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日蓮大聖人・池田大作

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北海道幹部会 信念強く慈悲の実践

1969.9.17 「池田大作講演集」第2巻

前後
1  見事な芸術祭を、感銘深く鑑賞させていただき、北海道の同志の皆さんのたくましい成長を心強く思った次第であります。学会の今日の発展といい、また皆さんの繁栄といい、十年、二十年前には、誰人たりとも想像すらしていなかったにちがいない。これまでの輝かしい実証・経験に照らして、今後十年、二十年先の社会は、私ども妙法をたもった者が、真実の民衆の味方となり、堂々とリードしていくことは、時代の趨勢といえましょう。
 本来なら、幾多の国家的重要課題をひかえ、今こそ指導的立ち場にある人々が大局観に立ち、話し合っていくべきであります。だが、いたずらに反目し、やきもちをやき、時代の潮流というものを知ろうとしない。
 そうしたなかで、利害や名誉にとらわれず、ひたすら社会の繁栄を目指して、日蓮大聖人のご遺命を、素直に強く実践している私どもの人生ほど崇高な人生はない。民衆が、民衆の力で、自らの国土を守り、栄えさせきっていこうとしているのです。確信と誇りをもち、仲良く、楽しく、団結して、皆さんの郷土である北海道の地を寂光土に変えていっていただきたいのであります。(大拍手)
2  自己と戦いきっていく原動力が御本尊
 私は記念撮影等あらゆる機会をとらえ、個人指導に努めていますが、皆それぞれ個人的な悩みをもっている。それは、人間革命の途上においては、当然の姿といえるし、人生それ自体、そうした悩みとの戦い、自分自身との戦いの連続であります。その自己と戦いきっていく原動力が御本尊であり、信心であることを確信してほしい。
 先日「日蓮正宗創価学会に入信した」というだけの理由で、いわれのない反感を買い、批判をうけて悩んでいる青年の話を聞きました。こういう人達は、非常に可哀想であり、なんとかして、励ましてあげたいという気持ちでいっぱいです。だが「猶多怨嫉」は、大聖人の御金言であり、これからも続くでありましょう。
 しかし、そうした無責任な言動に紛動されてはいけません。結局、他人は救ってくれない。妙法を堅持して、信念強く前進することが勝利につながるのです。
 そこでお願いしたいことは、真面目に信心を貫き、人間革命をしていこうと努力している同志に対しては、信心の活動面においても、社会活動の面においても、あらゆる方法で、キメ細かに応援してあげていただきたい。(大拍手)
 どんな小さなことでも問題点があれば、なんでも相談にのってあげ、自信をもたせ、賢明に助言して解決してあげていただきたい。今こそ、その地道な戦いが望まれる時なのであります。そして、激励によって立ち上がったその一人が、やがては社会全体を変革していく力になるのです。それはまた、広宣流布に通じ、民衆の勝利の縮図ともなっていくのであります。この原理を再確認し、幹部は、どのような人に対しても、奮い立たせていくべく見守っていってほしいのです。(大拍手)
3  諸天善神の現代的意義
 科学の長足の進歩をみて、宗教の非科学性を指摘する人がいます。しかし、世間一般の宗教はいざしらず、日蓮大聖人の仏法は、科学の進歩によって、ますますその普遍妥当性が明らかとなり、誰人をも納得させうる輝かしい存在となると信じます。
 たとえば、御本尊の中にもしたためられ、勤行の際、初座の御観念文にも出てくる「大月天王」について、若干述べておきたい。先日はアポロ宇宙船が月着陸に成功した。月というものの本体が科学的に解明される時代になってきております。なかには「大月天王」ということも、今までの神秘的なベールがはがされたように思う人がいるかもしれないからです。
 科学は、月の歴史や、それを構成する物質についての分析はしてくれるでしょう。だが、どんなに科学が分析し解明したとしても、現実に月が、人間の生命、生活に及ぼすさまざまの影響性、力をもっている事実には変わりはない。
 「大月天王」とは、ひとくちでいえば”月”を指しますが、仏法の立ち場から、より本源的にみれば、月の生命力を意味します。”王”とは”力”をあらわすのであります。月と地球は、その引力によって互いにバランスをたもっていますが、その本源力が妙法なのであります。そして月の引力は、潮の干満に密接に関連し、また、その潮の干満が、人間生命にも深い関係性をもっているということは、否定できない事実であります。
 ここに、これらの力のバランスをたもたせ、大宇宙のリズムのとして題目を送る意義があり、初座の勤行の本義があるのであります。同じように「大日天王」は、地球上の万物を育成し、美しい世界を描き出している太陽の生命力を意味するといえましょう。太陽もまた、地球を含むあらゆる惑星と調和ある構成をし、太陽系宇宙を形づくり、バランスをとって運行している。この力を名づけて「大日天王」というのであります。
 また「八幡大菩薩」は、生命論、信心に約していうならば、国土それ自体の力、生命を支えていく力といえる。”八”とは法華八軸、または八葉の蓮華ともいわれるように妙法を意味し、”幡”とは”米”と”田”を表わす。すなわち、作物を実らせ、人間生活、社会全体を豊かにする国土の力を八幡大菩薩と名づけるのであります。更に付言すれば”幡”は”旗”に”八”は”四方八方”に通ずる。妙法の旗を四方八方に流布していってこそ、社会全体の繁栄があるとの意義があります。この妙法流布を、助長させていくのが八幡大菩薩の働きになるわけであります。
 また「天照太神」とは、日神ともいわれるように太陽のエネルギーを吸収、代謝し、一切の生命を生み出し、繁茂させていく根本的な力を意味する。人間生命にあっては、価値創造していく本源的な英知の力が天照太神と説明できるのです。したがって、大聖人の仏法における天照太神と神道におけるそれとは根本的に解釈が異なっている。天照太神の本義を知らず、誤って崇めてきたところに、これまでの日本の不幸があったともいえましょう。
 この天照太神と八幡大菩薩の関係を申し述べれば、天照太神が正報、八幡大菩薩が依報になる。これらの働きに対して妙法を回向し、調和のとれた運行をもたらすのが、重ねていうようになりますが、初座の勤行の本義なのであります。勤行は生命のリズムを決定するものである。仏法は体、世法は影との御金言がある通り、この生命の根本のリズムが狂えば、生活の一切に狂いが生じる。否、社会、国土それ自体のリズムも狂ってくる。生命の本源の妙法の発動こそ、生活にはつらつたる息吹きを与え、社会を発展させ、国土、宇宙をも調和させていくのであります。

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