つるに十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相」等云云、天台大師の摩訶止観に云く「身の黒色は地獄の陰に譬う」等云云、夫おもんみれば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引き向えてみ候へばすこしもくもりなし」と。
 この日蓮大聖人の厳しい因果の理法の御聖訓、生命論の奥義を学び、そしてまた正しく、勇敢に実践をしている私どもには、永遠の幸福という厳然たる実証があることは当然であります。
 全人類の生命の鏡として、大聖人のご遺命のままに、私どもは、仏法守護のため、妙法流布のために戦っております。これすなわち、我が生命の安泰、真の幸福に通ずることを確信して、再び前進してまいろうではありませんか。(大拍手)
 次に本日の幹部会を記念し、いくつかの所感を要約して話を進めます。
2  第一に『私どもの一日一日の行動は、新社会の建設に重大な影響を及ぼしていることを知らねばならない』
 うれしくも、人類待望の広宣流布の流れは、いまや大河のごとく水かさを増してきている現状であります。この晴れやかな、重大な時期に、新しき社会を実質的に動かしている皆さん方の、日々の一挙手一投足は、好むと好まざるとにかかわらず、そのまま実社会に大小の波動を与えていることを自覚していただきたい。 
 皆さん方の日常の行動の内奥・心奥に妙法が秘められ、輝いているならば、それは新社会建設の立派な一石となっているのであります。反対に、八風に侵され、名聞名利のみにとらわれた行動に堕していたならば、新社会の実現は不可能となってしまう。そればかりか、学会の一切にブレーキをかけてしまうのであります。それでは、もはや広宣流布は次代に待たなければならない。千載一隅のこの時期に、誇り高き地涌の戦士として、使命に生ききる壮年部であってほしい、と私は申し上げたいのであります。
 現代社会の多くの悪鬼・魔民といえども、広宣流布の陣営の味方としていくのだ、という決意で大勇猛心を奮い起こし、戦っていっていただきたいのであります。
 それができなければ壮年部の使命はもはやない。この期待に応えうる実力をもった者こそ、我が学会のかなめとなっている壮年部の皆さん方である。と私は信じております。(大拍手)
3  第二に『皆さん方のなかには、職場あるいは家庭にあって、数々の苦悩に沈んで いる人がいるかもしれない。しかし、広宣流布という崇高な目的達成を己の使命として生きるとき、それら日常の労苦は、やがて霜露のごとく消え去ることを確信してほしい』 
 人は青年期を過ぎると、労多くして功少ない日常の数々の辛労のために、いつか、いだきつづけた理想を見失いがちなものであります。こうなると人生は、索漠として色あせたものになって見えてくる。ここに壮年の危機が訪れるのであります。
 私も壮年部の一員であります。皆さん方の心情は――いやがうえでも骨の髄まで理解することができる。幸いにして私どもは、事の一念三千の妙法をたもつことができた。「妙とは蘇生の義なり」とは日蓮大聖人の御金言であります。お互いにこの一句を、見事に色読せねばならない。すなわち常に“蘇生”するとは、不老不死の実相にほかなりません。年齢は壮年でありながら、妙法をたもつ者は、青年の情熱と理想をいだきつづけることができるはずである、と私は申し上げておきたい。 
 だからといって、日常の労苦の数々を無視せよというのでは決してない。その現実を直視し、戦いながら、希望に満ちみちた新たな蘇生の大情熱によって、それらの労苦を霜露のごとく消しつつ、広宣流布の旅路を誉れ高く、ともどもに前進につぐ前進を重ねていってほしいのであります。(大拍手)
4  第三に『皆さん方が現在、実質的な社会の主体者であるならば、また妙法の主体者であることを自覚してほしい』 
 一切法是仏法であり、社会即妙法であります。壮年部員の存在理由は、畢竟するに、社会や家庭の一切の責任を負うところにあります。故に、現代社会の繁栄も、そして退歩・破壊も、全て皆さん方の双肩にかかっているといっても過言ではない。それを避けることは無責任であり、もはや壮年という資格はない。
