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日蓮大聖人・池田大作

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第24回関西幹部会 願動の生命で進もう

1969.10.3 「池田大作講演集」第2巻

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1  「千里の道も一歩から」といわれるように、なにごとにおいても、最初から着実な積み重ねをしていくことが大事であります。
 卑近な例ですが、飛行機にしても、まずエンジンをかけ、滑走することから始めなければならないし、一万円も一円の集合体であり、一時間といっても、一秒一秒の連続です。また、大きくそびえる山も、一つ一つの石や樹木によって成り立っているわけです。
 機械を製作する場合でも、精巧を極めた各部門の努力、研究の積み重ねがなければ、完全な製品はできない。特にロケット、人工衛星など高度なものになればなるほど、厳密な正確性が要求され、たとえ微小であっても、誤差は許されません。
 いわんや、仏法は最高の道理であり、広宣流布、王仏冥合という大目標も、決して遠いところにあるものではなく、所詮、個人個人の日常活動の勝利を積み重ねていく以外にないわけです。広宣流布の完璧な総仕上げのためには、最高にキメ細かな神経と心づかいが必要なのです。
 したがって、特に幹部は、ささいな事柄に対しても、細心の注意と配慮を尽くし、全員がな納得して、安心して進めるようにしていただきたいのです。
 常識豊かな誰人の心にも焼きつくような日常の学会活動、地域活動であり、また同志の仲であってほしいと思います。
2  真実の「革新」は生命の躍動
 昭和四十五年は「革新の年」、別名「新生の年」と銘打って進むことを発表しましたが、改めて「革新」の本義について、若干申し述へておきたい。
 「妙ととは蘇生の義なり」とあるように、日々、月々、年々に蘇って生命を躍動させ、価値創造しきり、新しい人生を生ききっていけるのが、日蓮大聖人の生命哲理であります。したがって、妙法のみは永遠に革新であり、全てにわたって行き詰まりがありません。
 現在、世間でいう「保守」「革新」には、明確な立て分けの基準がない。たとえば、日本では「革新」といえば社会主義、共産主義、「保守」は資本主義、自由主義を指しているようですが、チェコスロバキアなど束欧諸国では、社会主義が「保守」、自由主義的行き方がむしろ「革新」と呼ばれているのです。このように国によって、意味するところのものが、全く逆になってしまうのが実情であります。
 とはいっても、日本の「革新」がすでに民衆と遊離し、堕落して退歩的な「保守」になりさがっているということは、よく知られるところでありましょう。
 所詮、真実の「革新」は、生命の躍動であるといえましょう。生命の革新から出発し、それによって実践されたものが、革新の究極に通ずると思います。すなわち、生命を躍動させきっていける最高に若々しい思想・哲学・信仰である妙法こそが、革新の根本なのであります。
 その証拠に創価学会は、首脳の構成年齢も若く、既成各団体にはみられない、革新を象徴する若々しい息吹きに満ちあふれているではありませんか。既成の団体は、いずれも生命自体が老化し、若い力を抜擢していくだけの土台が、すでになくなっているといえます。創価学会ほど若々しい革新の団体は、断じてほかにはないと訴えておきたいのであります。(大拍手)
 しかしながら、若いが故にともに苦労を重ね、勉強もしていきたい。そして、民衆の幸福と平和のために働き、民衆の力で、新しい民衆の時代を築いていこうではありませんか。(大拍手)その根幹の力が妙法の信仰であるし、必ずや成し遂げていこうとするのが、王仏冥合の精神であります。どうか、広宣流布実現の日まで、老いも若きも、若々しい、はつらつとした気持ちで、伸良く戦っていってほしいと思います。(大拍手)
3  豊かな唱題と地道な勤行
 幹部は、第一線の戦いに臨んでは、常に健康に留意してすがすがしい日常生活を送り、指揮をとっていただきたいのです。
 幹部が不健康であっては、大勢の人に迷惑をかけてしまいます。まして、後輩の信心に疑いを起こさせるようなことがあれば、厳しくいえば前進の障害になってしまうといっても過言ではありません。
 したがって、幹部は、生き生きとした生命力を常にたぎらせ、誠実味にあふれた魅力をたたえていってほしいのです。そして、全員を歓喜させ、希望を与えていかなければなりません。同志の多くは、多言を要するまでもなく、すでに妙法の偉大な功力を体得しており、理論よりも、幹部のにじみでるような暖かい人間性、自信と確信に満ちた姿に奮起するものであります。この行き方こそ、真実の指導・激励であると確信しますが、いかがでしょうか。(大拍手)
 そのためには、豊かな唱題と地道な勤行の実践が最大の要件となります。同志に対する怨嫉を戒めていくことも大事でありましょう。また、一生懸命に戦っているつもりでも、空転している場合がある。詮ずるところ、一切を決定するのは信心の姿勢である以上、根本の信心の歯車をかみ合わせてに戦っていってほしいと思います。(大拍手)

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