 社会をよくも悪くもしていけるのが、壮年の実力であります。学会内においても同じであります。この実力の場における真剣勝負が、妙法をたもつ私どもの戦いでなければならない。もし、この戦いに敗れることがあったならば、人類社会は永久に闇につつまれてしまうでありましょう。また、家庭も学会も同じ道を歩むことになります。
 信心という無形の物が、その姿を現わすのは生活・社会においてであります。これが仏界即九界、信心即生活、信心即社会の原理であります。したがって、どうしても壮年部が妙法の主体者にならなければ、実質的に広宣流布の駒を強力に進めていくことができないということを、強調しておきたいのであります。
 妙法の実質の主体者であることを自覚して、壮年部員が見事に団結して邁進するとき、期せずして広宣流布の様相は一変するでありましょう。そして、眼前には、桜花爛漫たる開花を展開することは、絶対に間違いない、と私はいっておきたいのです。(大拍手) 
5  第四に『現代社会における真の人間開発は、妙法をたもつ私どもにしかできないということを自覚すべきである』 
 苦悩の底に沈んでいた人々が、妙法を厳護することによって、やがてはつらつと蘇生する数々の驚くべき実例・現証は、私どもが日常、いつも目にするところであります。 
 このことに関して、私どもは絶対の確信をもっている。いかなる世間の学者、政治家、評論家、資本家等にも、これだけは絶対にできない。実に人間開発は日蓮大聖人の生命哲学による以外になく、このことは、時代の進展とともに、いよいよ明確になってまいりました。 
 現代社会の沈痛な、もろもろの苦悩を解決する根本手段は、私ども以外に誰人ももっていない。その原理を知りながら、実践しないのは悪である。だれかが解決しなければ、未来永遠に社会・人類は闇である。それが私どものこの世に生まれてきた使命だと自覚し、未聞の尊厳な開拓者たる襟度をもって、人類三十五億の先駆のために、大いに勇気をもって、活動しきっていこうではありませんか。(大拍手)
6  第五に『宇宙の一個体である私どもの生活のリズムは、また、自転・公転のリズムからはずれてはならない』 
 私どもの生活・実践に約していうならば、自転とは朝晩の勤行・唱題であります。御本尊に題目をあげきっていくことによって、宇宙の一個体としての健全な自転のリズムに乗ることができる。日蓮大聖人の慈悲は、これを私どもに教えてくださっているのであります。
 自転が完璧であるならば、その人間・個体は社会人として十分な力を発揮する資格をもつにいたることは自明の理であります。そこで社会・職場にあって、第一人者たる道を進むことができることになる。
 今度は日常の学会活動を含めて、社会に影響を与える活動の一切が公転である。自転と公転のリズムが、日々、見事に回転するとき、宇宙の一個体たる私どもも、いつか宇宙大の力をもつにいたるであろう、と私は申し上げたいのであります。(大拍手) 
 大宇宙に存在する法則と、大御本尊にまします大法則と、そしてまた、我が生命にある大法則とが一体となるわけであります。
 私ども活動は、あくまでも地味です。しかし地味であることを卑下してはならない。たとえば、太陽を中心にした地球や月の毎日の運行は最も地味であるが、これほど人間生活に偉大なる貢献をしている作用もない。 
 なかにはテレビ、新聞などでパッと花が咲くように派手な活動をしている人もいる。しかし、多くは根無し草であり、私どもはそうしたことに、決して紛動されてはならない。私どもの活動は地味であるが、誰人にもまして偉大な人間となりうる素質をもっており、リズム正しい生活をしている、ということを忘れないでいただきたい。 
 ともあれ、自転と公転の生活リズムを堅持しつつ、皆さん方とともに、元気に勇往邁進していきたいのであります。 
 学会の柱であり、そして広宣流布のかなめである壮年部の皆さん方のご健闘と、ご一家の繁栄を心から願って、私の話といたします。(大拍手)

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